「みょうじの。君はどれ程の戦力になれる?」
私の唐突な質問に、みょうじ少尉は一度瞬きをしてそれから考えるように視線を上にやった。
「どう、でしょう。剣術と軍刀術、後は体術は修めています。ですが実践経験は、少ないですね。なにせ従軍した事が無いので」
肩を竦めるみょうじ少尉は己の実力を過信もしていなければ疑ってもいないようだった。事実を述べている、そんな様子だった。彼は私の表情を窺うように見てから口を開く。
「正直な所、体格には恵まれていないのであまり戦力にはならないかも知れません。懸念があるようなら、私はここで離脱しますが」
淡々と事実のみを口にする。それは今までに出会った「強い者」に共通する事だった。彼らは言い訳や巧言をしなかった。そしてまた、みょうじ少尉もその部類であるようだ。
「剣術の流派は?」
「無外流です。私は非力なので、純粋な力ではどうしても相手に押し負けてしまいます。なのでひたすら速さと技を磨きました。……御家の勧めで北辰一刀流なども修めましたが、私には合わなかったようです」
唇を引き結んだみょうじ少尉は腰元を撫でるような仕草をした。そういえば。
「君は軍刀を持っていないのだね」
「ああ、そうなのです。尾形上等兵に連行された時、私は執務室にいたので。今は護身用の拳銃しかありません。少し、心許ないですね」
淡く笑うみょうじ少尉に、それを思い付いたのは単なる興味からだった。この青年が一体どれ程の業を持つのか、その技量を測りたいと思ったのだ。
「少し手合わせといかんかね?」
「……手合わせ、ですか。良いですね。『あの』新撰組の鬼の副長にお相手いただけるなんて、光栄の極みです」
表情を崩さないみょうじ少尉の思うところは不明だ。だがその目は力強く輝いていて、いつか共に戦った彼の祖父を思い出した。
真剣は流石に、という事で永倉に用意させた木刀を片手で持ったみょうじ少尉は「重いですね」と一言溢した。
「それが普通だろう」
「私が使っていた物は極力軽くさせていました。そのせいですぐ折ってしまうから、指南役が凄く怒るのです」
みょうじ少尉の口振りはとても無感慨で薄っぺらかった。本当の事を言っているのかどうかも定かでは無い。
「刀が折れるのは力の向きが振るう方向と一致していないからだ」
「ああ、それですよ。懐かしいな。先生も同じ事を言ってました。西南の役では抜刀隊で活躍した偉い先生なんですよ」
「……そうなのかね?」
軽口を叩きながら向き合って構えて気付く。
「左利きかね?」
「……そうですね。矯正はされたのですが直りませんでした。なので東京の偉い先生に教えを乞いました。斎藤一先生に」
「ああ、やはり」
構えを見て気付いた。既視感があり過ぎる。隙の無い構えはかつて幾度も向かい合った相手と瓜二つだった。
「まさかこんなところで斎藤の教え子と見える事になるとは……」
「先生は土方さんの事も話してくださいましたよ」
唇を持ち上げるみょうじ少尉の抑えきれない好戦性に、斎藤の顔が過ぎる。斎藤は、物静かな男でこんな顔はしなかった。だが纏う気迫は斎藤のそれと似通っていた。
「中々良い面構えだ」
「ありがとうございます。先生の話を聞いて、私はあなたに憧れたものです。だから、今とても光栄だ」
みょうじ少尉が踏み込むのが見えた。次の瞬間には距離を詰められて、彼が間合いの内側に入っていた。膨れ上がる殺気は、的確に私の急所を狙っていた。近付いてくるみょうじ少尉の目が爛々と光っているのが良く見える。それはかつて斬り合った志士と良く似た顔をしていた。
木刀の打ち合う音がいやに響いた。気付けば目の前でみょうじ少尉が蹲っている。下から睨み付けるその目にはまだ殺気が残っていた。
一度切り結んだだけで、痺れたように手が痛んだ。予想していたより重い一撃だった。本気を出す気は、正直な所無かった。少し往なしてやって、その実力を測るつもりだった。だが。
「まさか木刀でこれ程までの殺意を感じるとは思わなかった」
瞬間的に突き刺さるような殺意を躱して、彼を殺すつもりで打った一撃は、みょうじ少尉のこめかみを掠ったようで、彼は眉の端から流血していた。額に近いせいか血の流れが止まらないのを、彼は無理矢理手巾で押さえている。
「……殺すつもりで行きましたからね。あなたが本当に新撰組の副長であったのならば、私などに殺されるはずもない」
よほど打たれた事が悔しかったのか唇を尖らせるみょうじ少尉に近付いて傷口を確認する。出血は多いが、傷跡も残らなさそうな小さな物だ。
「懐かしい。私もよく、斎藤に打たれて傷を作っていた。斎藤もまた、私に打たれて傷を作った」
「いたいです」
「ここを押さえていれば流血は直に止まる。向かい傷は男子の勲章だ」
「…………はは、ありがとうございます」
困ったように笑うみょうじ少尉が視線を巡らせた。打ち合った音が屋敷内にも聞こえたのか、その視線の先には尾形が顔を覗かせていた。
「やあ、尾形上等兵。恥ずかしいところを見られてしまったね」
傷口を圧迫する手の内側から、押さえきれなかった血が溢れてみょうじ少尉の顔を汚す。尾形が不愉快そうに眉を寄せるのが見えた。
「……もう終わったのか?」
「え?」
「終わった。みょうじ少尉が怪我をしてしまった。手当てしてやってくれんかね」
尾形の目に強い殺気が宿るのが見えた。私を睨み付けるようにみょうじ少尉の元へ寄った尾形は、見た目に似合わない繊細な手付きで彼の傷を確認すると、あからさまなため息を吐いた。
「なまえ、来いよ」
「うん」
尾形に手を引かれて屋敷内に入っていくみょうじ少尉が「またお相手してくださいね」と笑ったのに頷いた。尾形が射殺すような目で私を見ていた。
***
「傷見せろ」
二人きりの部屋で傷を押さえていた手を外されて、また少し血が垂れたような感覚がした。地味な痛みが拍動と共に襲ってくる。尾形上等兵が傷に障らないよう丁寧に私の傷を消毒していく。顔に似合わないとても優しい手付きだった。
「見たか、あの太刀筋?先生の言われた通りだった。土方さんは強いなあ。全力で行ったのに、掠りもしなかった」
不思議な高揚感だった。あんなに凄い人がいたなんて知らなかった。士官学校では音之進より他に私に並び立つ者はいなかったから、異次元の強さを見せられて不思議な気持ちだった。だが尾形上等兵は不機嫌そうに私を睨むだけだった。
「……女が、」
「……?」
「女が顔、怪我すんじゃねえよ、馬鹿」
不機嫌な声音が耳朶を打ち、指先が髪を辿った。傷が熱く痛むような気がした。
「どうせ、使い道の無い顔だよ」
「それでも、怪我すんな」
「傷があると見苦しいから?」
「違う。単純に、お前が怪我をするのが俺の気に障るだけだ」
「…………ふうん」
尾形上等兵の視線が私の上をなぞっていく。それが気恥ずかしくて目を逸らそうとしたのに、彼はそれを許してはくれない。
頤を持ち上げられて無理矢理目を合わせられる。傷を確認するように当て布の上から唇が落とされる。ぴり、とした痛みに目を細めたら、彼はすぐに私から距離を取った。
「お前は俺に命じれば良いんだよ。前線に出る必要なんか無い。怪我を負う事も無い」
しっとりと頬を撫でた指が離れていく。尾形上等兵の目に乗った感情が、良く理解出来ない。彼は私を女に戻して一体何がしたいのだろう。
「……私は、みょうじ家のなまえだ。部下を守り、共に戦えと教わった。……今更、そんな」
「言っただろ。俺はお前を解放してやれるって。ただの、なまえにしてやれるって」
差し伸べられた手がとても暖かそうに見えて、それが恐ろしかった。今更、その手を取ったら私の今までが全て無かった事にされてしまうような気がして。
「……皆、私に何を求めるんだ?」
「は?」
「父も、母も、君も、勇作さんも、鶴見中尉も、音之進も、みんな、私に求める物が違い過ぎる。私は一人だ。……全てには、なれない」
それは初めて吐露した弱音であり本音だった。尾形上等兵が表情を曇らせたのが見えた。ああ、彼を困らせてしまう。ちゃんとしないと。ちゃんと、みょうじ家のなまえにならないと。
「…………、何でもない。私はみょうじ家のなまえだよ。今更変わらないし、変えられない」
逃げるように立ち上がってその場を後にする。尾形上等兵がどんな顔をしているのか、怖くて確認する事が出来なかった。
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