みょうじ少尉と「星屑の少女」の共通点が妙に頭にこびりついて離れない。現実的に考えてそんな事がある筈が無いというに、俺はもはやその考えが正しいと信じて疑おうともしなかった。
疑惑を完全なる確信へと変えるには確かな証拠が必要だ。しかしながら俺は仮にみょうじ少尉の秘密を握ったとして一体どうしたいのだろう。己の感情も明白にならないのに居ても立っても居られない。こんな事は初めてだった。
今年配属された士官の中でみょうじ少尉と鯉登少尉は特に人気を二分する存在だ。前代未聞だが同期でありながら二人とも士官学校を主席で卒業した銀時計組で、誰に対しても分け隔てなく接するみょうじ少尉と気高く士官を体現したような有り様の鯉登少尉。そして全く正反対に見えて幼馴染で莫逆の友でもある二人に、歩兵第27聯隊の中では「一体どちらの部下となりたいか」という議論に花を咲かせる事が最近の流行りであった。
正直に言って下らなかった。どんなに崇高な人間でも一皮剥けば所詮は同じ、汚い人間なのに。そう思わずにはいられなかった。
特にみょうじ少尉。
誰に対しても分け隔てなく接するその様は見ている者に錯覚を覚えさせる。「まるで人は対等なのではないか」と。
そんな事があっていい筈が無い。「俺たち」と「彼ら」は違う。それは彼らも同じく思っている事だろうに。
あの余裕ぶった笑みを剥がしてやりたい。聖人のような「うつくしさ」を壊してやりたい。そして人の子となったあの「男」に問うのだ。その本当の正体を。
「……みょうじ少尉」
「おや、尾形上等兵。奇遇だな」
みょうじ少尉が早朝の散歩を嗜んでいる事は、早々に掴めた情報であった。偶然を装い対面する事は赤子の手を捻るより容易かった。
「尾形上等兵も朝の散歩をするのか?私は幼い頃からの日課なのだが」
朝の清涼な空気のせいか僅かにも饒舌なみょうじ少尉に俺は曖昧に頷く。早朝の柔らかな風に撫でられたみょうじ少尉の頭髪は当然ながら兵卒とは違って柔らかそうで、毛先が風に踊っていた。
「今朝は妙に早く目が覚めまして。…………みょうじ少尉とご一緒出来たなら、妙縁かも知れませんな」
「はは、違いない。私も師団に配属されて日は浅いがこうして誰かに会うのは初めてだ」
柔らかく笑うみょうじ少尉は「完璧」だと思った。「完璧」な人間、「完璧」な士官、「完璧」な男。そこに綻びが有るなど、疑う方が難しい筈だ。本当に、よく騙したものだ。
「…………初めてお会いした時に、自分が少尉にごきょうだいがおられるか伺ったのを覚えておられますか」
「……ん?ああ、覚えている。私は『いない』と言った」
「ええ、そうでした。……ところで、自分の『兄弟』についての噂を、少尉はご存知ですか?」
俺自身知らずに構えたせいで、俺の声が冷たさを帯びた事に気付いたのか少尉は表情を引き締めて僅かに考えを巡らせるかのように視線を俺からずらし、またすぐに俺を見る。
「……そう、だな。聞いてはいる。先の戦争で戦死されたと。花沢勇作少尉には、私も一、二度程度しかお会いした事はないが」
気遣うような慎重な言葉に俺は唇を持ち上げる。知っているなら話が早い。
「ええ、花沢少尉の話はまたいずれ。自分が言いたいのはその事ではなく、少尉のごきょうだいの事です」
「私、の?だが私にはきょうだいは……」
「ええ、ですが少尉がご存知ないだけで、あなたにも『俺のような』ごきょうだいがいるとも限らない」
きっと俺は醜い笑みを隠せていないのだろう。みょうじ少尉の顔が目に見えて険しくなるのが分かった。
「……言っている意味がよく分からないな」
僅かに苛立ちを含んだみょうじ少尉の顔が痛快である。俺はその苛立ちを擽るように大袈裟に声を上げる。
「本当に?自分にはどうにも信じられないのです。己を『忘れるな』と宣うた少女の瞳は。……あなたの物とまるでそっくりだ」
「……っ!」
一段と落とした声を拾ったのは目の前にいるただ一人だけだったろう。鋭い目が俺を射抜く。何だ、そんな目も出来るのか、と少しばかり感心した。
「何が、言いたい?」
「いいえ、何も。俺が知りたいのは真実だ。あの夜、あの場所で。俺と相対したのが一体誰であったのか。あなたなのか、あなたではないのか。それさえ分かれば、……俺はきっと善き忠犬としてあなたに仕えられる」
正面から見据えるみょうじ少尉の瞳はやはり星屑を閉じ込めたようだった。高尚なその瞳が汚い物を見るように歪んでいる。それを成したのが俺だとすれば、それはそれは心地良い事のように思えた。
それなのに。
ふ、と星の瞳が柔らかく細まる。目を見開く俺に、みょうじ少尉は口角を上げて口を開く。
「君は私を試しているのだね」
「は……?」
底知れないみょうじ少尉の柔和な笑みが俺は理解できなかった。少尉は本当に少女のように微笑んでいた。
「覚えておいで。『真実』というのは人の数だけ在るという事を。君の捜している少女が私だったと言う真実を、君は探しているようだ」
煙に撒かれるような言葉遊びに苛立ちが募る。ざ、と音を立てて一歩踏み出す俺に、少尉は薄く微笑んだ。目は、笑っていなかった。
「軍での生活は君の方が長いから余計なお世話かとは思うが……。見たい物だけを見ていると本質を見逃してしまう」
では私はこれで。
余裕の表情でみょうじ少尉は俺の横を擦り抜けていく。残された俺は暫し、立ち尽くしていたのだが。不意に笑いが込み上げてくるのを抑えられなかった。
欲しい。あの瞳、あの人が。あの人が男か女かなど最早些末であった。ただ、欲しい。砂漠行く旅人の渇望のように、俺は強烈に欲しいと思った。
あの人の視線を感情を、ただ一人俺の物にしたいと。
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