演者は揃う、幕が上がる

百之助が大怪我をしたと聞いた。なんでも崖から川に落ちて腕を折って顎を割って低体温症でと散々らしい。見舞いに行きたいと父に申し出てみたけれど当然軍人でもない私を父が軍の建物に入れてくれる筈も無く、仕方なく私は他の手を考える事にした。別に父の筋の伝手を使わなくとも、私には他にも伝手はあるのだから。

まずは私の愛人(と私が勝手に言っているだけだが、相手もそれを否定しないのだから別にどうとも思ってないのだろう)に頼もうかと思ったのだが、彼は先の戦争で負傷して今は登別で療養しているのをすぐに思い出した。この間手紙を貰った時には傷は大分癒えたと書いてあったのでもうそろそろ会えるのではないだろうかと踏んでいるが、とにかく今彼にはこの場を何とかする力は無い。

次に思い付いたのは鯉登家の御曹司だったが、彼は士官と謂えどもまだ入隊して日が浅い。それに私が陸軍病院に見舞いに行きたいなどと言ったらその理由を散々問い詰めそうだ。男に逢いに行くなんて言った日にはそれこそ父に言い付けられそうだ。という訳で彼も却下。

そして遂に思い出したこの場を何とかする力を持った最適の人が彼だったという訳だ。

「という訳で、百之助のお見舞いに行きたいんですけど」

「それを俺に頼んで、あなたのお父上に俺が言い付けないと思いますか?」

「じゃあ、月島さんは愛し合っている私たちの仲を引き裂くのね」

「どうしてそうなるんだ……」

はあ、と呆れたようなため息を吐く月島さんは弱ったように顔を顰める。まあこの反応は大体予想していたので私もそれ程困らない。少し小首を傾げて胸の前で手を組んでみる。この間読んだ雑誌に載っていた小説に出て来た女の子がこうやって相手を誘惑していたのを思い出したのだ。上目に月島さんの瞳を見詰めてみれば、彼は私の目を見返したが、根負けしたように肩を落として息を吐いた。

「その恰好は兵舎に入るには不適切です」

「……!大丈夫です!もう男の子の服は持って来ているの!」

私の言葉に月島さんが再び呆れたようなため息を吐いたのは言うまでもない。いそいそと男物の服を取り出して見せた私に月島さんは頭の痛そうな顔をしたけれどそれでも私が着替える為に席を外してくれた。思うにあの人が父に良いように扱われていないかが心配である。

「これでどこからどう見ても立派な男の子ね!」

洋装は着慣れていても、矢張り女物と男物では勝手も随分違っていて何だか不思議な気分だ。父や月島さんや百之助がいつもこんな服を着ているのだと思ったら少し可笑しい。くすくすと笑っていると月島さんははあ、とため息を吐いて私に軍帽を投げて寄越した。

「そのように髪の長い男子はいません。せめて帽子の中に隠せませんか」

「それもそうね。…………、こうでいいかしら?」

結っていた髪を解いて高く結い上げてから纏めて帽子の中に隠せば、月島さんは渋々といった様子で頷いてくれた。

「病室に入るまで、絶対に口を開いてはいけません。声を聞けばあなたが兵舎にいて良い人間だとは誰も思いませんから」

「はあい」

にこにこと微笑めば、彼は更に渋い顔をしてはあ、とまた深い息を吐いた。早速月島さんについて陸軍病院に行けば、そこは思ったよりも綺麗で明るいところだった。もっとじめじめした薄暗い陰気な所を想像していた私はつい、きょろきょろと辺りを見回してしまう。

「……きょろきょろしないで下さい。目立ちますから」

「はあい」

うっかり声を出してしまった事に気付いて口を押さえたけれど、月島さんは聞き漏らさなかったようで私を睨む。それから私を先導して、ある部屋の前に私を誘った。

「ここです。俺が暫くの間は見張っていますから手早く終わらせて下さい」

「本当にありがとう。やっぱり月島さんは良い人だわ」

「そう思っているならここで余計な口を開かないでくれ……」

うんざりしたような顔にうっかり笑ってしまって、また睨まれてしまう。その視線から逃れるように百之助の病室に入れば、そこにはベッドに横たわっている百之助がいた。予想していたよりも酷い様子で。

「百之助……?」

「……?……、」

父の話を何度か盗み聞いて、彼がもう峠は越したとは聞いていたけれど、それでも矢張り顎を割ったのは相当大きな怪我だったのだろう。彼の顔は大きく腫れていて口を開く事は難しそうだった。

「えっと、お見舞いに来たわ」

「…………」

指で手招きされて近付く。ベッドの縁をぽんと叩かれたので頷いて座れば彼は私の手を取って指で何か文字を書き始めた。

「なんで来た……、ってお見舞いって言ってるじゃない。……、どうやって?ふふ、内緒」

私の返答に苛立つように顔を歪めた百之助だったけれど傷が痛むのか、彼はすぐに素の仏頂面に戻る。

「痛むの……?」

腕も吊られていて顔も包帯で巻かれている目の前の彼が途端に可哀想に思えて、百之助の頭を撫でてみる。もう随分刈っていないのだろう髪は少し長くなっていて奇妙な感覚を私に与えた。存外柔らかな彼の髪を梳いてやれば、百之助は少し目を細めて気持ち良さげに喉を鳴らした。

「弱ってる百之助って、凄く可愛い」

傷に障らないように百之助の身体に自分のものを寄せて彼の唇を奪えば、彼は苛立ったように私をベッドに押し倒すと私の動きを封じるように跨った。その瞳に燃える欲の色に唇を尖らせる。

「もう、禁欲が長いからって駄目よ。外には月島さんがいるの」

「……?」

怪訝な顔をする百之助に私は含み笑いで言葉を続ける。

「月島さんに無理を言って連れて来て貰ったのよ。今は外で見張りをして貰っているの。だから今日は駄目」

それにあなたの傷にも障るでしょ、と少し怒った顔をしてみれば百之助は渋々私の上から退いてそのまま私の隣に身体を横たえた。

「やっぱり傷が痛いのね」

「……」

べつに、と掌で指が踊ったが、その言葉とは正反対に彼の腕は私の身体を抱いた。それから暫く待ち草臥れた月島さんが病室を覗くまで、私たちは同じベッドの上で身を寄せ合って僅かな交流を楽しんだ。帰り道、物言いたげな月島さんの視線が痛かったけれど、まあ、気にする事は無いだろう。

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