津山を捕らえたという知らせが届いたのは夜の帳が落ちる頃だった。 みょうじ少尉が描いた似顔絵を基にそれらしい男を探していった結果、辿り着いた訳だ。正直に言って俺は少尉の目論見が当たった事に密かに舌を巻いていた。それはつまり、彼の事を侮っていたとも言えるだろう。
少尉の前に引き出された津山は普通、といった感のある男だった。これには少尉も僅かに驚きを隠せなかったのか、彼は形の良い眉を少しばかり跳ね上げた。
「怪我をしている」
「確保する際にかなり暴れましたので」
自身の前に引き出された津山を見た少尉は余り感慨らしい感慨を見せずに、呟き、俺が少尉の言葉に補足を加えると「ふうん」と、言った。どこか上の空のようにも感じられるその声がやけに耳を突いた。
「それでこれから彼をどうするんだ?」
細めた目からは何の感情も読み取る事が出来なかった。ただ、その態度はこれから津山に起こる事を何となくでも分かっているかのようだった。勿論俺も鶴見中尉も彼には何も言っていないけれど。
「鶴見中尉の許に送還します」
「……そうか」
眉を下げた少尉はしかし、長い睫毛を揺らしてから、少しばかり笑みの表情を作った。それは先程までの津山に対する複雑な感情とは少し別の感情から来る物のようであった。
「どうかされましたか」
「うん……。初任務を無事に終えられそうで嬉しい。父にそれを報告できる事が」
「忘れたい」と言う程の重責を、それでも果たそうとする青年に俺は何も掛ける言葉を見付けられず、居心地の悪さを誤魔化すように爪先を見た。その時だった。
「あっ、待て!!」
はっと、顔を上げた。そこには津山がいた。どうやら拘束を振り切ったらしい。片手には前山から奪ったらしい銃剣が握られている。そして津山の視線は一直線に俺に向いていた。避けられるだけの、時間は無さそうで、俺はせめて致命傷を避けようと、身体を捻った。
「月島軍曹!!!」
不意に、目の前に誰かが立ちはだかった。それがみょうじ少尉だと気付くより先に、銃剣が服と肉を裂く音が妙に俺の耳を突いた。
「少尉!!」
「っ、く……っ!」
どさりと倒れた少尉を支える。慌てて集まって来る兵卒たちに指示を与えようとした時だった。
「何をしている!行け、津山を追え!!」
それまでの柔和な雰囲気が一変する程に強い怒号を聞いた。鬼気迫る表情の少尉の腹から滲む血が段々と広がっていく。兵卒たちは慌てて津山の後を追う。そこには俺と少尉だけが残された。
「っ、ぐ……っ」
「少尉、いけません!傷口が開いてしまいます」
起き上がろうとする少尉の肩を押して押し留める。自身の傷を圧迫止血する少尉の手の上から、俺も傷を圧迫する。じわじわと溢れる鮮血が俺の手すらをも濡らした。
「服を脱いでください。今すぐ手当てします」
「は……、か、構わない……。大丈夫、だ」
顔を歪めて歯を食いしばる少尉はしかし、何故か服を脱ぐのを頑なに拒否した。その顔は既に失血が激しくて青褪めている。
「あなたは軽傷じゃない!否、放っておけば確実に失血死します。つべこべ言わずに服を脱げ!」
「っ、だが……っ、」
尚も逡巡する少尉に痺れを切らして、俺は少尉の服に手を掛けた。しかし、それを少尉の手が押さえた。
「っ……、触る、なぁっ。これは、上官、めいれ……、」
「煩い!命令だろうが何だろうが、ここであなたを死なせる訳にはいかない!」
押し留める手を無理やり振り払って、少尉の軍服を寛げる。唇を震わせた少尉に、俺はその意味に気付いた。血に染まるシャツでは隠し切れないその身体の稜線に。
「…………何も、言わないのか」
見られた事で観念したのか、身体の力を抜いた少尉は俺にされるがまま、抵抗を止めた。ありったけのガーゼで傷口を強く押さえれば、少尉は痛みに顔を歪めて低く唸った。まだ取り繕おうとする彼の、否、彼女の様子は俺に何を感じさせたのだろう。
「正直なところ、何を言えば良いのか迷っています」
少尉の傷は深くはあったが、致命傷ではなかったようで俺は取り敢えずも息を吐く。応急処置の止血をしてやってそれから兵卒たちが帰ってくる前に咄嗟に彼女の服を整えてやった。
「月島ぐんそ、」
「鯉登少尉は、この事をご存知なのですか」
困ったように眉を下げる少尉の顔を見て、今更ながらにそこに女を見た。凛とした雰囲気が消え、困惑した表情が出ればそこに残ったのは幼さだけで、俺は彼女の孤独を垣間見た気がした。
「知らない。この事は私と、私の家族しか知らない。だから……」
「黙っておけと?」
出した声は思ったよりも鋭くて冷たかった。びくりと少尉の肩が揺れたのが見えた。震えるように唇を引き結んだ少尉は、ゆっくりと俺と視線を合わせた。色素の薄い瞳の色が見えて、俺はその瞳が帯びる怯えに背筋が粟立つような気がした。
「みょうじの家のためだ。……何でもする、から」
その声が震えていたのは気のせいなのだろうか?「忘れたい」とまで言った家に縛られているのは、少し哀れにも思えた。
「……言いませんよ」
「え……?」
「あなたは私を庇ってこうなったんです。言うなればあなたは私の恩人という事になる。この事はそれで相殺しましょう」
阿呆のように目を見開いて驚きを隠せない様子の少尉に俺は口端を持ち上げた。
「鶴見中尉にも?」
「ええ、中尉にも秘密です。その代わり……」
何のつもりでそれを口にしたのか、自分でも分からなかった。それでも「彼」が女だと知っているのが、この集団の中で己だけだと知って急にお節介が湧いたのだ。
「もう少し、ご自分を大切になさってください」
「……あ、ああ。善処、する」
みょうじ少尉の照れたようなはにかんだ顔を不覚にも少し可愛いと思ってしまったのは墓場まで持って行く秘密だ。
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