ナマエがジョースター家に来てから、漸く体調が良くなったと聞いて様子を見に来た。僕はディオとはあまり上手くいっていないけれど、ナマエとはそれなりに良い関係を築けていると思っていた。
「ナマエ、いるかい?」
「……なあに、ジョナサン」
ナマエの部屋の扉をノックすると、控えめな声と共に扉が開かれる。初めて会った時より随分血色の良くなったナマエが顔を覗かせて微笑んでくれた。
「もし良かったら、外に遊びに行かないかい?この辺りを案内するよ」
「…………そうだね。行くよ」
静かな声は聞きようによっては嫌々返事しているように聞こえるけれど、ナマエと何日か話していて気付いたのは彼があまり表情豊かな方ではないという事だ。そして、ナマエは嫌な時はちゃんと嫌と言える子だから、たとえそれに表情が伴っていなくても「行く」と言う時はちゃんと「行きたい」と思ってくれている。
漸く仕立て上がったナマエの服は彼にぴったりで、ナマエの事を良く知らない人が見たらきっと僕の本当の弟と思って疑わないだろう。
ナマエの手を引いて外に出る。メイドが微笑ましそうに僕らを見ていたのが、とても嬉しくて何だか照れ臭かった。
屋敷の近くの自然を案内したり街に行ってみたり、ナマエに僕の考えつく限りの「楽しいところ」を案内した。ナマエは大きく表情こそ変えなかったけれど、どの場所にも興味を示してくれた。
でもリバプールの港の風は強くてナマエは目に見えて表情を暗くした。
「ナマエ?……大丈夫?」
「ジョナサン、」
「何?」
「ちょっと、休憩したい……」
僕が浮かれ過ぎていたせいか、ナマエの顔色はさっきより少し悪くなっていた。慌てて僕らは海沿いのコーヒー・ハウスで温かいコーヒーを貰って港の誰も来ないところに腰を下ろしていた。
「ごめん、ナマエ。僕が夢中になってしまったせいで……」
「ううん、平気。少し疲れただけだから」
ナマエは後ろの壁に身体を預けて唇の端を持ち上げて笑顔の表情を作った。風が吹いてナマエの髪の毛を攫っていく。とても穏やかな彼の横顔に僕は見惚れていた。
「……ジョナサンはいつもこういうところで遊んでいるの?」
赤い色の瞳が僕を見つめて不思議そうに細まる。首を傾げたナマエは一口コーヒーを啜ると、僕の言葉を促すように瞬きをした。
「そうだね。ナマエは?ロンドンでは、どんな事をしていたの?」
ナマエの目が不思議と揺れたような気がして、僕は瞬きをしたけど、次に目を開けた時にはもう、彼の目は考えるように眇められていたからきっと僕の気のせいだったんだと思う。
「そうだね。学校には行かなかった。母の薬代を稼ぐために働いていたんだ」
「……そう、なんだ」
何て事ないようにナマエは言葉を紡ぐけれど、それは僕にとってみれば衝撃だった。僕が毎日学校に行ったり遊んだりしている間に、ナマエやディオは家族のために働いていたのだと知ったから。
「でも、別に嫌じゃあなかったよ。ディオも僕も手先が器用だったから工場では成績良かったんだ」
誇らしそうに微笑むナマエに何か言わなければと思うのに、僕は何も言えなかった。でも、もしかしたらディオが僕に対して嫌な事をするのは、僕のこういう、世間知らずさのせいなのではないかとふと頭を過った。
「ジョナサン?」
「あ、ううん……、何でもない……」
ナマエが不思議そうに僕の目を覗き込む。不思議な輝きを持った赤い色の瞳が僕を見ていると思うと、心臓がどきどきと高く鳴った。
「今度、ジョナサンの友達も紹介してよ。……僕、ロンドンじゃああんまり友達いなかったからさ」
僕の感情など知りもしないのだろう。ナマエは綺麗に笑った。僕は返事をしようと思ったのに喉が締め付けられたようになって声が出なかったから何度も頷いた。
「ジョナサンは友達と何して遊ぶの?」
「そうだなあ……。最近はボクシングとか」
ナマエはボクシングなんてしなさそうだなあ、と思った。何て言うか、ナマエは落ち着いていて、本を読んだり絵を描いたり、そういうのが似合いそうな気がした。
「ボクシングかあ。僕は見てるだけだったけど、ディオは強いよ。ロンドンでも負けたの見た事無いもん」
自分の事のように誇らしそうに話すナマエは本当にディオの事が好きなんだと分かる。ディオもきっと、ナマエの事が大切なんだろうと、僕は知っていた。盗み見するつもりは無かったけれど、ナマエの部屋を頻繁に訪ねるディオの事を僕は知っているから。
「ナマエはディオの事が大好きなんだね」
僕の言葉にナマエは驚いたような顔をして、それからとても綺麗に微笑んだ。
「そりゃあ、そうだよ。僕とディオは二人で一つ。決して分かれては生きていけないんだから」
太陽みたいな何もかもを信じ切った笑顔で発せられるこの言葉の本当の意味を知るのは、僕たちが子供時代に別れを告げて大人になってしまったもっとずっと後の事だった。
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