その咎の報い

ぞくぞくとした悪寒に苛まれ、眠る事も出来ない癖に意識は混濁しまともに思考を保つ事が出来なかった。身体が資本である軍人として生活をするようになってからはもうずっと、尾形は病らしい病を経験してはいなかった。だからこそ、久方ぶりの高熱は酷く身に染みて彼の思考力を奪っていった。

先ほどまで鳴り響いていた音楽らしきものは尾形が眠ったと勘違いしたのだろう、鳴りを潜め今はただ、朧気に遠くからアシパたちの声が音となって聞こえてくるだけだった。

(クソ……)

出来る事ならば意識を手放してしまいたい、けれども猛烈な倦怠感が逆にそれを許してはくれない。まるで手のかかる幼児のようだと脳裏に一瞬思い描いたところで、尾形はふと、自分が「そう」であったことを思い出した。

母を亡くして、或いは葬ってから一時期、尾形少年は頻繁に体調を崩していた。それは慣れぬ環境に身を置いたせいもあるだろうし、母を手に掛けたという知らず知らずの罪悪感によるものかも知れなかった。兎に角、頻繁に熱を出した尾形少年はその度に静養を余儀なくされていた訳であったが、看病らしきものはとんと経験が無かった。祖父母は薄々「何があったのか」勘付いていたのだろう。元々それ程に血縁らしい関係を保てていなかったのに、気が触れたとはいえその娘亡き後、尾形を殊更に遠ざけるようになった。

だから彼は知らないのだ。看病とはどうする事なのか。

熱が出た尾形少年は田舎にありがちな広い家の、日当たりの悪い離れに寝かされて、日に三度飯が運ばれて来るのを待つだけだった。気遣いも温かい言葉もそこには無く、ただ機械的に生理現象を満たす膳が運ばれて来るだけだった。

寂しいと、思った事はもしかしたら初めの方はあったかも知れない。或いはそんな感情は母の気が触れる前から失っていたのかも知れない。それでもただ、どうしてか、思い出すのだ。こんな時に、否、こんな時だからこそ?

あの少女の、ナマエの手の温もりを。

少年の日に、もし、彼女がいたら。もし、自分が母を。もし、ここに彼女が。もし、

もし、彼女と一緒に、

取り留めの無い思考が霧散して意識が急激に落ちていくのが分かる。遂に疲労が意識に負けて僅かでも眠りに落ちるのだろう事が尾形自身分かった。抗う術も気力も無く、彼は全身の力を抜いて束の間の微睡へと落ちていった。

***

「……、た……お、た、尾形……」

「……、ん」

柔らかな声に目蓋が震え、薄らと目を開ければそこには望んだ顔があった。心配そうな顔で自身の顔を覗き込むのは彼が望んだその人で、尾形は何も考えずただ、満たされたような心持ちでほう、と息を吐く。

「大丈夫?まだ、熱高いね……」

存外に冷たい手が額に当てられ、その気持ち良さに目を細めたが彼女は、ナマエは気付かなかったのか心配そうに眉尻を下げてから手許の薬草を磨り潰す作業を再開させたため、すぐに尾形の額から彼女の手の熱は消えていった。

「無理しちゃだめだよ、こっちは寒いんだから」

咎めるような声音に肩を竦める尾形であったが、ややもあって頷く。

「悪かったよ。……ああでもしなきゃあ、こっちがやられてた」

「だからってこんなに熱が出るまで……」

呆れたように唇を尖らせるナマエに尾形は目を細めて、それからそっと手を差し伸べ、ナマエの頬を撫でた。突然の彼の振る舞いに僅かに驚いたように目を開いた少女だったが、何も言わずされるがままだ。

「なあ、」

何と言って良いのか、その続きが分からず吐息を零す尾形に、ナマエは薄らと微笑んだ。

「なに?」

小首を傾げる仕草が可愛らしいと、この時尾形は素直に思った。今までどうして認めなかったのかというくらいに素直に。そしてその感情が、彼に次の言葉を手繰り寄せた。

「好きだ」

たった三文字の言葉の後は沈黙しか残らなかった。ナマエは尾形のそれを受け取れなかったのか、さっきと変わらない表情で座っているし、尾形も尾形でこの次に何と言って良いのか、言葉を準備していなかったために無言だったからだ。

きっと一瞬の間だったろうに、しばし無言の時が続いたように、尾形には感じられた。そして尾形はナマエの顔が、笑みに変わるのを見た。嘲笑に、変わるのを。

「触らないで、人殺し」

***

はっと目を開けた。
額にかいた嫌な汗を袖で拭い、辺りを確認すれば明け方には少し早く、皆は寝静まっているようだった。

夢を見たのだ、と気付くのに時間はかからなかった。それでも後味の悪さが妙に纏わりついて発熱後の倦怠感と相まって尾形の精神を攻撃した。

(人殺し、まあ、確かにな)

今更言っても詮無い事ではあるが、自分は確かに沢山を手に掛けた。ただ、今更変えようのない事実を、最も言われたくない人物に(たとえそれが空想の産物であったとしても)突き付けられ、拒絶されるのは気分の良いものではなかった。

(何を今更……)

戻れない道を歩んで来たのは百も承知のはずだったのに、今になって。馬鹿馬鹿しさに息を吐けば、誰かの寝言が静かに聞こえて来た。

ああ、会いたい。

叶わない、自ら壊してしまった願いを胸に、尾形は再び微睡みに浸るために身体を丸くした。幼い頃布団の中で誰かが来てくれるのを待ち侘びていた時のように。

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