御言葉をきけよや

グレーの瞳が此方に向けられる。色素の薄い睫毛に縁取られたそれは大ぶりの宝石か何かに見えた。柄ではないが本当にそうとしか形容が出来なかった。此処では目撃者を演じる私を見つめ、何も言わない(或いは言えない)両眼がゆっくりと瞬いた。

両手を鮮血に濡らして、そいつは座り込んでいたが動揺めいた様子は見られない。寧ろ感情という感情が見当たらない。そいつの背後で小刻みに痙攣していた男が苦悶の呻きを細かに上げた。なんだ、死んでなかったのか。

「   」

形の良い唇が何事か呟く前に、本能とでも言うのだろうか。スタンドを出した。グリーン・ディが音も無く私に寄り添うのを、そいつは「目で追った」。

「お前、『これ』が見えるのか?」

「……何も、出来ない」

私の問いにちぐはぐに与えられた言葉は高くもなく低くもなく、聞き取りやすい。妙に惹き付けられるのは「ゆらぎ」のせいだろうか。所謂「1/fゆらぎ」というやつだ。……それよりも、だ。

「出来ない?」

「何も出来ない。何一つ、私にとって不利な事は出来ない。あなたには、私を害する意思が無いのだから」

見透かすような瞳がムカついて、グリーン・ディを発動させようとしてその異変に気付く。スタンド能力が使えない。それどころかこいつを殺そうという意思すら翳っている。

「……お前、私に何をした?」

「何も。私はただ、指摘しただけ。あなたには私を害する意思がないと」

そいつの隣に私と同じ物が立つ。だが私の物とは異なり、それの輪郭は曖昧だ。そしてそれが私に何らかの影響を齎したのは明らかだった。

「お前スタンド使いか」

「…………スタンド?」

無知を装っているのか或いは本心か、ただ組織には所属していないだろう。野良と言ったところだろうか?悪意よりも興味が勝り、取り敢えず敵意は無いと示す為にスタンドを収めれば、そいつも心得たのか、それをしまった。

「スタンドというのは精神のエネルギーだ。俺のグリーン・ディもお前のソレも」

「ヴ、ぁ…………」

其奴の後ろで血濡れの男がまた唸る。煩ェ、話の邪魔をしやがって、始末してやろう。

「…………苦しいでしょう。死ぬと良い」

そいつが口を開いて、言葉を発した。それだけだった。私が始末するつもりだった男の呼吸が止まったのが分かった。そいつが、そいつのスタンドが何かしたのだと気付くのに時間は掛からない。

「それがお前の能力か?」

「…………?よく分からないですが、多分そう。私が言えば、皆言う事をきいてくれる。死ねと言えば死ぬ。普段は言いませんが」

グレーの瞳が少しばかり細まって私を見る。上目遣いに私を見るその目にはどうにも隠さない色香が含まれていて酷くそそられる。

「それで、普段は言わねェ言葉を言った理由は何だ?」

「……彼がこの仔を傷付けていたから」

其奴の腕の中にいたのは小さな猫だった。弱々しく震えている猫を抱いて、そいつは視線を僅かに鋭くした。

「可哀想に。左眼が潰れている」

たおやかな白い手が仔猫の背を撫でる。雰囲気は聖母のそれなのに、背景が悪趣味なのはご愛嬌だろうか。一層其奴に興味が湧いて、私はつい口にしていた。

「お前、名前は?」

「名前……。…………ナマエ」

思い出すように言葉を紡ぐナマエに何をしてやろうかと興奮を隠すのに苦労する。コイツの浮世離れした表情を歪ませてやりたい。コイツはどんな苦悶の表情を浮かべるのだろう、と。

「老婆心ながら教えてやる、ナマエ。見ず知らずの男にそう簡単に名前を教えるもんじゃあねぇぞ」

「…………?別に直ぐに『忘れて』しまうでしょう」

「っ、テメェ、能力を使うんじゃあねぇ」

あっという間にコイツの名前がどうしても思い出せなくなる。薄い表情に僅かな勝ち誇った色を足してそいつは微笑んだ。それから「あなたのお名前は?」と私に問い返した。先ほどより感情が濃く出た声だった。口を閉ざそうとするのに勝手に言葉が口を突いて出る。

「チョコラータ」

「私はこの辺りに詳しく無いのですが、この辺りにお医者はありますか?」

困ったように首を傾げるそいつに(表情は無のままだが)、肩を竦めて見せる。不満げに歪められた形の良い唇から「教えてください」と言葉が発せられる。そうすればたちまち私は知っているこの辺りの医者の情報を口に出している。勿論、私のことも含めて。腹立たしい事この上ねェ。

「そう、あなたもお医者なのですね。仔猫は診れますか」

「獣医じゃあねえんだ」

「では、仕方ありませんね。全てを忘れて、無かった事に……」

明らかに私に対する興味を失った其奴に阿るように「診てやるが、期待はするなよ」と続ける。よりにもよってこの私が他人に阿るだと?全く腹立たしい。ペースを乱されてばかりだ。

「ありがとうございます、チョコラータ先生」

明確に嬉しそうな表情を見せるそいつに再度名前を問うと「ナマエです」とその唇が音を紡いだ。腕の中の仔猫がみぃ、と鳴いてその度にナマエがその背を撫でる。

俺の根城に案内しようとすると律儀についてくるナマエは世慣れているようには見えないのに、全くと言って良いほど隙が見えなかった。

コイツのスカした顔を苦痛に歪めてやりたい。俺の頭の中など見えないだろうナマエは仔猫に健気に話し掛けている。

「良かったね、お前。『チョコラータ先生が直ぐに治してくれるよ』」

「っ、だから、能力を使うんじゃあねぇ!」

頭の中が仔猫に対する治療の方法で一杯になる。思考に干渉されて苛立たしい。治療法を追い出そうとするのに、追い出そうとすればする程脳内がそれ一色になってしまう。

「心配せずともこの仔を治していただければ、もう何もしませんよ。私の事も煮るなり焼くなり好きにしてください」

結われた髪から抜け出た遊び毛を指先で整えながらナマエは薄く微笑んだ。心中舌舐めずりをしたのは言うまでもない。

これがナマエとの出会いになる訳だが、まさかこれがきっかけでコイツがパッショーネに入団し、事もあろうに暗殺チームに配属されるとは、思わぬ誤算であったのだ。

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