ひたすらに、ナマエは眠っていた。もう目覚めないのではないかと心配になるくらいに。俺はずっと傍らに座っていた。その小さな手を握って、彼女の顔を見ていた。その胸が小さく上下する事に確かに安堵していた。
ナマエは時々魘されるように顔を顰め、身を捩った。俺はその度に手を握り、肩を撫で、髪を梳いた。ナマエの呼吸が再び落ち着くまで。
それからどれくらい経っただろう。少しずつ窓の外の光が小さくなっていき、部屋に明かりを灯した頃だろうか。不意にナマエの長い睫毛が揺れて灰色の瞳が目蓋の下から現れる。彼女は見慣れぬ部屋をきょろきょろと見回した後、俺に目を止める。
「ヴァシリ……?」
「ナマエ、気分はどうだ?」
揺れる瞳はまだぼんやりしている。ナマエの前髪を掻き分けて額を出し、俺は手を当てる。その額は昨夜よりは下がっていたものの、まだ熱い。俺の手の温度が気持ち良いのかナマエは目を細めて息を吐いた。
「朝より、大分らくになった」
「そう、か。良かった」
安堵から肩の力を抜く俺にナマエは申し訳なさそうな表情を見せる。力無いその表情には大きな疲れが見えて、心苦しくなった。ナマエが気に病む事は何もないのに。
「ごめんなさい、迷惑かけて」
「良いんだ。俺はナマエに頼られたい」
「…………ありがとう」
沈黙が落ちて、微妙な空気が部屋を支配する。何か言わなければ、と思った。この場を和ませる何かしらの言葉を。そう思っていたのはナマエも同じだったらしい。
「ヴァシリには、お世話になりっぱなしだね。本当に、ありがとう。迷惑かけてごめんなさい」
ナマエの白い指先が伸びてきて俺の頬に触れる。柔らかくて少し熱いその指先を追って、俺はそれを捕まえた。口が勝手に言葉を紡いでいた。
「全ては俺がナマエが好きだからだ。ナマエが好きだから、俺に出来る事ならなんだってする。それだけなんだ」
「ヴァシリ……」
「今言うべきじゃない事なんか百も承知だ。だが、俺は狡いから。……最低だと罵ってくれて良い」
困惑の表情のナマエが眉を寄せるのが、はっきりと見えた。自分の想いがナマエを困らせている事に今更気付いて、俺は僅かに後悔した。
「すまない。忘れてくれ」
「ヴァシリ……、あの、」
「俺の事なんて、気に掛けなくて良い。今はただ、療養して元気になってくれればそれで良いんだ」
捕まえたナマエの手を毛布の中に戻してから、俺は自然に彼女から距離を取る。それがまるで今の俺とナマエの心理的な距離を表しているかのようで、苦々しく思う。
「着替えと、食事を取ってくる。薬もあるから、食事の後で飲むんだぞ」
「あ、ヴァシリ……っ」
ナマエが呼び止めようとしているのを遮って、俺は自室を出た。それでもドアの前から動けない。早く行かないといけないのに、足は鉛のように重く動かない。どうしてあんな事を言ってしまったのだろう。今言うべき事ではなかった。ずっとずっと秘めてきた、大切な感情のはずなのに。それなのに、あんなに簡単に口にしてしまえるなんて。
この想いを否定されたら、俺はどうなってしまうのだろう。それを想像するのが恐ろしい。
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