喰い殺した雛鳥

俺を見上げる大きな瞳が俺に無言の圧力をかけて来る。そちらの方を見たら最後だと、決して彼女の方を見るまいと頑なに視線を外す俺を覗き込むように、その娘は首を傾げた。黒灰色の大きな瞳は知性的な光を湛えており、たとえ視界の片隅にしかなかったとしても彼女の父親に良く似た色だという事は容易に判別された。

「あなたが、月島さん?」

高過ぎず低過ぎない、子供にしては聞いていられる音量と声域を持って発せられたその言葉はやけにこちらに興味があるようにそわそわとした響きを持っている。少し気になって瞳を彼女の方に巡らせたのが悪かった。目合わせた彼女の瞳はしてやったりとでも言うように三日月に細まった。

「あなた月島さんでしょう?父が話しているのを聞いたわ」

俺との根競べに勝利した事がそれ程嬉しいのか得意そうに笑ってから、確信を持った声で俺を誰何する彼女にため息を吐いた。鶴見中尉が早く帰って来ないものかという嘆息のつもりで。俺を呼び出しておいて席を外した中尉が手慰みにと残していったのが彼女だった。どちらのそれかは分かった物ではないが。俺のため息にまた笑みを深めた(しかし不思議と聞き分けの無い子供であるとか糞餓鬼といった感じが出ないのは矢張り育った「家」が理由か)彼女は俺の隣に座っていた身を乗り出して俺の顔を見上げた。

「本当に父の言っていた通りの人みたい」

「……俺の事を中尉が、何と?」

「内緒よ。父に直接聞いて」

前言撤回、もしかしなくとも腹立たしい子供かも知れない。一瞬とは言え不快を露にした表情をしたのを娘は見逃さなかったのかくすくすと小さく笑って「悪い事は言って無かったと思うけど」と付け足した。それから娘は俺の様子を観察するように俺の顔を、俺の目をじっと見た。見透かすようなその瞳は彼女の瞳の色が余りに濃く、煌めいているせいで酷く居心地が悪く、しかしかと言って逸らす訳にもいかず、俺はその黒灰色を見詰め返した。

「……あなたは違うのね」

「は……?」

不思議そうに首を傾げた彼女は当然のように口を開いた。

「今まで父に褒められたって聞いた人は凄く嬉しそうにしていたわ。でもあなたは違うのね。感情は秘めてこそ?」

「…………軍人は質素第一とされております。浮ついた感情は、」

「ん……、別に素直にどうでも良いって言えば良いのに……」

勅諭を持ち出した俺に呆れたように嘆息した彼女は、しかし気を取り直したように微笑んで俺の隣に本格的に腰を下ろす。中尉はまだ帰って来ないのか。

「私の事を知っている?」

唐突にそう聞かれて、俺はちら、と娘の方を見た。娘は俺の方を見てはいなかったが意識の矛先は俺の方を確かに向いていて、彼女は俺の返事を待っているようであった。

「お名前くらいですが」

「そう、鶴見なまえと申します。初めまして、月島さん」

平坦な声で自らに与えられた名を開示するなまえの口調は面白くもなさそうで、事実彼女は唇を尖らせて拗ねたような顔をしていた。感情の起伏の激しい子供だと、俺が内心で辟易していると彼女は行儀悪く卓に頬杖を突いて深く息を吐く。

「私あなたが信じられないわ」

「はあ……、それはまたどうして」

要領を得ない言葉に怪訝な顔をする俺に、なまえは目を伏せる。彼女の長い睫毛が、その端正な顔に影を落とすのを見て俺はこの娘の十年、いや五年後を想像してみた。きっと男を良く誘惑する美しい娘に育つに違いない。

「だって、あなた父に褒められるっていう事がどういう事か分かってないみたいだから」

詰まらなさそうに、恨めしそうに、そして僅かに悲しそうに、なまえは俺を見詰めてそれから唇を引き結んだ。躊躇っているようなその表情は、先ほどの自信に満ちた佇まいとは百八十度違っていた。

「私は、あの人に……、褒められた事なんて無いのに……」

それが娘の、なまえの本心であったのかどうかは分からない。ただ、その声音は妙に俺の奥底に浸み込むような音だった。それきり黙ってしまったなまえがつい、気になって横目で彼女の方を見た俺であったが、彼女は相変わらず顔を伏せたままでその表情は判別が付かない。ただそれでも、なまえの纏う雰囲気のような物が重くなった所を見ると、ある種それは彼女の本心なのやも知れなかった。

「……なまえさん、」

「済まない月島軍曹、待たせたな」

何事を掛けようと思ったのだろう。嘘か誠かも分からない彼女のその声音に、俺は何を言い掛けたのか。それを見出す前にあれだけ帰りを待ち侘びた鶴見中尉が再度障子の向こうから現れた。なまえの方を見れば、彼女は先ほどの空気など無かったように感情を読み取らせない表情をしていた。微笑みのようでもあり、無表情のようにも見えた。

「娘のお守りは面倒だっただろう、手間を掛けさせたな」

「お父様、月島さんは私に凄く優しくしてくださったわ」

「では月島軍曹に礼を言いなさい」

そこにあるのは紛う事無き父と娘の会話の筈なのに、俺にはどうしてかその会話が薄氷を踏んで歩くような、そんな手探りに見えて仕方なかった。俺に向き直ったなまえは「ありがとうございました、またお話してくださいね」と柔らかく言葉にすると綺麗に一礼する。それは教育を受けた「士官の娘」そのものであった。生まれながらに選ばれたはずの娘が吐露したあの言葉が果たしてあの娘の本心なのか、策略だと割り切ってしまえば良いのに、それをするにはどうしても彼女の声音が邪魔だった。

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