鶴見中尉に呼び出されるのはこれが初めてではない。口先で俺を第七師団の「象徴」として祭り上げようとしている中尉にとってみれば、俺の御機嫌取りは避けては通れないのだろう。だが非常に珍しい事に、そこには付添いがいた。みょうじ少尉だ。
「これは、みょうじ少尉もいらっしゃっていたとは……」
「……私の事は構うな。居ないものと思ってくれて良い」
押し殺したような声に明朗さは微塵も感じられない。鶴見中尉に視線を遣ると、彼はみょうじ少尉を落ち着かせるように、その背をなぞった。みょうじ少尉の背が硬く揺れる。その触れ合いが、彼らの関係を特別な物足らしめているような気がして気分が悪かった。
「わざわざこのような場に、新米少尉殿を付添わせるというのですから何か意味があっての事でしょう?」
挑発染みた目で鶴見中尉を見る。その目に宿る光を歪ませてやりたいと、強く思った。
「みょうじ少尉」
「……はい」
俺の問いには答えず、中尉は傍らの少尉に目を遣る。何処となく、彼が傷付いているように見えた。酷く傷ついて、絶望しているような。
「尾形上等兵を、君に預ける」
「…………、私に?彼を?」
困惑仕切りのみょうじ少尉は俺に一度だけ視線を遣って、眉間に皺を寄せた。その反応は少し傷付くぜ。いくら俺でもな。
「しかし、彼は……」
「すまないが私は忙しい。今宵は君たち二人で親睦を深めてくれ」
「え、あの、中尉!?」
そう言ったきり、本当に中尉は中座してしまった。残された俺たちは、というより少尉は固く口を引き結んで押し黙っていた。
「みょうじ少尉」
その名を呼べば、「流星を閉じ込めた瞳」が俺を映す。視線は弱々しいが、俺の存在を認識している。
「そちらへ行っても?」
机を挟んで向かい側に居た彼の隣を指差す。僅かな逡巡の後、彼は首肯した。
隣り合って触れる肩から伝わる熱は、高いのか低いのかよく分からなかった。ただ、生命の温度がして、俺は一瞬まだ何も知らない幼い頃に戻った気がして、首を振る。
「尾形、上等兵……」
みょうじ少尉の声が震えていた。
「声が震えている。……俺が、怖いですか?」
「……わから、ない。なに、ひとつ。私は、」
長い睫毛が彼の顔に影を落としている。瞬きする度に震えるその毛先に、僅かに滴が纏わり付いていた。
並んだ指先に、己の物を絡めたのは衝動に他ならなかった。少尉は逃げようとしたけれど、俺の方が早さも力も上手で、少尉は困惑顔で俺を上目に見詰めるだけだ。
「以前、『星屑の瞳の少女』の話をしました」
唐突な俺の話に、少尉は目を細めたけれど俺は続けた。続けないと言葉を見失いそうだったから。
「俺はあの少女があなたなのではないかと思って、その答え合わせをしようと思ったのです」
「…………それは、わたしでは、」
弱々しい否定を指先で封じる。指先に感じる少尉の唇の感触はどの女のそれよりも情欲を煽る気がした。
「ですがそれはもう、瑣末だ。あなたがあの少女かどうかなど、最早、どうでも良い。あなたが男だろうが女だろうが俺のする事は変わらない」
「君の、する、こと……?」
眉を寄せ、訝しげに呟く彼の顔は背筋が粟立つものがあった。彼は気付いているだろうか?俺が絡めた彼の指に、弱々しくも今や縋るように彼自身の力が籠っている事に!
その指を取って恭しく口付ける。肩を揺らして手を引こうとするのを押し留めて俺は彼とはっきりと目を合わせた。
「俺はあなたを解放する事ができる。尉官からも、第七師団からも、みょうじ家、否、みょうじなまえからも」
「、!」
振られるかと思った提案は、存外彼に浸透しているようだ。彼は俺に取られた手に少し力を入れて、俺の指を曖昧に握った。視線が絡み合う。彼は、眉を下げて微笑んでいた。
「君は、何処まで知っていて、そんな事を言うんだろう」
「一兵卒の俺が知っている事は少ないかと」
「そうだね。でも、時折私は私の周りの人は全て知ってしまっているのではないかと恐ろしくなるんだ」
困ったように笑ったみょうじ少尉は深く息を吐くと俺に向き直った。星屑の瞳には僅かな翳りが見えた。
「ありがとう、尾形上等兵。『私を忘れないでいてくれて』」
「……俺は俺のやりたいようにやるだけです」
「そうか。……それは良いな」
迷いを帯びた白くて細い指先が俺の頬をなぞる。その指先の熱の温度はやはり分からない。少し迷って手を重ねると少尉ははにかむように笑った。
「私は思い切りが無いから、君のような部下がいると心強いよ」
緩く笑まれると信頼を与えられた気がしてむず痒い。さり気なく視線を外したが、どうやら少尉にはお見通しらしい。少尉は少女のように声を上げて笑った。
「それ程笑う所ですか」
「否、君は存外素直な所があるのだと思って」
「俺はいつでも素直なつもりですがね」
俺が肩を竦めると少尉は眦に浮かんだ涙を拭って小さく息を吐いた。その横顔を見る。帯びていた翳りは少しでも取り払われただろうか。俺の視線に気付いた少尉は何の衒いも無く俺を見詰めた。何も言えず俺もただ、彼の目を見ていた。
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