01

強い衝撃に一瞬息が詰まった。己の身体を庇うように尾形が守ってくれたけれど、それでもナマエは一瞬何も分からなくなった。それくらい大きな衝撃だった。

先に起き上がったのは尾形だった。ナマエを抱えて引き摺るように近くの茂みに潜り込む。だがそれ以上はもう、動けなかった。無理に動いたせいで毒の周りが早まった。灼け付くような痛みに、彼は唸りその場に蹲った。

「ぁ、お、がた……」

ナマエが意識を取り戻した事に気付いた尾形は彼女を安心させようと笑んだつもりだった。だがどうやらその表情は失敗だったようで、ナマエは今にも泣きそうな顔で尾形に縋り付いた。

「大丈夫、だからね……っ。絶対、ぜったいに……!」

まるで自身に言い聞かせるかのように「大丈夫」と繰り返すナマエは、その琥珀色の瞳から雫を溢した。尾形はその雫を指で拭ってやろうとしたのに、何故かもう、手はちょっぴりも動かす事が出来なかった。

ナマエが尾形の傷口を確認しているのを、彼は何処か他人事のように感じていた。粗方の肉は抉ったから、後は止血だろうか。今考えるべきでもない事が頭を次から次から過ぎる。そうして尾形は痛みと途方も無い倦怠感に引き摺られて意識を手放した。

意識を失った尾形の手が少しずつ冷たくなっていく事が、ナマエには恐ろしかった。出来る事は全てしている。それでも彼が死に絡め取られたら?

共に生きると約束したのに。

か細くなっていく尾形の呼吸に、ナマエは彼の手を強く握り締めた。ナマエより一回りも二回りも大きな身体を何度も摩って熱を与えた。それでも尾形の生命は揺らめく蝋燭の炎のように不安定だった。

「尾形……、尾形……!目を開けて!」

最悪の想像が脳裏を過ぎる。怖くて堪らなかった。彼を喪ったら、生きていける心地がしなかった。

無力感に苛まれて、それから仲間だった人々の顔が浮かんだ。もし、彼らがここにいたら。そんな都合の良い助けを期待した。自分からそれを捨てた癖に。

「おがた、しんじゃいやだ……。やくそく、したのに。しなないで……!」

溢れる涙を抑えられなくて、彼女は泣きながらひたすら尾形の手を握った。もう、ナマエに出来る事はこれだけだった。少しでも、尾形を現世に留める楔になる事。己の無力さを嫌悪した。

「っ……!」

不意に背後の茂みが鳴った。肩を揺らしたナマエは恐る恐る振り返る。尾形に夢中で全く気付かなかった。それは人間の立てる音のように聞こえた。尾形を庇うようにナマエは彼を自分の影に隠す。何があっても彼を守らなければならないと思った。たとえ、何があったとしても。

そして彼は、姿を現した。

「え…………、ずきん、ちゃん?」

肩から酷く出血した彼はナマエも良く知る人物であった。荒く息を吐きいつもは冷静な瞳をギラつかせながら、ヴァシリはナマエを視認すると訝しげに顔を歪めた。それから彼女の背後に横たわる尾形に目を留めて、更に顔を歪めた。

尾形とヴァシリの因縁を知っているナマエは唇を震わせて、その身を挺して尾形を守るように一歩踏み出した。

「だめ、いまは、だめ。待って、おねがい、だから……」

相手の慈悲を乞うしか出来ない己のなんて無力な事だろう。それでもナマエはそれしか言えなかった。ヴァシリを押し留めるように尾形との間に立ち塞がって、もし彼が尾形を害するつもりならどんな事でもするつもりだった。たとえ、相手がかつての仲間だったとしても。

ヴァシリはナマエを見つめていた。静かに。いつの間にか彼の瞳に映っていた獣のような輝きは凪いで、いつもの湖面ような冷静な色が戻っていた。

ゆっくりと、ヴァシリの指がナマエに伸ばされる。咄嗟に顔を背けたナマエの頬を伝う涙の筋を、彼の指が辿った。初めて出会った時のように。

それからヴァシリはナマエの隣を通り過ぎて尾形に近付く。それを押し留めようとするナマエを安心させるように、彼女の肩に手を置いたヴァシリは尾形の傷を確認するとマッチを取り出した。

手早く火を起こしたヴァシリはナイフを取り出すと、その刀身を炙り出す。ナマエは不安で一杯だったけれど、しかしヴァシリに尾形を害する気が無い事に気付いたのかその動向をただ見ている。

赤々と灼けた刀身を一度空気に翳したヴァシリは、それからそれを出血の続く尾形の傷口に押し当てた。

「っあぁ!」

尾形の激しい呻き声と肉の焼ける臭いにナマエは声を押し留める事が出来なかった。のたうつ尾形の身体を押さえるようにとヴァシリに指差しで指示されるまで、ナマエは恐ろしさに震えているだけだった。

「だ、いじょうぶ……だから、ね……」

涙を溢し、震えながら尾形の身体を押さえるナマエにヴァシリは彼の傷口を指差した。指の先を見たナマエは目を見開く。出血が止まっていたからだ。

「え、ぁ、なんで、」

痛々しい火傷の跡こそ残っていたが、先程までの夥しい出血は明らかに止まっていた。ヴァシリは満足そうに鼻を鳴らすとそれから疲れたようにその場に座り込んだ。肩を押さえた彼の手を、血が濡らす。

「頭巾ちゃんも、怪我、してる」

尾形の出血が止まった事で少し冷静になったのか、ナマエは彼の肩を指差して治療の意思を見せた。ナマエの言わんとしている事が伝わったのか、ヴァシリはゆっくりと自身の傷を圧迫していた手を外した。

ヴァシリにゆっくりと近付くナマエはまだ知らなかった。これから僅かの間始まる奇妙な三人暮らしを。

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