夜の遠吠え

連続娼婦殺しの下手人を挙げるべく、連日聞き込みを行なっていた一行であったが、その成果は梨の礫であった。焦りもそろそろ募り始める頃で、ナマエも目につく娼婦片端から声を掛けて回っていた。

「私たちがきっと犯人を見つけます。だから、今夜だけは」

ナマエの言葉にどれくらいの女たちが心動かされたかは分からない。それでもナマエはひたすらに声を掛け続けた。

そうこうしている内に徐々に日が落ち始め、いよいよ打つ手無しかと嫌な空気が漂い始めた頃、満身創痍で帰還した石川よりとある仮説が示される。次の犯行現場は、札幌麦酒工場ではないかと。

その仮説を元に、彼らは三人組に分かれて夜を待つ事となる。ナマエはアシパと共に合図役を任された。その目と耳でアシパを守るのが使命とナマエ自身理解していた。

兄のエコリアチは土方と共に仕留め役となったため、離れ離れだ。それでもナマエは地に足をつけている感覚があった。兄がいなくても、誰を頼らずとも役目を果たし、必ず生き残ってやるという気概があった。約束したからだ。尾形と。

あの夜、ナマエが皆に黙って尾形に相対した事を彼女は当然ながら誰にも言っていなかった。だから今でも彼らはナマエの事を何の躊躇いもなく仲間と呼ぶだろう。その事に罪悪感を感じながらも、ナマエは一人己を奮い立たせた。未来を掴み取るのだと。

目を凝らし、耳をそばだて、ナマエは全ての気配を探る。近付いてきた気配は片端から杉元に合図して知らせた。しかしその全てが空振りだ。急く気持ちを押し込めながら、ナマエは空気の揺らぎを感じ取るように目蓋を閉ざし、全神経を耳に集中させた。そして、感じた。

今までとは微かに異なる足運び。どこから聞こえるかはまだ判然としない。しかし、一般人とは異なる、どこか「密やかな」足音。そちらに顔を向ける。土方組の方だ。もどかしさに顔を歪めたその時だった。

「っ!?」

空に一つ大きな花が開く。合図の花火だ。

まるで狼の遠吠えのように遠くまで確認できるその花火を、一体何人が見ただろう。これから起こる混乱を想像してナマエは自身を叱咤した。間髪を容れずナマエは杉元の背中を追う。隣をアシパが駆けるのを感じていた。

しかし牛山組のキラウと合流した瞬間、土方組の方からも花火が上がる。その時ナマエは全てに気付いた。一発目が誤報だった事に。

「麦酒工場の中!反対側だ!土方ニパの方!」

鋭い声で仲間に伝える。彼らも気付いたのか相次いで工場の中に侵入していく。暗い工場の中、ナマエには全てがつぶさに見えた。しかしいつの間にか他の仲間とは逸れてしまう。麦酒工場は反響のせいか音が拾いづらく、仲間たちの正確な位置が把握出来ない。仕方なくナマエは先に進む事を選んだ。目的地で合流出来る事を願って。

***

そこにいたのはアシパただ一人だった。見知らぬ男は何か途方もない話を一方的に捲し立てている。それがジャック・ザ・リッパーだとすぐに分かった。

アシパの言葉に激昂した男が彼女に詰め寄るのを庇うようにナマエは駆け寄る。男の酷薄な瞳が狂気に輝いたのが見えた。

「アナタもアイヌ?」

「だったら?」

「アナタはそうデショウ?女性一人で生まれてきたコドモ」

「……っ!」

一瞬怒りに似た感情に支配されたのをナマエは感じた。意識が曖昧になって、五感の何もかもが消えたような。しかしその感覚はすぐに消え去る。

「違う。私にも、父がいる。誰か分からなくても、愛されてなくても、私には両親がいる!それで良い!今更変えられないそんな事、もうどうでも良い!!」

未来を掴み取ると決めたその時に、過去は置いてきた。ナマエにとってそれは既に些事であった。アシパの手が己のそれを握るのを感じた。その熱を、確かに知っていた。

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