蛇を誘惑

昼間に館に来る「友達」に碌な奴はいない。大体が私に会いに来る奴だからだ。基本的に私に会うにはテレンスを通す事になっているのだが、時々それを擦り抜けて会いに来る奴がいるのだ。

「お前の事だぞ、ホル・ホース」

「何の事ですかねえ」

「今日、お前が私に会いに来る事を、私はテレンスから聞いていない」

日の当たるバルコニーで唇を尖らせて見せれば、目の前の男は笑みを深めた。人を喰ったような笑みが癪に触る。

「はあ?執事が伝えるのを忘れたんじゃあねえですか?俺ァアンタに会うのを楽しみに、毎日一生懸命働いてるってぇのによォ」

「……?とにかく、今日は一日書庫の本を読むと決めているんだ。お前の相手をする時間は無いぞ」

顔にかかった髪を耳に掛けて、手に持った本の頁を一枚捲った。久しぶりに神学大全を読もうと思ったのだ。館の良い所の一つに書架が充実しているところがある。ここには古今東西の神学についての書物が置かれている。

「つれねェ事言うなよなァ。俺は今日、アンタに会いに来たんだぜ?」

「そうかい。会えたから用事はもう終わったな」

もう一枚、頁を捲る。風と日差しが心地良い。テレンスが持ってきてくれたレモネードに口を付けるが随分温くなっていた。ホル・ホースが抗議の声を上げるより先に彼の目の前にグラスを突き付ける。

「飲み物が温い。交換して来てくれたら話くらいは聞いてやるよ」

「はいよ。お安い御用だ」

てっきり面倒臭がって他所へ行くかと思ったのに、ホル・ホースの奴ときたら尻尾を振って厨房へ行ってしまった。厨房に行けばテレンスがいるだろうから足止めしてくれるかと思ったが、何か上手い事言い包めたのか、ホル・ホースは私の飲み物と何故か彼の分も持って帰って来た。

「居座る気か……?」

「約束だぜ、『話くらいは聞いてくれる』んだよなァ?」

私の向かいに座り直したホル・ホースは促すように私の前にグラスを勧めた。促されるままに一口口に含む。爽やかなレモンの香りが鼻に抜けた。

「仕方ない。約束だからな」

本を閉じてテーブルに置く。ホル・ホースの目が輝いた。それで。

「私に何の用だ?」

しっかりと彼の目を正面から見つめる。初めて見た時には大分軽薄そうな印象があったが、今はどちらかと言うと犬のように見えた。「昔」見た人懐こい犬のように。

「俺ァ、アンタとお近付きになりてェんですよ。DIO様には勿論忠誠を誓った。けどアンタの事はそれ以上に気になる」

「分からない奴だな。私に一体何を見出したんだ?ディオと仲良くしておけば良いだろう」

「アンタこそ分からんお人だな。アンタが良いんだよ」

真剣な目で見つめられたが逆に白けてしまう。テレンスから聞いていてようく知っていた。

「そういう手口でお前があちこちにゲンチヅマを作っているとテレンスが言っていた」

「何つう事を教えとるんだ、アイツは」

つまらなさそうに頬杖をついてグラスワインを飲み干すホル・ホースに声を出して笑った。私が笑った事に気を良くしたのか彼は私の顔を覗き込むように己の顔を近付けた。

「けどよォ、アンタの事が気になってんのはホントだぜェ~~?」

「そう。何が目的だ?」

良い顔をして近付いてくる人間に碌な奴はいない。そういう人間に対抗するにはビジネスに持ち込む必要がある。そしてビジネスにはビジネス用の表情が要るのだ。

ゆっくりと鷹揚に見えるように背凭れに背を預け、足を組む。顎を引いて下から見上げるように彼を見つめた。視線と視線が絡む。綺麗に微笑んで見せたらホル・ホースは乞うように私の爪先の前に膝をついた。

「やっぱりイイぜ。アンタ最高だ」

赦しを得るように私の手を取ったホル・ホースは遠慮も無く指先に口付けてくる。

「初めて見た時から目を付けてた。アンタはきっと幾らかの領分ではある種DIO様よりも冷徹で残酷になれる。そういう面をしてる」

「どうかな。私は昔から『品行方正』『慈愛の人間』で通っていたが?」

握られた手を躱して彼の鼻の先に指を突き付ける。ホル・ホースの灰青色の瞳が私の事をじっと見ている。

「だが、目の付け所は悪くない。私はある目的のためならば誰よりも冷徹になろう」

「目的ィ?」

「そうだ。……ディオと共に、私の願いはそれだけだ。お前がその願いを叶える手助けをしてくれると言うのなら、重宝してやるぞ?」

値踏みするようにホル・ホースを見る。彼は私を見返して気障ったらしく口端を持ち上げた。ブルーグレーの瞳が愉悦に歪む。

「良いなァ、その目。唆るぜ。モノにしてェ」

その目に宿る肉欲の光が私の身体を舐めるようになぞって行く。受け入れるように両手を伸ばしたら、その手を取られて引っ張られた。勢いがついて立たされる。腰を抱かれて引き寄せられた事で私の顔と彼の顔が随分と近付いた。

「本気だぜ?本気でアンタの事が欲しいと思ってる」

囁くような声音が耳朶を擽る。二割くらいは本気にしてやっても良い気がした。それにたとえ嘘だったとしてもお遊びには丁度良い。暇を持て余していたところだ。官能を起こすように彼の首筋を撫でると、赦しを得たとばかりに唇が奪われる。遊び慣れている触れ方だと思った。テレンスのようなぎこちなさは無く、かと言ってディオのような泥濘の如き感情も無い。

唇が離れる瞬間に至近距離でまた視線が絡んだ。高揚で喉が鳴りそうになるくらい、浅ましい目の色に私自身笑みが深まるのを感じた。彼は同じ目をしていた。今まで私を得ようとした人間たちと、全く同じ目を。

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