幸福な子

夜分が主なお勤めの場である私にとって昼日中は貴重な安息の時間帯でもある。時折お盛んな若い連中が真昼間から店の敷居を跨ぐ事も無きにしも非ずではあったが、基本的に世間はそれ程暇ではない。世間様があくせく働いている間、私たちは束の間の休みを得るという訳だ。

とは言え休みなどあったところで出来る事は限られている。例えば昨日の晩に汚した身体を清めたり、乱れた髪を結い直したりしていたら時間なんてあっという間に経ってしまう。後は空き腹に軽く何か入れたり、昨日の客の愚痴なんかを言い合って終わりだ。世の娘のように買い物に行ったりだとかそんな事は夢のまた夢、たとえ認められたとしても滅多に無い事であった。

でも時々、本当に時々ぽっかりと時間が空く時がある。それは予想外に髪結いが早く終わった時であったり、昨日の晩の客が存外に悪い客ではなくて零す愚痴も見つからない時だったりと場合は様々であったが、兎に角仕事の前に僅かな時間が出来る時が時にあった。

そしてそんな時、私は決まってあの手布を取り出して胸に抱いた。それは今や私と彼の救い主とを繋ぐ唯一つの証であった。死のうとした私が手首に付けた傷は浅過ぎたのか、或いは切り方が良かったのかとっくの疾うに消えてしまっていたのだから。

この手布を抱いていると勇気が湧いて来る。今夜もお勤めを頑張って、明日の朝を迎えようと思えてくる。明日の朝を迎えてそしてそれを繰り返していつか、私の救い主にこの手布を返す事が出来るまで生きていようとも。この手布は、そして彼の救い主は、文字通り私の生きる意味であった。

きっと彼がいなければ、私は今生きていないだろう。きっと彼がいなければ、私はここに来るまでに死んでしまっていただろう。人はこの世界で生きる私を不幸だと言うかも知れないが、私には外野の声などどうでも良かった。

私はあの時、あの少年の言葉によって生かされ、そしてあの少年との約束を果たすために今日まで生きてきたのだから。

そしてだからこそ、私はこれを必ず彼に返さなければならないのだ。これを「大切なもの」だと言っていた彼はきっと今もこれを探しているに違いない。そっと開いた手布の縁に刺繍された「平之丞」というのが彼の名前なのだろうか?口の中で何度もその名を呼んでみる。

不思議な事にその名前は記憶の中の彼に馴染むような馴染まないような不思議な感覚を私に与えた。もしかするとこれは彼の名前ではなく、彼の誰か大切な人の名前なのかも知れない。想像は膨らんで、私にふわふわとした感情を呼び起こさせる。彼の事を考える時、私はいつもこんな調子だ。あたたかくて柔らかな気持ちになって、自然と顔が緩んでしまう。だから、もしいつか彼と再び見える事があったなら、その時は彼の名前を聞こう。今までずっと探してきた呼び名の答え合わせを。

どんな名前だったとしても、きっとそれは綺麗で素敵な音に違いないのだから。

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