偽物の刺青人皮を判別する方法の手掛かりを探すため、或いは月島の生死を確認するため、一行は手分けをして捜索や情報収集に当たっていた。杉元やアシリパは炭鉱へ、耳の良過ぎるナマエは炭鉱が発する諸々の音が負担になるため江渡貝剥製所での捜索を行う事となった。
江渡貝剥製所の剥製室に入り込んだナマエは床から天井からに置かれた剥製たちに圧倒されながら江渡貝の残した贋作の人皮の手がかりを探す。そしてそれは小一時間も探した頃だった。
(本当に、凄い。とても精巧に出来てる)
作りかけのものや完成したもの、程度に差はあれど置かれているそれはどれも生きているような気がしてナマエはつい、休憩がてらまじまじとそれらに見入ってしまう。動物は昔から好きだった。彼らには人間よりも悪意が無いように感じられたからだ。
そっと手を伸ばして置かれているフクロウの剥製に何気なく触れたナマエの背後から静かな足音が聞こえてくる。慌てて手を引っ込めて後ろを振り返ればそこにいたのはやはり尾形であった。
「何か見つかったか」
「……ううん」
倉庫の方でも探していたのだろうか、僅かに埃を纏っている尾形の服から綿埃を摘んでやりながらナマエは少しだけ瞳を動かして尾形を盗み見た。そうしたら尾形も彼女の方を見ていてナマエは驚いて肩を揺らす。
「どうした?」
「あ、ううん、何でもない!」
相変わらず何を考えているのか分からない表情にナマエは何でもない風を装って前を向き直した。暫くそうやって何をするでもなく二人はただぼんやりと所狭しと置かれた剥製を何となく見つめる。少しばかり居心地の悪いその時間にナマエが耐え切れなくなった時だった。尾形が物言いたげに自分を見たのを、ナマエは感じた。
「前にお前は、自分は『望まれない子』だと言ったな」
「……、うん。それが?」
「それは、どういう意味だ?」
「は?」
予想外の問いに怪訝な表情を隠しもしないナマエだったが、尾形の目は彼女が思うよりずっと真剣だった。あまりにもまっすぐな視線にナマエはたじろいでしまう。
その場の雰囲気で口にした言葉を、まさか尾形が覚えていたとは思わなかったし、それにそれを深掘りされたとしてどう答えたら良いのか、ナマエには分からなかった。
「えっ、と…………」
尾形はナマエを逃すまいとするかのように、その視線を外さない。逃げられないと分かったのか、ナマエは唇を引き結んだ。
「た、大した事じゃ、ないよ。私は望まれて、生まれてきた訳じゃない。……それだけの事」
ナマエは尾形に真実を話す気などさらさら無かったはずなのに、何故か口からはするすると言葉が出てきた。見ず知らずの人間に、緩む口を止めようとするが、ナマエの気持ちとは正反対に言葉は口を突いて出る。親が己を顧みなかった事を。尾形はナマエの話を口を挟む事なく聞いている。
「別に、兄がいてくれたから良いんだ。私には、家族がちゃんといたから」
「兄……」
「そうだよ。兄は、私の事を家族だって言ってくれた。大切な、妹だって。だから、他の人の事は気にするのを止めた」
強がりにも聞こえたけれど、ナマエにとってみればそれは本心に近かった。兄がいてくれれば、ナマエに怖い物は無かった。自分の中の蟠りを除けば、他人にとやかく言われる事を、ナマエは気にする事は無くなっていた。
「あ、あなたには、関係の無い話だよね。この間はごめんなさい。八つ当たり、してたからどうでも良い事を言っちゃっただけ」
不自然に明るい声で強引に話を切り上げようとするナマエに尾形はやや顔を歪めて、そしてその場を立ち去ろうとするナマエの肩を押し留め、手近なソファに座らせる。怪訝な顔で彼を見たナマエを尾形は見つめ返した。
「……座ってろ」
「え、あ……でも、」
「そんな死にそうな顔した奴が探したって、見つかるもんも見つからねえよ。それに鬱陶しい」
吐き捨てるようなその言葉に何度か瞬きをしたナマエであったが、漸くその言葉の意味を噛み砕いたのか苦しそうな表情で自身の肩を掴む尾形の手に手を重ねる。
「ごめんなさい。迷惑かけるつもりじゃなくて、」
「違う、馬鹿。……っ、効率悪いから、休んでろって言ってんだ」
尾形の言葉に怪訝そうな顔をするナマエに彼はため息を吐くと徐に上着を脱いだ。ぼんやりと、それを見つめているナマエの視界が突然遮られた。慌てて頭に覆い被さったものを掲げれば、それは先ほど尾形が脱いだ上着だった。
「何……!?」
「……暫く休んでろ。眠れねえからって、夜中にウロウロするからだろ」
「ご、ごめん……」
眠れなくて深夜に剥製所の周辺を徘徊していた事もバレていたらしい。ばつが悪そうに眉を下げるナマエに尾形は仕方なさそうに彼女の肩を押して長椅子に横たえた。
「どうせお前には期待してない。精々静かに寝てろ」
尖った物言いだったがその癖、自身が投げて寄越した上着を甲斐甲斐しくナマエに掛け直してやる尾形を彼女は呆気に取られたように見る。しかしその事に理解が追い付くよりも先に離れて行く尾形の手を、ナマエは手に取った。
「……何のつもりだ?」
「ごめんなさい、……でも、少し、傍にいて」
「はあ?」
「あの、尾形も、休憩した方が良いと思うし……」
小さくなっていく言葉尻にナマエは思わず目を逸らしてしまって握っていた尾形の手を離す。だから尾形が床に腰を下ろして長椅子に身体を預けたのを見て小さく微笑んだ。
「……ありがとう」
「馬鹿、休憩だ」
「ふふ、それでも、ありがとう」
柔らかくて少し硬い、そして温もりの残る上着を握り締めてナマエは少しだけ目を閉じた。床に腰を下ろしてナマエに背を向けている尾形が何も言わずにそこにいてくれる事が彼女にとっては救いであった。そして彼が時折思い出したように僅かに視線を彼女の方に投げてはまた無言で前を向くことも同様に。少しだけ欲が出て、寝返りを打って尾形の広い背中に自身の額を付けたナマエにしかし彼は何も言わず、ただ呆れたように息を吐いた。今まであまり眠れていない事もあってか急速にナマエの意識がぼやけていく。
僅かな微睡がナマエの意識を絡め取っていく最後の瞬間に、尾形が何事か呟いたのが聞こえた気がした。
「あの馬鹿……、大事な妹じゃなかったのか」
しかしながらその事を次に目が覚めた時、ナマエは完全に忘れていた。そしてその言葉を思い出す機会は永遠に失われたままであった。
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