無題

旦那さまへ

もうずっとあなたにお世話になっているのに、いつまでもお名前で呼べない非礼をどうかお許しください。
もっと早く、もっと綺麗な声が出ていたら、本当はあなたのお名前を聞きたかった。でももう私の声はとても聞き苦しくて、あなたに終ぞお聞き出来なかったのです。そしてお名前をお聞きする勇気が、どうしても湧かなかったのです。臆病な私をどうか赦してください。

だからもし。もし、私が、次にこの世に生を受けることがあったならばその時は、旦那さまのお名前を教えてくださいな。

もし「次」があるのなら、私、あなたの名前を呼びたいのです。名前を呼んで、ありがとうって伝えたい。そして今度は普通の女としてあなたに出逢いたい。そうしたら、今度はもっと違う出逢い方が、あったんじゃないかってそう思うから。

私が「何故」と聞いたあの夜に、あなたがくれた言葉の意味をずっと考えていました。それはとても難しい事でしたけれど、私の生きた意味が、あなたの中に少しでもあったのなら、それは幸いな事なのだと今なら思う事が出来る気がするのです。

どうか幾久しく、お身体を大切になさってください。そして、この手紙をあなたが見つけない事を祈っています。本当は最期まで恩知らずな女でいたいのです。この世の誰の枷にもなりたくないのです。どうか、私の事はお忘れになってください。どうか、あなた様の身の上に限りない幸福がありますように。

某月某日

なまえ

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