さよなら、愛し人

「鯉登ニパ……」

震えるナマエの声に、アシパたちは立ち止まる。ナマエは唇を震わせて青い顔で立っていた。

「ナマエ……?」

怪訝な顔で振り返るアシパに、ナマエは迷うように眉を寄せた。それから唇を噛み、振り切るように一歩を踏み出した。

「な、んでもない……。大丈夫……」

青褪めた顔でまた一歩踏み出そうとする彼女をアシパは押し留めた。

「憂いは何一つ、残して欲しくない」

「アシパ……」

「必ず追いかけて来て。待っているから」

何もかも理解しているとばかりに頷いて、アシパたちは先に進んで行った。それは信頼の成せる業だった。だからこそ、ナマエはすぐに己の為すべき事が出来た。

「鯉登ニパ!」

倒れ伏す鯉登に駆け寄り、抱き起こす。血が沢山出ていてナマエの指先が震える。手当をしようと薬草を取り出そうとした時だった。

「ナマエ」

がっしりと鯉登に手を掴まれる。彼の目は強い光を湛えていた。強く気高い、将校の目だった。

「私は良い。月島を、頼む」

「月島ニパ……?」

鯉登の指差す方を見ると、そこには息も絶え絶えの月島がいた。生きているのが不思議なくらいの出血にナマエは心臓が嫌な音を立てるのを聞いた。

身を翻してナマエは月島の看護をする。止血を施し、傷口を縫い合わせた。少しばかり血が止まると痛みに歪む月島の顔に僅かに生気が戻って来る。彼は何と強い男なのだろうと思った。生への執着を持った、強い男なのだろうと。

「……月島は、無事か?」

「すぐに、ちゃんとした治療を受ければ。……次は鯉登ニパ、あなたの番です」

鯉登に向き直るナマエに、鯉登は悲痛な顔をした。ナマエの指が鯉登の頬の傷に触れる。その指を、鯉登は己の手の中に捕えた。ナマエの不思議そうな瞳と鯉登の瞳がかち合った。静寂が一瞬辺りを支配した。そしてそれを破ったのは鯉登だった。

「好っじゃ」

「…………っ!」

「ナマエの事が、好っじゃ。オイんそばに、おってほしか」

ナマエの顔が困惑したように歪むのを鯉登は見た。泣き出しそうに眉を寄せるナマエの指が己の手の内で震えている事にも気付いていた。

だからその手を解放した。

「鯉登ニパ、」

「…………何でも無い。……行け。生涯を安穏と暮らせ。……私たちとは、関わりのない場所で」

ゆっくりと疲れた身体を壁に凭せかけた。もう一歩も動けそうにない。目を閉じる。その手の内にナマエが何かを落とした。弾かれたように目を開ける。

それは彼女が薬草を入れていた小物入れだった。目の前にもう、彼女の姿は無い。何を思って彼女はこれを己に残したのだろう。それは彼女の生業であり生き甲斐であったはずなのに。

でもそれを問う人はもういない。鯉登はただ、己の手の内にあるそれを握り締めていた。ナマエと過ごした短くも濃密な日々を思い返しながら。

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