それから数年が経った。最初の内は慣れなかった、新しい生活もひと月が経ち、ふた月が経つ頃には少しずつ慣れる事が出来た。
時には口さがない事を言われる時もあったけれど、私と音様は切る事の出来ない絆で結ばれているのだと信じる事が出来たから、私の気持ちが揺らぐ事は無かった。
そしてあれからもう、何度目かの春を迎えた。
音様はもう中尉になられて日々職務に邁進されている。私には何も告げられなかったけれど、この幾年で、音様の身の上には悲しい事も沢山あったのだと思う。それでも音様は私を腕に抱いて、私の事を求めてくださった。私はそれだけで良いのだ。
幾日もの日々を重ねた。そのどれもが、大切な思い出だ。音様は私なんかには勿体無いくらいの立派な将校になられた。
そして私は。
重い身体を抱えて、掃除をしていると玄関扉が開く音が聞こえた。転ばないようにゆっくりとお迎えに行くと、廊下の向こうから音様がやって来る。私に気付いた彼は少し不満そうな顔をしていた。
「なまえ……、また掃除でもしていたのか?安静にしていろと言われているだろう」
「でも何もしていないのは退屈です。それにお医者様も適度に身体を動かすのは大事と仰っていたわ」
「何事にも限度があるのだ」
剥れる音様は私のお腹をゆっくりと撫でる。大分膨らみが目立つようになったそこには、音様と私の嬰児がいる。
「最近、よく動くんです。きっと元気な男の子だわ」
「そうだろうか?私は女子も捨て難いがな」
私が転ばないように支えながら廊下を進む音様の腕に、自分の物を絡める。音様の視線が私の方に向いて、当然のように唇を奪われた。至近距離で私を見つめる音様の黒灰色の瞳には、隠しきれない情愛が浮かんでいた。きっと、私と同じように。
「音様?」
「なんだ?」
「私、今とても幸せなんです。あの時、あの公園で私を生かしてくださったのが音様で良かったって、本当に思っています」
それは私が何度でも同じ事を言える本心だった。あの日あの場所で、出会ったのが音様で良かった。音様に出会うために、神が私に試練を与えたのだとしたならば、あの苦しかった日々にも何か、意味があったのではないかと、今ならそう思うのだ。
音様は優しく微笑んで私の頬を撫ぜた。耳許で囁かれた言葉に、また涙腺が刺激された。
「こちらこそ、私に未来をくれてありがとう」
お腹の中で、私たちの嬰児が優しく欠伸をした気がした。
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