触れると壊れてしまうもの

どうしてだろうか。なまえが時々、泣いているような、そんな気がしてならなかった。あいつはそういうのを巧妙に隠すような気がするし、出会ってまだ日も浅い事もあって俺は今まで一度もなまえが泣いている所を見た事がないけれど、それでも何故だかそんな気がしたのだ。

それは俺の中では憶測よりも確信に近かった。今まで何度も見て来たからだ。彼女が、なまえが、村の餓鬼連中から揶揄われているのを。否、俺はそれを「揶揄い」と表現するしかないけれど、あれはどう見てももっと酷いものだった。

原因は分かる。村の大人たちだ。俺も経験したからよく分かる。あいつらは少しでも自分と違うもの、それを排除したがる生き物だった。俺やなまえを、村の大人たちはまるで腫れ物に触るように扱った。それでいて、俺たちの背後で、あいつらは嗤うんだ。

村の餓鬼連中はそんな大人たちを見て育つから、覚えたばかりの意味も知らない言葉を平気で俺たちに投げつける。それに俺たちが何も言い返さないからと言って、囃し立て、喚き立て、騒ぎ立てる。

俺は知っている。あいつらが俺の事を何と呼んでいるか。なまえの事を、何と呼んでいるか。あいつらは、知らないのだろう。俺が「それ」を知っている事を。知っていて何も知らない振りをして、傷付くことまで見て見ぬ振りしているのを。大人たちはきっと自分たちが巧妙に悪意を隠していると思っている。そんな事、ある筈が無いのに。

なまえはどうなのだろう。俺はあいつの泣き顔なんて見た事は無かったけれど。それでも俺はなまえが泣いているような気がしてならなかったのだ。俺の唯一の理解者になれるかもしれない、あいつが。なまえが。

***

「っ、百之助……?」

それを知ったのは偶然だった。いつものように暇を持て余していた俺だったが、どこを捜してもなまえがいなくて、僅かに苛立ちを感じながら、二人の「秘密の場所」に向かった。もしかしたらなまえも、そんな思いを抱えて少しながらも期待しながら、俺は草むらを掻き分けてそこに来た。そんな、よくありそうな一日の筈だった。

「……なまえ……?」

そこには俺の思った通りなまえがいた。ただ、俺の想定外だった事は、彼女が泣いていた、という事であった。否、涙自体は見せてはいないものの、目は赤く、腫れた目蓋に涙に濡れた声はどこからどう見ても彼女が泣いていたのだろう事を俺に示した。

「お前、どうした……?」

泣いているのだろうと予想はついてもいざ、目の前で泣かれてみると俺は何を言えば良いのか分からなくて、出て来たのはそんな、愚にも付かない何の役にも立たない言葉だけだった。なまえもきっと、それを分かっていた。彼女は急いで笑顔を作ると首を振った。

「何でも無いよ」

「は……、何でも無い事ないだろ?だってお前……」

近付いて、彼女の肩を掴む。俺はなまえにどう映って見えただろう。きっと取り乱して、酷くみっともなく見えた気がする。でもそんな事はどうだって良かった。俺はきっと。

「大丈夫、だよ……。ちょっとだけ、悲しかっただけで……」

「……じゃあ、それを俺に話せよ。それとも、俺には言えないか?」

「そういうんじゃない、けど。百之助が、嫌な思いをすると思う、から」

俯いたなまえの髪の香りがふわりと漂う。こんな時なのに俺はその髪の柔らかな香りに安心してしまって、なまえの言葉の続きを促す勇気を得た気がした。

「良いよ。全部話せ。俺に隠れて、もう、泣くな」

俺に何の権限があって、とか、なまえの事なんて何も知らないだろう、とか、彼女から貰った僅かな勇気を挫く言葉が足早に脳裏を過ぎったが、それでも俺がその言葉を撤回するよりも先に、なまえが思い余ったように俺に抱き着く方が早かった。

「っ……!」

「……ぅ、ひゃく、のすけ……っ」

堰を切ったように泣き出すなまえの細くて柔らかい髪を、俺はぎこちなく撫でた。昔、本当に記憶も曖昧な昔に、そうやって誰かに撫でられて安心したような気がしたのだ。百之助、百之助と俺の名を呼ぶなまえに俺も応えるように彼女の頭を撫でる。大丈夫だ、ここにいると、言ってやりたいのに喉は詰まって声は出なかった。

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