ただ幸せであれと祈る

2人で抱き合って眠った俺のベッドは狭くて、それなのに心細い程に広かったから、俺たちは互いを求めるように隙間なく身を寄せ合った。

ナマエの眦から止め処なく流れる透明な雫を、どうしたら拭えるのかそればかり考えていた。腕の中の低い体温の塊が愛おしくて哀しくて仕方なかった。

小さな寝息が漸く聞こえて俺は静かに息を吐いた。俺の胸に身を寄せて頼りなく息をする彼女を、守りたかったのに。俺は何も出来ないでいる。

そっと彼女の寝顔を盗み見る。泣き腫らした目が痛々しくて、俺はその目蓋に密やかに唇を落として目を閉じた。眠りたくなんてなかったのに、身体は正直に俺を眠りの渦へと誘った。

夢を見た気がした。ナマエとナマエの大切な人たちと俺と俺の大切な人たちが幸せに暮らす夢。本当に、そうなれば良いのに。頭の中でこれが夢だと気付く度にそう思った。ナマエがずっとずっと笑顔でいてくれたならと。

目が覚めたのは寝付いてから3時間も経っていない頃だった。未だ空は明けずナマエも未だ寝ていた。その眦に残った涙の粒が、すぅ、と頬を伝って落ちた時。

嗚呼、俺はナマエの事を愛しているのだと確かに思った。この存在を、俺の全てを賭して守りたいと思っているのだと。

嫌な夢でも見ているのか寝苦しそうに身を捩るナマエの小さな身体を抱き締める。さっきよりもずっと暖かいその塊に安堵して、命の尊さのような物を感じた。

軍の学校に行く俺は、これから人を殺す事になるのだろう。命の尊さを知ったこの腕で、祖国の敵を屠る歯車になれるのだろうか。俺はそれ程に非情に。

なれると、思った。ナマエの笑顔をまもれるのなら。

たとえどんなに地獄を見たとても、それがナマエの笑顔を守る事に繋がるのなら。ナマエとナマエの大切な人と俺の大切な人たちが幸せに暮らせるのなら。

夜半の誓いを君は知らないだろう。俺も言うつもりはない。ただ、忘れないだけだ。ナマエの濡れた頬を。大粒の涙を。この温もりを。

いつの間にか身体は心地よい温もりを抱えて、正直に微睡みへと向かう。俺の腕の中のナマエが僅かに身動ぎした。

幸せな夢を見ているのだろうか、その口許が僅かに笑みの形に緩むのが暗い夜に俺が最後に見た事実だった。

***

朝起きて、目の前にナマエがいた事に驚いて昨夜の出来事を思い出した。ナマエの目許に残る乾いた涙の跡を、痛まないようにゆっくりと拭う。彼女の長い睫毛が震えて灰色の瞳が覗いた。

「ん、ヴァ、シリ……?」

「ナマエ、……おはよう」

ナマエは目の前にいるのが俺だと分かると恥いる事も無く、俺の首に腕を回す。首筋に当てられたナマエ小さな額から伝わる熱は少し、否、かなり高かった。

「っ、ナマエ……!?」

「ん……」

熱い。慌てて彼女の額に手のひらを当てると、伝わってくるのは明らかな彼女の異常であった。

「ナマエ、すぐに医者を呼んでくるから」

「…………いら、ない」

「だが、」

「いかないで」

俺のシャツの裾を握って、不安げに揺れるナマエの瞳を隠すように手を当てる。伝わってくる高い熱を俺の幾分冷たい手が吸い取ってくれれば良いのに。

「ナマエには、医者が必要だ。あと、栄養のある食事も。約束する、すぐに戻ってくる」

熱に浮かされた彼女には、もう俺の言葉は意味のある物として聞こえていないのだろうか。ナマエはああ、ともうう、ともつかない声をあげて握っていた俺のシャツを離す。

恐らくもう起きているだろう両親に医者と食事の手配を頼み、俺は新しい着替えを持って部屋に戻る。

ナマエは出て行ったきりの体勢で毛布に包まっていた。熱が高いせいか、触れた所全てが熱い。

「……ナマエ、着替えよう。身体を起こすぞ」

「ん、ゔぁ、しり……」

ぼんやりと俺を映す瞳に映る俺は、眉を寄せていた。俺すらも、俺の表情らしい表情など数える程しか見た事が無いのに、きっと彼女はこれからも何度も見るのだろうな、と思った。

「1人で出来るか?」

「ん…………てつだって、」

全幅の信頼を置かれているのか、或いは熱に浮かされているせいか。ナマエは無垢な目で俺を見る。頷いて、ベッドに腰掛けてナマエが衣服を脱ぐのを手伝っていく。白い肌に触れる度に、心臓が僅かに上擦った。

着替え終わった服を持って行こうと部屋を出ようとしたら、ナマエの細い指が俺の服の裾を掴む。か細い声が「行かないで」と震えた。

「……わかった、いる。ナマエが寝るまで」

「ねても、ずっといて……、ずっと、そばにいて」

背中に感じる熱は弱くて、俺は拒もうとも思わなかった。ベッドサイドに椅子を置いて、そこに座った。眠るナマエの手を握って、ただひたすらに、ナマエの幸福を祈った。今の俺にできるのは、それだけだと思った。

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