鶴見中尉の命を受けたみょうじ少尉の補佐を担当するのはやはり俺の役目だったようだ。連続殺人鬼で脱獄囚の津山という男の捕獲。少尉はきっと仔細は知らされていないのだろうが、それは失われたアイヌの金塊を探す第一歩。絶対にしくじる訳にはいかなかった。
「そうだな、まずは情報収集が定石か」
今まで幾人か新米の少尉付きになった事はあったが、みょうじ少尉は比較的判断の早い性質のようで俺は僅かに安堵した。何も知らない人間の手を引いてやるのは少々骨が折れる。それが俺に与えられた役目だったとしても。
てきぱきと捜索部隊を組み始める少尉に俺はふと違和感を覚える。少尉が割り振る人員の組み合わせが妙に「絶妙」な気がしたからだ。分析能力に優れた者と情報収集に長けた者、そしてそれぞれの相性を効果的に組み合わせている。与えられた部下の特徴を良く把握している。まるで何年も同じ部隊で死線を潜ってきたかのように。
感心する俺を余所に、人員を割り振り終えたみょうじ少尉は俺の方を振り返って「月島軍曹は私と一緒に行動だ。構わないな?」と目を細めた。頷く俺に、頷きを返したみょうじ少尉は細かな指示を各班に送ると自身も一歩を踏み出す。
「……少尉」
「うん?どうした」
大股一歩で隣に並んだ俺を見上げる少尉(俺もそれ程背が高い訳ではないが、少尉はその俺よりも更に少し低かった)に何と言って良いのか逡巡して少しばかり唇を引き結んだ。言い澱んだのは言い難かったからでは無く、期待を打ち壊したら申し訳ないなという純粋な感情からだった。
新米の少尉というのはとかく空回りしやすい。士官学校を出たばかりで、何も知らないのにその身に纏う階級を持ち上げる周囲に引き摺られて自身の実力と現実が乖離する。そうやって乖離した状態に焦れて下の者が「とばっちり」を喰らう様を俺は幾度も見て来た。だからこそ「最初の」任務では俺は極力新米の上官には何もさせたくなかった。あなたの出る幕は、隙は、一分も無かったのですよと言いたくて。
「いえ、情報収集はあいつらに任せてあなたは待っていれば良いのにと思いまして」
「……はは、これは手厳しい。私では役に立たないか」
俺の言外の皮肉にもすぐ勘が付く。才気煥発、入隊前に鶴見中尉の命で調査した個人的な資質も綻びなど一つも見付けられなかった。歳若、されど完成された男。それがこのみょうじなまえという男なのだと、俺は少し顔を顰めた。
「鶴見中尉にはありのままを報告してくれ。私が出来た事出来なかった事、この任務で沢山あるだろう。私はただ与えられた任務に全力で励むだけだ」
部下からの礼を失した言動も巧みに受け流す、その柔さを俺は素直に感心した、僅かではあるが。
「それでは我々も調査を開始致しましょう。噂では津山は市中にも度々出没しているようです」
頷いて一歩を踏み出すみょうじ少尉の背中は小さいのにやけに大きく見えて、俺の脳裏には今までに見て来た新米少尉の中でも大成した者たちの顔が浮かんで消えた。
情報収集は思ったよりも上手くはいかなかった。津山は刺青の囚人だけあって知恵が回るのか、市中でそれらしき顔を見た者たちの証言はばらばらであった。
「ふむ、証言が皆ばらばらだ」
「恐らく敢えて目立つ特徴を見せる事で、その印象を強烈に刷り込ませる分、顔などの印象を薄めているのでしょう」
「うん、私もそう思う。さて、では次の手だな。月島軍曹、紙と鉛筆を持っているか?」
「は……?……はあ」
ポケットに入っていたメモ紙と鉛筆をみょうじ少尉に手渡す。柔和に目を細めた少尉と次の目撃者に話を聞きに行く。目撃者は女だった。俺と少尉を見て、それから少尉の顔を見て彼女は僅かに顔を赤らめた。
「もう何度か話を聞かれたかもしれないが、もう少しだけ協力して欲しい」
「ええ、ええ、お安い御用ですよう!」
少尉に微笑まれて目に見える程顔を赤らめた女は仔細に目撃した男の様子を語っていく。少尉はその話を聞きながら手許のメモ紙に鉛筆を走らせていた。
「目は吊り上がっていて……」
「ふむ、こんな感じだろうか?」
「ええ!鼻はもう少し低かったように思います」
少尉の手許を見て俺は感心する。彼は聞きかじった証言を基に津山の似顔絵を作っていたのだ。そして俺は少尉の思惑に気付く。恐らく少尉は幾つかの証言を基に数枚の似顔絵を描き、その数枚から共通項を見つけ出そうというのだ。地道な作業だが、闇雲に調査していくよりかは確実だろう。
「……絵がお好きなのですか」
目撃者の女に礼を言って次の目撃者の許へ向かう道すがら、俺は何とはなしに聞いた。少尉は俺の顔を一瞥すると前を向いた。肯定とも否定とも取れないその態度に俺は深入りしたのだと気付いた。
「失礼しました」
「いや、別に良いんだ。そうだな、絵を描いている間は『全てを』忘れられたんだ」
「……全て?」
自分の目が自然と細まるのを感じた。恵まれたこの男が忘れたい物とは何だ。僻みのような感情が、俺の心の内から湧き上がるのを、俺は喉を鳴らす事で抑えた。
「そうだな。全て、だな。家の重み、私の責任、それだけじゃない。『私』という存在すら、絵を描いている間は忘れる事が出来た」
「俺には理解の能わない話です」
「そうか」
みょうじ少尉は少し微笑んで、それから考えるようにして口を開いた。
「行こう、月島軍曹。私たちに課せられた任務を、果たしに行こう。私たちは確実に、津山に近付いている」
それは彼が本当に言いたかった言葉とはきっと違ったのだろう。ただそれでも、俺はそれに言及はしなかった。頷いて、少尉の背を追う。津山を捕らえる、前日の話であった。
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