変化

互いの蟠りも漸く解消されつつある一行は釧路コタンのアイヌたちに手を振り、網走を目指していた。

「……歩きにくーい」

ぼやくように呟く杉元に白石も同意するように声を上げる。海亀漁のために出た砂浜は一行の足に絡み付き、その機動力を奪うのだ。口にこそ出さないがアシパもナマエも慣れない砂浜に幾度となく足を取られて疲弊していた。

「……わ、」

今も砂浜に足を取られたナマエがつんのめったところだった。咄嗟にアシパが手を出そうとするも間に合いそうもなく、ナマエは砂浜に両膝から着地しかけた。

「オイ、気を付けろ」

しかしナマエが顔から砂浜に突っ込んで砂まみれになる寸前で尾形の手が彼女を支える。尾形が些か乱暴に彼女の身体を引っ張ったせいでナマエはよろけて尾形の腕の中に飛び込んでしまったのだが。

「あ、ありがとう」

「前見て歩いてんのか?たかが砂浜で何回転んでんだ、鈍臭え」

「ご、ごめんなさい……」

尾形の棘のある物言いに萎れるナマエであったが、未だに彼女を腕から解放しない尾形に不思議そうな顔をする。ぱちり、と彼女の琥珀の瞳が長い睫毛に縁取られた目蓋に隠れてまた現れた。

「あ、あの?尾形、えっと……もう大丈夫だよ。支えてくれてありがとう……」

おずおずと尾形の胸板を押して身体を離そうとするナマエの顔を尾形は見た。その顔には何の感情もナマエは見つけられなくて余計に慌てて彼女は尾形から離れようとする。

「ちょっとォ、尾形ちゃんさぁ、ナマエちゃんが困ってんじゃん!」

「…………そうかい。俺はてっきり支えてやらねえとコイツはまともに歩けもしねえのかと思ってたぜ」

白石に咎められて僅かに目を眇めた尾形はまるで何も無かったかのようにナマエを解放する。解放された方のナマエは未だに尾形の意図が分からないのか何とも言えない顔で尾形を見つめていた。しかし少しずつ尾形の言葉が飲み込めてきたのか彼女は可笑しそうな顔ではにかむように笑った。ちなみに白石以下他の面々は絶句している。まさかあの尾形が。他者に対する優しさを見せているなんて。

「……そう、かも。支えてもらった方が歩きやすいかも」

花が綻ぶように可愛らしく微笑んだナマエが尾形の隣に並ぶのを尾形は呆れたように見て、しかし何も言わずにまるでそれが当然だと言うように片手を差し出す。ナマエも少し照れたように微笑んで、しかし彼の手に自身の小さくて細い手を乗せる。

「手、大きいね」

「お前のが小さいんだ、馬鹿」

一体何を見せられているのやら、というのは白石の談だ。初々しい男女のやり取りを見せ付けられて(勿論ナマエにそのつもりは無いだろう。尾形はどうか知らないが)何となく落ち着かない雰囲気に尻の辺りを押さえる白石に気付いたのかナマエが三人を見た。

「アシパも杉元に支えてもらったら?私みたいに転けちゃう前に」

人懐こい顔で笑ったナマエに呆気に取られていたアシパだったがはっと我に返り慌てて頷く。成り行きで(当然杉元もアシパもそれが嫌な訳ではないが)手を繋ぐ事になり、それに憤ったのは白石だ。

「俺だけ仲間外れかよ!?」

「えっ、あっ、じゃあ白石はこっちの手……」

頬を膨らませてわざとらしく剥れる白石に狼狽えながら尾形に取られた方の手とは反対側の手を差し出すナマエ。その手に瞬時に顔を緩ませた白石が彼女の手を取ろうとした時だった。

「っあーっ!俺やっぱ一人でも大丈夫!」

唐突に顔色を青くした白石が飛び退くようにナマエから離れて行く。掌を返すようなその言動に首を傾げるナマエであったが杉元とアシパは確りと見ていた。白石がナマエの手を握ろうとした瞬間に細まった尾形の瞳を。その瞳が飛ばす不穏な気配が白石に一点集中している事を。

(……アシパさん、尾形とナマエさんは何かあったのかな?)

(分からない。けど、これがナマエにとって良い方向に向かうなら私は嬉しい)

少し離れたところでナマエが微笑みながら二人を呼ぶ声がして、振り向いた杉元とアシパはゆっくりとそちらに歩を進める。互いに握った手は温かい。しかしその温かさに対する自身の感情の変化をナマエはまだ気付かずにいたのだった。

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