救い主、来ませり

音様から手紙が来た。今夜行くから、と簡潔に書かれたその手紙は急いで書かれたのか、少し字が跳ねていた。たった数行のその手紙でさえ、愛おしく感じられるのだから、私は相当音様に骨抜きなのだと知った。

出来る最大限の装いをして迎えた音様の顔は、少し強張っている気がした。その顔を見たらなんだかこちらまで緊張してしまって、私たちは暫く口が利けないでいた。

向かい合って膝を突き合わせて、ただお互いの顔を見ていた。音様の目はとても澄んでいて、綺麗だった。この世の気高さを集めたような、美しい目だった。その目を見つめていたら、彼がゆっくりと困ったように微笑んだ。

「音様……?」

「嗚呼、なまえ。……どう、言葉にして良いのか分からないのだ」

私の視線に困ったように、でも音様は幸せそうに笑った。そして私に手を差し伸べた。躊躇う事無くその手に己のそれを乗せる。決して力を込められた訳では無いのに、有無を言わさない所作で私は音様の腕の中にいた。

「おとさま、」

抱き締められていると頭がぼんやりしてしまう。幸せで、何も考えられなくなってしまう。ただ、音様の腕の中でその心音を感じてしまいたくなる。広い背中に私も腕を回す。音様が私を抱く力が強くなって、それから耳許に言葉が落とされた。

「身請けの、日取りが決まったのだ」

低い声だった。安堵に包まれた、優しくて低い声だった。その言葉はゆっくりと、私の耳を通り過ぎて、身体の中に入り、心に浸透した。

みうけ、身うけ、身請け。

一瞬何の事か分からなくなって、頭の中を音様の言葉がぐるぐると巡った。それから、漸く頭が理解して、感情がついて来た。

「もうすぐ、なまえと並んで歩ける日が来る。なまえの待つ家に、私は帰るんだ」

母親に甘えるような、優しい声音で音様は私をぎゅう、と抱き竦めた。ついて来た感情が、次第に私の手を離れて行くのを感じていた。でもそれは仕方の無い事だと思った。

「おと、さま……っ」

お礼を言わないといけないと思った。私をここから出すために、音様がどんな苦労をしたのか、知らない訳ではない。私のような女を自由にするために、音様はきっと多くを投げ打ってくださった。だから沢山お礼を言って、私に出来る事は何でもしないといけないと思った。それなのに。

私はただ、音様の腕の中で声を上げて泣くだけだった。どうしても、泣く事を抑えられなかった。聞き苦しい声で泣きながらお礼のような言葉を吐く私に、音様は優しく微笑んで「良く、がんばったな」と髪を梳いた。

「お、とさまっ……」

その言葉がまた、私の涙腺を刺激する。頑張った、そう、私は頑張った。頑張って、生き抜いた。この苦界で、音様に再び逢う事だけを夢見て。

二度と別たれないように、音様の身体を強く抱いた。音様も、私の身体を強く抱いてくれた。こんなにも、私が誰かを愛す事が出来る事を、私自身知らなかった。

燃えるような恋情と穏やかな愛情が、心臓を中心に身体中を巡っていた。心を掴まれたような痛みに、涙がはらりと頬を伝った。

「愛している。私だけの、なまえ……」

その言葉に上手く返事が出来なくて、代わりに音様の唇の端に自分の物を合わせた。音様の身体は暖かくて、心臓の塊みたいに鼓動が聞こえていた。きっと私も、同じだったに違いない。

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