運命の人

インカマッの浮世離れした視線が一行の間を彷徨う。白石を捜して遥々苫小牧競馬場までやって来た一行は、呆れたように白石を見てそれから彼女の視線が杉元の背後で止まった事に気付いた。そこには競走馬に興味津々のナマエがいた。

「…………馬だ」

先ほどまで競馬場の熱気とあまりの騒がしさに恐れを成してキロランケの上衣を握って放さなかった人間とは思えないきらきらとした瞳にインカマッも微笑ましそうに笑う。

「あらあら、馬が好きなのですか?」

「好きだよ。馬は賢いし、可愛いし、かっこいいから。……でも、生き物は大体好き」

「まあ、そうなのですね!」

にこにこと笑い合うナマエとインカマッに向けて、舐めるような視線が飛んでくるのを杉元たちは痛いほど感じていた。インカマッは言わずもがなだが、ナマエも未成熟な娘しか持っていない純真さと色香が欲望渦巻く競馬場では「良い餌」になるのだろう。本人たちが気付いているのかどうかは定かではないが。ナマエは自分の話をにこやかに聞いてくれるインカマッに気を許したのか楽しそうに馬の好きなところを挙げている。

「馬は凄く速く走れるよね。兄は馬に乗るのがとても上手だったんだ。危ないからって私は乗せてもらえなかったけど」

「ふふ、そうなのですね。……ところで、昨日は確りとは見れませんでしたが、あなたは、不思議な運命に導かれているようですね」

唐突に、むしろインカマッにとってみればこちらが本題なのだろうが、告げられた言葉にナマエは目を見開く。インカマッは底知れない瞳にナマエを映し、それから掌を上に向けて気を感じるようにナマエの顔を窺い見た。

「……どういう事?」

「シラッキカムイはなんでも教えてくれますよ。占いの結果を聞きますか?」

怪訝な顔をするナマエにくすくすと意味深に笑うインカマッ。その底知れなさに僅かに腰が引けるナマエだったが恐る恐る頷いた。そして昨日言い当てられた事が事だけにアシリパたちもインカマッの口許に注視する。

「……あなたには、縁深い男の人がいます。……一人、ではありませんね。二人、でしょうか」

集中するように狐の頭蓋骨を頭に乗せ、目を瞑るインカマッの口にする言葉にナマエは首を傾げた。

「二人?」

「ええ。……一人は血縁の方、ですね。あなたの過去に大きな影響を与えた方です」

ナマエは目を細めて頷く。心当たりはあったからだ。兄のエコリアチの事だろうと。兄はナマエを導き、彼女をここまで連れて来たのだから。

「そうだね。それは合ってると思う。……二人目は?」

「はい、二人目はあなたの将来に大きな影響を与えるでしょう。あなたは既にその人に出会っているようです。そしてその人は、……あなたの運命の人です」

途端に一行の視線がナマエの方を向く。特に白石の視線が強い。浮かれたような、にやついた視線にナマエの顔が引き攣る。

「う、運命……?」

「ええ、とても強い力であなたとその人は結び付いています。でも今はまだ、その人はその結び付きには気付いていません。あなた自身、心当たりは無いでしょう?」

「運命ってあれか?結婚しますっていうやつか?」

「キ、キロランケニパ!」

堪らず口を出してしまうキロランケに、ナマエは頬を染める。キロランケの揶揄うような視線に、ナマエは彼を嗜めるように睨む。

「そうですね、場合によってはそうなるかも知れません。勿論全ては可能性です。もし、あなたとその人がお互いの結び付きに気付いたならば或いはあなた方は結ばれるやもしれません。ですが気付かない可能性もある。その時はきっと、あなた方は出会った事にすら気付かない。この運命は今はまだ、それ程にか細い糸の上にあると言っても過言ではありません」

「結び付き……」

夢を見るような瞳でインカマッの言葉を復唱するナマエに、インカマッはうっそりと笑んで頷く。

「ええ、相手の事知れば知る程に、強くなる結び付きです」

インカマッの言葉にナマエは、まだ見ぬ未来を想像したのか再度赤らめた頬をそのままに微笑む。

「あなたの占いが当たっているなら、私はもう運命の人に出会っているんだよね。…………どんな人なんだろう」

「おや、気になりますか?」

「少しだけ……」

不安そうにインカマッを窺うナマエにインカマッは底知れない笑みを更に深くする。騒いでいた一行もまた二人に注目している。その視線にインカマッは目を細めると狐の骨を頭に乗せた。

「そうですね。では一つだけ教えてあげましょう。その人はとても孤独な人です。ですからきっとナマエちゃんの優しさがその人の救いとなるでしょう。その人に特別優しくしようなどと考えなくても良いのです。ただ、ありのままのあなたでいる事、それが道を開きます」

「孤独な人……?……!俺じゃねえか!!」

「絶対に違うだろうな、脱糞王」

「ほんと、脱糞王は」

「脱獄王だから!!!……あっ、次のレースが始まるじゃねえか!インカマッちゃん、お願いします!」

「はい、お任せください」

競馬場の熱気は今や最高潮だ。

***

白石から受け取った金で馬券を買いに走ったインカマッの背中をアシパは漸く見つける。投げ付けられた馬券を落とさないように慌てて両手に掴むアシパから距離を置いたインカマッだったが、思い出したように振り返る。その顔は微笑んでいるがどこか強張っているようにも見えた。

「そうそう、言い忘れていましたアシパちゃん」

「まだ何か言う事があるのか?……キツネ女」

「ナマエちゃんに縁深い男の人の事ですけど」

「ああ……ナマエの運命の相手の事か?」

「……?いいえ、違いますよ。彼女の血縁の方の事です。馬に乗るのがとてもお上手で、ナマエちゃんとはあまり似ていない。……その方は暫くナマエちゃんとは離れ離れになっていたようですね」

にんまりと微笑むインカマッにアシパは目を見開く。ナマエと血縁で乗馬が上手く、離れ離れ。

「……嘘だ。適当なことを言うな!だって、その人は、」

「あら、和人の言葉にあるではありませんか。『便りが無いのは元気な証拠』、と」

相も変わらず意味深に微笑むインカマッは今度こそ、呆然と立ち尽くしているアシパを置いて、雑踏の中に消えて行った。後に残されたアシパはナマエたちが探しに来るまでただひたすらに、答えの出ない問いを抱き続けていた。

「彼」がまだ生きているのではないか、と。

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