士官学校を卒業した私たちに配属先が告げられた。第七師団歩兵第二十七聯隊。音之進と全く同じだ。二人して顔を見合わせる。
てっきり「銀時計組」の私と音之進は別々の配属になるとばかり思っていたから、まったく「あの」鶴見中尉は空恐ろしい人物だと思った。
「まだまだ長い付き合いになりそうだな」
「私は望む所だ」
そんな軽口を交わしながら今はもう上官である鶴見中尉の所へ向かう。すれ違う兵卒や下士官が歳下の私たちを見ると道を開け敬礼して行く。それが少し心苦しかった。「本当の私」はそのような立場にはないというのに。
中尉の部屋の前まで来ると先程までは余裕ぶっていた音之進は途端にそわそわと落ち着かなくなって鬱陶しかった。
「落ち着け、音之進、いや鯉登少尉。ノックするぞ」
「ま、待ってくれなまえ……みょうじ少尉。鏡を確認させてくれ」
「そう言って5分前に確認したばかりだ。それに鏡なんて確認しなくても髪にも服装にも乱れは無い。お前は完璧だ」
「……っ!そ、そうだろうか」
音之進の目を見て力強く肯定すれば、彼は照れたように目を逸らして顔を赤らめた。その勢いのまま、私は中尉の執務室の扉に向き直ってその分厚い扉をノックした。
「何だ」
「陸軍少尉みょうじ、同じく鯉登。任官のご挨拶に参りました」
「ああ……入りたまえ」
「はっ。失礼致します」
いまだそわそわしている音之進に視線で合図を送って、私は重い扉を押し開けた。そこには見知った鶴見中尉ともう一人いた。階級章から見るに軍曹と窺える彼は私と音之進の事を無表情に見ていた。
「よく来たな、音之進くん、なまえくん。……いや、今日からはもう、鯉登少尉とみょうじ少尉か」
「鶴見中尉にそう呼んで頂ける日が来ようとは感慨深いものです」
当たり障りの無い無難な返答だったように思う。隣の音之進は相変わらずごにょごにょと口篭っていたが、一通りの挨拶は済ます事が出来た。
「全く……、いつの時代も若者の成長というのは早いものだ。まだ歳若かった少年たちがこれ程立派な青年になったのだから」
「これからは中尉の手足となってお役に立ちたき所存です」
微笑んで、唇を持ち上げる。何処にも違和感は無かった筈だ。音之進はきらきらとした瞳で中尉の事を見ている。相変わらずだ。だが私は「まだ」中尉の事が俄かには信頼出来ずにいた。
「それで、君たちの今後の事なのだが……」
それまで微動だにせずに私たちを見ていた軍曹が居住まいを正す。どうやら彼が。
「私たち付きの軍曹ですか」
「うむ、月島軍曹だ。月島、みょうじ少尉と鯉登少尉だ。二人とも私の肝煎でな。宜しく頼むぞ」
「承知しました」
言葉少なながら二人の間には信頼感があるように見えた。月島軍曹も鶴見中尉の事を信頼しているのだろうか。そう考えてから唇を引き結んだ。
「ではまず、兵舎を案内します。自分についてきてください」
「頼む」
「ああ、そうだ。みょうじ少尉、少し良いか」
月島軍曹と音之進の後をついて行こうとした私だったが不意に鶴見中尉に呼び止められる。訝しむように顔を歪めてしまったのが悟られてしまったのか、中尉は私の不審を解すかのように微笑んだ。
「少し話があるのだが構わないか?月島軍曹と鯉登少尉は先に行っていてくれ。みょうじ少尉への兵舎の案内は後で私がしよう」
「は……」
目を瞬かせる私に鶴見中尉は人好きのする笑みを見せる。咄嗟に音之進と月島軍曹の顔を見れば、彼らは少し驚いたような顔をしていた(後、音之進は少し羨ましそうな顔をしていた)が、頷いて行ってしまった。残されたのは当然だが私と中尉の二人だけ。
「お話とは、何でしょうか」
「まあ、そう急ぐな。私は初めて会った時から君を買っていたんだ。そんな君が今日私の下に来てくれた事を大変嬉しく思う」
感慨深げな顔で鶴見中尉は頷く。私は申し訳程度にその言葉に礼を返す。彼が何を言いたいのかよく分からなかった。
「ありがとう、ございます。私も中尉の部下となれて嬉しく思います……」
何か妙な違和感が全身を走っていく。何かが決定的に噛み合っていないような気がするのにそれが何か分からない。思案顔の私を余所に中尉は笑みを深めて私に向かって手招いた。正直に近付くと中尉は更に私に顔を寄せる。
「あの、中尉……?」
「みょうじ少尉、君は、津山という連続殺人犯を知っているかな?」
「……はあ。確か今巷を騒がせている、脱獄囚で殺人鬼、でしたか。既に三十人以上殺しているとか。彼がどうかしましたか?」
「そうだ。その男、君に捕まえてきて貰いたい」
「……は?」
上官に対しての態度ではなかったが、中尉は黙認してくださったようだ。だがおかしな声が漏れるのも仕方ないだろう。第七師団はいつから警察組織になったのだろう。
「警察では駄目なのですか」
「駄目だ。『あの囚人』は我々で押さえる」
確固たる意思を持った中尉の瞳はただただ強く、狂気すら感じる程に輝いて見えた。その圧に押されて私は気付けば頷いていた。中尉は満足そうに笑って「君の初任務だな」と言った。
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