捕まった

漸く月形に到着して後は杉元たちとの合流を待つだけとなったため、ナマエたちは久方ぶりに宿を取り、野宿では無い夜に羽を伸ばしていた。

その明け方。

僅かな物音に目を覚ましたナマエが部屋を出ると少し離れたところに見知った背中があった。白石だった。

「……白石?どこに行くの?」

「っ!?」

まだ起きるには早く、白石のような男が朝の散歩を嗜むとも思えない。(そもそも彼は一応お尋ね者なのだから不用意に顔を出して表通りをうろつく事が不用心の極みだ)不可思議な彼の行動にナマエが首を傾げてその背中に声をかけると、相手は、白石は大仰なほどに身体をびくつかせて振り返る。その顔は恐怖に満ちていた。

「っ、どうかしたの!?尋常じゃない顔色してるよ?」

「な、なんでもねえよ!ほら、まだ早いからオコサマは二度寝してろって!」

引き攣った笑いでは誤魔化せるものも誤魔化せていない。明らかに白石は挙動不審だった。

「ほ、本当に大丈夫?何か心配事があるなら……」

「だからぁ!何もねえよ!」

「っ、」

白石の大声にびくりと身を竦ませたナマエに白石はばつの悪そうな顔で口篭もる。それから無理矢理作ったような顔で大仰に笑った。

「マジに何もねえよ。ほら、まだ日が昇ったばっかだ。あと一時間は寝てられるぜ。ナマエちゃんはあいつらみてえな体力馬鹿じゃねえんだから寝てなよ」

「……じゃあ白石も一緒に、」

心配そうな顔で白石の手を握るナマエに白石は何とも言えない微妙な顔をする。それから誤魔化したように口端を持ち上げてナマエの手を引き剥がした。

「い、いやー……俺は朝の散歩があってね!!」

「っあ!白石!待って!!」

白石の言葉が言い終わるが早いか、彼は何も言わずその身を翻して旅館の窓から飛び出してしまう。ただならぬその様子に(そもそもただの朝の散歩であるならばわざわざ旅館の「窓から」出ていく必要は無い)慌ててナマエもその後を追って旅館を飛び出す。既に白石の背中を彼女は見失っていたがそんな事は些末であった。

ナマエには全てが手に取るように分かった。白石の足音も、呼吸の音も、彼が動かす筋肉の音も何もかもが。耳を澄ませて音を拾い、最短距離で白石のいるであろう路地裏に回り込むように入ったナマエは、すぐにその背中を見付けた。

「白石、見つけたっ!何で逃げたの!?」

そして路地裏から出ようとする彼の着物の裾を握った瞬間だった。

「オイお前白石だろッ」

「えーっ!?」

誰が予想しようか。旅の仲間を追いかけて捕まえた先に。

第七師団がいようとは。

***

白石は走っていた。ナマエを連れて。

「白石、絶対、無理、だよっ!馬だよ!追いつかれちゃうって!私は置いていって良いから逃げて!!」

「ダメダメダメダメ!!そんな事したら今度こそ各方面から殺される!!」

「だって私は第七師団に捕まる理由なんてないよ!!白石は網走まで絶対行かないといけないんだから!!」

「あ~~~っ、ちょっと黙ってて!舌噛むぞ!!」

必死に足を動かしながら路地裏を抜け、また路地裏に入り、そして大通りを曲がりと追っ手を撹乱するように彼らは走る。しかしそれは時間の問題だ。白石だけならともかくナマエの足では屈強な軍人たちを撒く事など不可能でしかない。あっという間に彼らは追い詰められてしまったのだった。

「ったく!!梃子摺らせやがって!」

「取り敢えず、旭川まで連行するか?」

「オイ、こっちのアイヌはどうする?」

「ああ?こいつはいらないだろう。連れて行く方が手間だ」

大捕物の末拘束された白石とナマエだったが、当然の事ながら刺青を持つ白石は連行されるようであった。つまり今現在問題となっているのはナマエの処遇な訳であるが、彼女は何とかして己だけは解放されないかと願っていた。そこには当然我が身可愛さという点もあったがそれ以上にこの大惨事を早く誰かに知らせなければという使命感もあった。少し離れたところで交わされる会話を盗み聞くにどうやら自身は解放されるだろうと安堵した時だ。

「いや、この娘も連れて行く」

「っ!?」

上官と思しき男の一声にナマエはぱっと顔を上げる。なぜ。何の利用価値も無いただのアイヌの小娘を。ナマエはその思いでいっぱいだった。そう思ったのはナマエだけではないらしい。上官の言葉に戸惑うように一人の兵士が声を上げた。

「お、お言葉ですが、この娘に利用価値などあるようには見えませんが……。どこからどう見ても、ただのアイヌの小娘です」

「ふん、私とてそう思う。しかし仕方あるまい、淀川中佐からの言いつけなのだからな。浅葱鼠色の髪、琥珀色の目をしたアイヌの少女がいたら見つけ次第確保し、旭川の本部へ連行するように、とな」

雷に打たれたような衝撃、とでもいうのだろうか。ナマエは声も無く、ぴくりとも動く事が出来なかった。彼女は自身が第七師団と関わりがあるなどとは微塵も思ってはいなかった。だからこそ、先方が自身の特徴を知っていて尚且つ己を確保しようと動いている事など知る由も無かったのだから。そしてどうやら白石も同じ考えらしい。呆気に取られた、そして多分に疑念を含んだ目でナマエを見た。

「ナマエちゃんが、第七師団に……?」

「な、なんで……」

「上層部の考えている事など分かるものか。貴様も旭川まで来てもらうぞ。白石なんぞについてきたのが運のツキだな」

嘲笑うかのような軍人たちの言葉にナマエは顔を歪めるしか出来なかった。両手首を拘束され、無理矢理馬に乗せられたナマエは空を見上げる。耳を澄まさずとも、雷鳴を孕んだ雨雲が近付いてくる足音が聞こえ、幸先の悪さに彼女はただ、唇を噛み締めた。

***

連行されるナマエと白石であったが、やはりと言うべきなのか二人は完全に分断されていた。前方で徒歩を強要される白石と後方で馬に乗せられるナマエ。恐らく自分の方が体力が少ないから徒歩を強要されていないのだろうが、咄嗟に逃げ出すにはやはり徒歩の方が有難いのに、とナマエは何度か馬から降りたがったがその要請は全て無視された。

ナマエは気付いていた。土方とキロランケが白石の奪還に奔走している事を。だからこそ、何度もその機会を与えられながら一向に脱走していない白石の事をもどかしく思っていた。

(い、意味が分からない……)

そしてふと、とある可能性に行き着く。月形で、様子のおかしかった白石の事を思い出したのだ。もしそれと今この状況が関係あるとしたら?まるで夜霧に朝日が差し込むように全貌が明らかになっていく気がして、ナマエは顔を歪めて首を振りその可能性を打ち消そうとした。

(まさか、そんな訳、)

まさか、白石が土方たちから逃げている訳など。

***

「白石とナマエさんが捕まったぁ!?」

月形で漸く土方たちと合流した杉元だったが「悪い知らせ」と「もっと悪い知らせ」に頭を抱えていた。熊岸長庵が死んでしまった事、そして白石とナマエが第七師団の手に落ちてしまった事。どちらがより悪い知らせなのか、そんな事はこの際どうでも良かったが予想外の展開に杉元は頭を抱えた。

「な、白石はともかく、どうしてナマエさんまで捕まるんだよ!?」

「あれじゃないか?白石がナマエを人質にして逃げたとか。とにかく気付いた時には白石もナマエも捕まってて、何度か助けようとしたがどれも失敗だ」

「あのクソ野郎!!」

ありそうな可能性を述べるキロランケに憤る杉元。アシパは声も出なかった。合流したら、言わなければいけない事があったというのに。不意に蘇るナマエとエコリアチとの三人の思い出に固く目を閉じる。感傷に浸っている暇は無かった。

「……しかし、妙だったな」

ふと、土方の言葉に全員の視線が彼に集まる。土方は何かを思い出すように虚空へと視線をやった後、鋭く研ぎ澄まされた視線を辺りにやった。

「妙?何がだ?」

「いや、例えば金塊に繋がる刺青を宿している白石と、一見ただのアイヌのナマエ嬢。もしお前たちが第七師団だったとして、『一体どちらを厳重に拘束する』?」

「は?どういう……」

唐突な土方の問いに全員が怪訝な表情をする。しかし問いを発した当の土方はその答えを待つ事無く目を細めて再び口を開いた。

「……私の見立てでは恐らく、奴らは白石と同等、あるいはそれ以上にナマエ嬢の方を厳重に拘束していた。ただのアイヌの少女に一体何をそこまで固執する?あの子の何を、第七師団は求めている?」

一人一人の顔を見定めるように射し貫いていく土方の視線は、そして最後に尾形の上で止まった。まるで尾形にその問いの答えを求めるように。

「……確かに言ったんだな?ナマエを確保しろと『淀川中佐が』言ったと、確かに。ならばナマエが白石と同等の監視を受けているのも、少しは頷けるかもな」

それまで黙っていた尾形の低い声に全員が振り返る。尾形は何かを考えるように目を伏せていたが、少しばかり疲れたようにため息を吐いた。

「……どういう意味かな」

「淀川中佐は、鶴見中尉に頭が上がらん。ナマエを探しているのは淀川中佐ではなく……」

「鶴見中尉だと、そう言いたいのか?」

土方の言葉に一行に緊張が走る。尾形は挑発するように口端を持ち上げた。

「……さあな。或いは『鶴見中尉と繋がっている別の誰か』、という可能性もある。だがもし鶴見中尉がナマエを探しているのならば、淀川中佐は絶対にあの娘を逃がさないよう命じるだろう」

「だけどっ、第七師団にナマエさんを拘束する理由なんて……っ!大体あの人は刺青の情報なんて持ってねえだろう!」

「オイオイ、頭を使えよ。刺青も持ってない金塊の情報も無いただのガキ一人、わざわざ連行するんだ。『ナマエ自身』に用があるに決まってんだろ」

髪を掻き上げて不敵に笑う尾形に杉元は目を見開いた。言葉も無く、事態を見ていたアシパはただ一人、疑念を確信に変えた。ナマエを探している人物についてその疑念を、確信に。

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