路銀稼ぎの妙案として砂金に目を付けた杉元一行についてナマエも川沿いをぼんやりと眺める。正直に言って、心許ない路銀ではあるが砂金取りよりもっと確実な稼ぎ方があるのではと思わなくもない。だが、それを言っては元も子もないので彼女は黙って杉元たちが決めた拠点で火の番をする事になった。
「はあ、」
吐いた息が白い。自分は寒さには強いと思っていたが、守られていたのだとナマエは今更ながらに感じていた。
「あなたはあまり砂金には興味が無いようですね」
「っ!」
不意に声を掛けられて振り返ると、そこには平太が立っている。全くと言って良いほど彼の気配を察知する事が出来なかった事にナマエは確かな違和を感じた。
「あ、私はあまり、無いかな。昔から、川を汚したらカムイチェプが居なくなってしまうって教えられてきたから……」
「ああ、アイヌの方は川を大事にしていますね」
「あなたはアイヌの事に詳しいんだね」
「ええ、少しだけですが」
表面をなぞるような会話は何の変哲も無く聞こえた。それなのにどうしても、ナマエは平太に対しての違和感を拭えずにいた。雰囲気、なのだろうか。
「平太!何処で油を売ってんだ!」
「っ!!」
突然平太が怒鳴る。それもまるで「自分に呼び掛ける」ように。動揺しているナマエには気付かなかったのか、平太はナマエに向けて穏やかな笑みを見せる。
「嵩ニイに呼ばれちゃいました。行ってきますね」
「ぅ、うん……」
ナマエの本能が、動揺を隠すようにと呼び掛ける。必死に平静さを装うナマエに平太は「ウェンカムイには、お気を付けて」と残して去って行った。
一人残されたナマエはぞわぞわとした「嫌な感覚」に囚われて仕方なかった。違和感、では可愛過ぎる。これは最早純粋な恐怖だ。松田平太という男に対する確かな恐怖にナマエは今すぐにでもここを離れたかった。
ナマエは立ち上がり、杉元たちの所に向かおうと歩を進めようとする。しかし、それよりも先に彼女の背後から気配がした。今度は馴染みのある気配だった。
「…………あ、頭巾、ちゃん」
ナマエの顔色が蒼白な事に気付いたのか、ヴァシリは眉間に皺を寄せる。それから彼女の手を取ると元居た場所に再度座らせた。そして困惑するナマエに続いて自身も彼女の隣に腰を下ろす。
「頭巾ちゃん、何か怖い事が起きる気がするんだ。何て言ったら良いのか分からないんだけど……」
通じない事は分かっているはずなのに、それでも恐怖を紛らわせるために話しかけてしまう事をナマエは止める事が出来なかった。
ヴァシリはそんなナマエには気を止めていないのか、ひたすらに紙に鉛筆を走らせている。ナマエがその手元を覗き込むと、そこには彼の興味の赴くままが描かれていた。
「これは、何の鳥だろう……。こっちは多分、ハシカプだよ」
指を指しながら一つずつ名前を上げていく。ヴァシリはナマエのその様子をただじっと見つめていた。最後の一つの名前を挙げた時、ナマエは細く息を吐いた。知らずに息を詰めていたのだ。
「頭巾ちゃん、此処は何か怖いよ。杉元たちを探しに行こう?此処じゃ無くても、路銀は稼げるし……」
ヴァシリの服の裾を握るナマエの手は小刻みに震えている。彼がその手に己の手を重ねると、ナマエはその手を引く。
「行こ。ウェンカムイもいるみたいだから」
引かれるままに立ち上がり、二人は連れ立って杉元たちを探しに行くのだが、三人を見付けた時には既にナマエの悪い予感は的中していて、平太はその刺青の囚人としての狂暴性を露わにしていたのだった。
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