愛し愛しと云ふ心

私に近付く人間には大きく分けて二種類に大別される、と私は考えている。一つは私自身に興味を持っている人間。これは扱いやすい種類の人間である。私の一般よりは優れていると思われる見目やステイタスに群がる人間だから、私は彼らの望むように振る舞いつつ、私の要求を通していけば良い。

厄介なのは私の父に興味を持っている人間である。父は私とは独立した個体である訳だから、当然私の意のままには動かない。むしろそういう事ばかりだった。だから例えば父に取り入ろうとして私を利用しようとする者を逆に私が利用しようと画策する時、私は父の行動も計算に入れながら彼らの相手をしてやらねばならなかった。

そういう意味では私の愛人は簡単な相手のようで厄介であった。

手紙を書いたのは特に何か意味がある訳ではない。そういえば最近会っていなかったからそろそろご機嫌伺いでもしなければならないかしらと思ったからだ。簡単な時候の挨拶と、父に贈り物をしたいから買い物に付き合って欲しいという用向きを添えて、後は少しばかり会えなくて寂しいと文末に零せば、返信は思ったよりも早く二日後に届いた。

厳つい見た目には似合わず、存外に繊細な字を書く彼は私の愛人であった。勿論それを公然とひけらかす訳にはいかないけれど、私たちの関係はある程度の所まで(肉体的な関係は除いて)進んでいたから、まあ、愛人と呼んでも差し支えなかった。

彼は何が目的なのか私に良く尽くしてくれる。父に心酔しているようであるから、きっと私では無くて私の背景を見ているのだろうけれども、その尽くし様は私を見ているのではないかと時に私を錯覚させた。

だからこそなのだろうか。私は彼を嫌いにはなれず(今まで父に近付くために私を利用しようとした人たちとの関係は、どれだけ有用だとしても嫌悪感が湧いて暫くすると切ってしまっていたのだが)、私には珍しく彼との関係は長続きしていた。

「なまえ嬢」

「おじさま!お会いしたかったわ」

いつもの軍服ではなくて、より砕けた衣服を身に纏った彼、私はおじさまと呼ぶ、は駆け寄って抱き着く私を苦笑を零しながら受け止める。

「人目がある所では勘弁してくださいよ。俺が貴女のお父上に叱られる」

「あら、私に嫌われるよりも父のお説教の方が怖いのかしら」

肩を竦めて不満そうな顔をすれば、おじさまは慌てたように、そして阿るように私の表情を窺いながら「なまえ嬢に嫌われるのは御免ですよ」と言った。

「じゃあ今度旅行に行きましょう。おじさまが父に許可を取ってね」

「勘弁してくれ」

取るに足らない他愛も無い話をしながら私たちは自然と手と手を絡め合って歩く。私が手を差し伸べた訳でもおじさまが手を取ってくれた訳でもないのに、私たちは気付けば手を取り合っていたのだから誠に面白い物である。

「それで、鶴見中尉に何を贈るんです?」

「何にしようかしら。父は和菓子が好きだから和菓子かしら」

ついでにお茶をしていきましょうよ、とおじさまに身体を寄せれば、おじさまは態とらしく咳払いをして「承知しましたよ」と照れたように私から視線を外して見せた。

おじさまのこういうところが私は好きだった。父が目的なのに私にそう気付かれないように振る舞おうとするところ。片手間じゃなくて本気で私の気を引こうとしてくれるところ。優しくて、そして残酷だと思う。

言い様の無い感情を伝えるようにおじさまに取られた手に少し力を込めれば、大きな無骨な手はそれに気付いたのか優しく握り返してくれた。

私たちの手は甘味処に着くまで絡み合ったままで、往来を行く人たちは私たちの事をどう思っただろうと考える痛快さに笑みを零せば、美しく繊細に象られた練り切りをしげしげと眺めていたおじさまがこちらに視線を遣した。

「どうしたんです」

「いいえ、何でも無いの。私たちの関係を誰かに見られてたら何て思われるかしらって考えていただけだから」

「……へえ、見られてまずい相手でも?」

「まさか!私の愛人は後にも先にもおじさまだけだわ」

くすくす笑いを零せば、おじさまは少し胡乱な目をしながら、肩を竦める。

「…………、ぜ」

「なあに?」

「……何でもないですよ。ほら、ちゃっちゃと贈り物を選んじまいましょう」

聞き取れなかったおじさまの言葉を聞き返しても、彼は教えてくれる事はなく、結局私はお饅頭とカステラとおじさまが眺めていた練り切りを幾つかとそれからお茶のお稽古に使うお干菓子を購入した。おじさまのお財布で。

「私だってお金くらい持っているわ。私のお買い物に付き合わせてしまったのに、おじさまがお財布をお出しになる必要は無かったのよ」

お茶を済ませて(ここのお代もおじさまが持ってくれた)帰路に着く私とおじさまだったが、私は唇を尖らせる。借りを作るのは私の、ひいては父の弱みになる事だ。それなのに私の内心を知ってか知らずか、おじさまは余裕そうに唇の端を持ち上げて「俺もそれなりの給料取りですからね」と嘯いた。

「でもだからって……」

「そんなに申し訳なく思ってくれるなら、なまえ嬢。一つ頼みを聞いちゃくれませんかね」

がつん、と頭を殴られたような気がした。遂にその時が来たのだと思ったからだ。私を見ているフリをしていたおじさまが本性を、父に取り入る俗悪な大人の顔を見せる時が。

動揺を悟られたくなくて鷹揚に頷いたつもりだった。出来てはいなかったかも知れないが。

「私に出来る事なら、」

そう口の中で呟いた時には私に大股で近寄るおじさまがいて、驚いて一歩下がったけれどすぐにまた距離を詰められて、結局どこかの家の塀に背を預けるまで逃げ続けたのは無意味だった。おじさまは私との距離を大股一歩で詰めた。そして私の頭上にそっと手を置いた。おじさまの顔がずっと近くなった。

「あの、おじさま、……?」

身長差のある私とおじさまではこの体勢はまるでおじさまが私を囲って逃げられなくさせているようで、こんな事は正直慣れっこだった筈なのにおじさまの妙に真剣な顔が私をそわそわとさせた。

「……俺にはもう、飽きちまいましたか」

「……、どういう意味かしら」

「新しい駒を手に入れたって聞きましたぜ」

「だから何の、んっ、」

何の事か分からず聞き返そうとした唇を塞がれて、言葉にならない声が鼻から抜けるように出て行く。おじさまが持っていた甘味処の紙袋ががさ、と耳障りな音を立てるのが聞こえた。

唇を食むような行為が何度か繰り返され、それから舌でなぞられる。今までにだって何度もしてきた行為だったのに、妙に背筋がざわついていつの間にかおじさまの身体に縋るように身を寄せていた。

「っ、おじさまったら、急にっ、」

「なあ、教えてくれませんかねえ。新しい駒の『具合』はどうなんだ?」

「だから何の……、駒?」

面白くなさそうな顔で唇を引き結ぶおじさまに記憶を辿ってみる。駒、とか、飽きた、とか。おじさまの言葉に思い当たる節といえば。

「もしかして百之助の事?」

「…………」

面白くなさそう顔がさらに険しくなったところを見ると当たりなのだろう。つまりおじさまは私に新しい駒、もとい愛人が出来たと思っている……?

「……ふ、」

「なまえ嬢?」

「ふふ、あは、あははははっ!」

いきなり笑い出した私に怪訝な表情をするおじさまが急に可愛らしく、愛おしく感じるのだから我ながら現金なものだ。

さて、この不貞腐れた私の愛人の機嫌をどう直そうか。

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