燃えて広がり、そして儚く

新しい用心棒となった尾形百之助が、寄る所があるというので土方さん共々仕方なくついて行けば何のことは無い、目的地は先ほどの山本理髪店だった。先ほどの闘争の跡色濃い理髪店の前の道路に、これでは商売上がったりだろうと内心少しばかり店主を哀れに思う。だがそれよりも、尾形はここに何の用があるのだろう?土方さんも、訝しく思っているのか、その表情は硬い。

「此処に何かあるのかね?」

「ああ、ちょっとツレがな……」

言葉少なな説明を残して迷う事無く理髪店の扉を押し開けた尾形に土方さんたちと顔を見合わせてため息を吐く。いつまでもここに留まってはいられないのに、などと考えながら。でも俺の予想を上回ったのは理髪店の扉が向こうから開かれて、誰かが進み出て来た事だ。

「遅いわ、百之助!」

「え……」

そこにいたのは青年の恰好をした若者であった。いいや、見た目は男の恰好をしていたが、声の高さや背格好からしてもそれはどう見ても。

「女……?」

「あら、どちら様?」

思わず声を上げてしまった俺の声が聞こえたのか、女がこちらを向く。顔を隠すように被されていた帽子の隙間から随分と気の強そうな瞳が見えて、思わず心臓が上擦った。でも女は俺の動揺には気付きもしなかったかのように再び尾形に向き直ると不満露わな顔をした。

「ねえ、もういいかしら?いい加減男の子の恰好なんて飽きちゃったわ」

「何言ってんだ、見つからねえようにその恰好にするって言い出したのはお前だろうが。いいから荷物取ってこい」

「……はあい」

まるで周囲の事なんて目に入らないように親密そうに会話を交わした後、娘は理髪店に戻っていく。娘の何とも言えない気品のある女らしい仕草が周囲の空気を華やかに変えたのが分かる。土方さんたちも一瞬呆気に取られてしまったようだ。その娘には何というか、人を惹き付ける何かがあるようだった。理髪店の中を覗けば理髪店の店主ともまるで和気藹々と話していて、店主の顔は見るからににやけていた。

「彼女は?」

いち早く正気に戻った土方さんの尤もな問いに俺も永倉さんも頷く。永倉さんが追随するように「約束が違うんじゃないか」と口にしたから場の雰囲気は酷く鋭利なものになる。それでも尾形は気にした風もなくあの爬虫類然とした目を三日月に歪めて「言っただろ。ツレだよ、ツレ」と嘯くばかりだ。

「か、駆け落ちでもして来たってのかよ!?」

堪らず口を挟む俺に皆の視線が集まって肩身が狭い。怖気付いて下を向く俺を援護したのは意外な奴だった。

「そうとも言えるわね」

左手に小振りの鞄を携えた先程の女が理髪店から出て来ていたようだ。荒っぽい男たちの視線を受けても物怖じもせずに立っている女は立ち姿も綺麗だった。

「というと?お嬢さん」

続きを促すように僅かに彼女に微笑みかける土方さんだったが、その眼光は依然として鋭い。俺なんかがその視線を受けたら竦み上がって仕舞いそうな視線を女は意に介さないとでも言うように微笑み返す。こんな時だというのに可愛いと思ってしまった。

「私と百之助は愛し合っていますの。愛し合っている者同士は誰にも引き裂けませんわ」

「しかし彼はこれから我々の旅に同行する。お嬢さんには些か危険かと思うがね」

色々と突っ込み所満載な気はしたが、土方さんは取り敢えず流すようだ。興味深そうに、でもお遊びは許さないと言わんばかりに女を値踏みするように彼女を上から下まで眺め回した。

「あら、百之助。おじさま方に伝えていないの?私が何者なのか」

「あのな……、そうおいそれとお前の出自を吹聴して回れるかよ」

「何が言いたいのだ。これ以上此方の手を煩わすのなら纏めて刀の錆にしても良いのだぞ」

内輪の会話に苛立つように鯉口を切る永倉さんを制するように手を挙げた土方さんは彼女の話の先を手で促した。

「それで……、お嬢さんは何者なのかね。見たところ我々の役に立つようには思えないのだがね」

「申し遅れましたわ、『土方のおじさま』。私、なまえと申します。鶴見なまえです。どうかお見知り置きを」

ふわり、と花が綻ぶような笑顔はこんな尖った雰囲気には似つかわしくなかったけれど、彼女が微笑むとこの場の雰囲気は一気に華やかになった。でも土方さんたちは俺とは違うところに引っ掛かったようだった。

「鶴見……?」

「まさか、」

「父は帝国陸軍の情報将校ですから、いざとなったら私を切り札にしても良いわ」

何がどうなっているのか分からなくて、土方さんたちの顔を窺うように盗み見れば、どうしたものかと迷うような顔をしている。この女にいったいどれ程の価値があるというのだろう。俺のその疑問に答えを出すように、女は更に笑みを深くした。可憐な微笑みが途端に妖艶なそれに変わる。

「私の父は世間体から私の事を愛している振りをしているの。そうでないとお祖父さまから援助を引き出せないから。だからもし、私が人質になったと知ったら十中八九私を無傷で取り戻すためにある程度の条件は呑むわ。たとえそうはならなかったとしても、世間体があるもの。死体だけでも取り返そうとする筈よ。帝国陸軍が情報将校鶴見中尉の泣き所が私という訳」

事も無げに言ってのけた女を褒めるように尾形の手が彼女の髪を撫でていく。にやにやと笑いながら、尾形は「どうする?俺としちゃあこいつを置いては行けないんだが」と土方さんたちに選択を迫る。俺は土方さんについて行くだけだけれど、何故だか土方さんたちの答えはもう決まっているような気がした。

「……その話が真実だという証明は?」

「簡単ですわ。今度出会った第七師団の軍人に聞いて御覧なさいな。『鶴見の娘は元気か』って。私顔だけは広いのよ」

見ているこっちが緊張で吐きそうになるくらいに緊迫した空気なのに、女は何でも無いといった風に微笑んで佇んでいる。その怖れ知らずの態度に取り敢えずは彼女の話を真実と信じる事にしたのか土方さんは大きく息を吐いた。

「山歩きは出来るのかね?」

「頑張るわ」

こうして俺たちは新しい仲間と共に茨戸を出発した訳であるが、この時の俺は未だ知る由も無かった。このなまえという娘が超の付く程の我が儘娘でその矛先が殆ど俺に向いてしまう事など。

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