第七師団を造反したと宣う尾形百之助の先導により、我々は寂れた宿場に誘われた。日泥一家とも馬吉とも関わりが無いだろう事は一目で分かった。それ程までに寂れていた。管理する者もいないのでは無いかと思わされるくらいには、そこは荒れ果てていた。
「少し待っていてくれ」
尾形が宿場の玄関口を開けようとするが、それは向こう側から開けられた。
「尾形上等兵、遅いぞ。もう少し遅かったら迎えに行こうかと思っていた」
そこにいたのは士官だった。否、士官のように見えた。纏っている物は士官のそれだが、髪はそれとは見えぬ程長いし何より、何処となく柔和な女子のような顔立ちが軍人らしさを打ち消していた。
「おや、もうお友達を作ったのかい。ちょっと見ない間にやるなあ」
我々を見てわざとらしい空惚けた声とその星屑を集めたような瞳に既視感が湧いた。思い出す。あの戦いの日々を失意の日を。あの冷徹な瞳が我々を、我が同胞を睨む目を。
「みょうじの、家の子かね」
呆気に取られる夏太郎は勿論、永倉とて我々の因縁を知らぬだろう。みょうじ家と私の因縁など。
徳川の世から武勇に秀でたみょうじ家の先代(つまり目の前の彼の祖父)と私たちは共に戦った謂わば同志であった。それと同時に我々はみょうじ家と敵対関係にあった。当代みょうじ家の当主(つまるところ彼の父)が新政府側についたからだ。
みょうじ家の先代は酷く動揺していた。当然だ。彼の家は徳川を初期から支えてきた小姓組番の家柄なのだから。まさか己が子が護るべき主君に刃を向けるとは思いもしなかったのだろう。
当代みょうじ家の主は冷徹に我々を追い詰めた。実の父を殺す事に微塵も躊躇いの無い様子だった。そして輝かしき彼の軍歴の初めてを飾ったのはその父親の首であった。その首の重みと引き換えに、みょうじ家は御一新でその地位を盤石な物とした。あれ程徳川に近かったはずのみょうじ家は新しき世ではその武勇を生かして近衛の地位を欲しいままにしている。
みょうじの嫡男は、私が己の事を知っていると気付いているのか不思議そうに首を傾げた。だがそれは酷くわざとらしい、芝居がかった顔であった。
「おや、私をご存知とは光栄の極み。何処かでお会いした事が?」
みょうじの血統に特徴的なのか、彼の父もその祖父も珍しい瞳の輝きを持っていた。星屑を散りばめたようなさんざめく光。その瞳を忘れた事など無かった。あの瞳に睨まれて、私は僅かにも敗北を覚悟した事があるのだから。
「みょうじ?まさか、小姓組番の……」
永倉も勘付いたようだ。もっとも彼が思い出したのは「祖父」の方である。
「あなたは祖父にお会いした事があるのですか?祖父は私が生まれるより前に戦死したので、よく知らないのです。なんせ父は祖父の話をあまりしてくれませんから」
身内の話を出されて僅かにも人懐こい顔をする青年はつまりみょうじの嫡男なのだろう。柔和で大人しそうな顔をしているが、その裏に父御のような蛇の顔がチラついた。
「みょうじ家の嫡男は、陸軍で少尉を拝命したと聞いていたのだがね」
「ええ、ですが、色々あった末に私はここにいます。それが事実であり全てです。いつの間にか父が新政府側についていた時と同じです。事実は小説よりも奇なり、ですね、土方歳三殿」
人を喰ったような笑みに、ずっと昔に追いやった感情が奥底から湧き立つような気がした。唾液を飲み込んでそれを更に奥底に追いやる。感情的になれば、きっとこの青年はそこを突いてくると思ったからだ。この子の父御がそうであったように。
「我々は尾形百之助と手を組む事になった。君はどちらの立ち位置なのだね?」
「今の所、私は第七師団から造反している事になっているのでついていきますよ。それに尾形上等兵は私の部下なので彼の監督も私の役目です」
軍人とは思えないほどころころと表情が変わる青年には、軍人にありがちな芯の強さが見えないような気がした。何処となく流されてしまうような不安定さが見えた。永倉が傍に立つ。耳を貸してやる。
「宜しいのですか?みょうじと言えば『蛇舌』で有名ですぞ」
「それは父だけです。御一新の戦で父はお家を守るために新政府につきました。でもそれは大坂の役で真田一族がやった事と何一つ変わりません。父は蛇の謗りを得ようともお家を守ろうとしたのです」
小声を耳聡く拾ったのか、不本意だとでも言うように青年は永倉を睨め付ける。それから彼は嘲るように唇を持ち上げた。
「まあ、護るべきお家が無い方には分からぬ話かも知れませんがねえ」
せせら嗤う青年は父御に良く似ていた。あの星屑の瞳が嘲笑に歪むのを見た。そして彼は何の躊躇いも無く己が父に手を下したのだから。
「みょうじの。名は何と言うのだね?」
熱り立つ永倉や夏太郎を抑えながら青年に問う。彼は綺麗に微笑んだ。それは狡猾な彼の父の物とは違う。だが豪放な彼の祖父の物とも違う。とても純真な笑みであった。
「なまえです、みょうじなまえ。よろしくお願いしますね、土方歳三殿」
星屑の瞳は細められたせいで見えなかった。それだけが救いだった。
コメント