これが嫁との馴れ初めである

狩りから戻ったキラウを待ち受けていた少女の顰め面に、予想していたとはいえ、キラウは苦笑を隠せなかった。前日の昼に「明日の狩りには絶対について行くんだから!」と息巻いていた彼女がまだ起きるよりも先にコタンを出発する事を決めたのは外ならぬキラウであったのだから。

「ははは、そう怒るな」

「怒ってない!悔しいだけ!」

頬を膨らませながらも律義にキラウの手に握られた獲物(鳥と兎が二羽ずつだ)を受け取る彼女は名をナマエといった。コタンの長の娘であったが好奇心旺盛で、針仕事よりも狩りに興味を持つ少し風変わりな娘だとキラウは認識していた。そして何をどう気に入られたのか、ナマエはキラウによく懐き、彼は何をしていてもキラウパ、キラウパと後をついて回られていた。

「良いなあ。キラウパは……。私だって山で狩りをしてみたいし、もっと外に出て色んな事を知りたいのに」

キラウの獲得した獲物を掲げて、ナマエは嘆息する。そこには純粋な外への憧れと、彼女の日常に対する不満が現れていた。確かに長の娘として、このコタンで生きるナマエには日々圧し掛かって来る重圧は窮屈なのかも知れない。だがそれでもキラウは彼女に外に出ろと無責任な事は言えなかった。

「はは、狩りは男の仕事だ。女には、いや、ナマエにはそれよりも学ばなければならない事が沢山あるだろう」

のらりくらりと当たり障りのない「大人」としての言葉を返すキラウにナマエは唇を尖らせる。そうすれば元々幼い外見の彼女はもっと幼く見えてしまってキラウはその微笑ましさに気付かれない程度に唇を緩めた。

「あら、何処かのコタンにはきっと狩りが好きな女の子だっているはずよ」

「まあ、それはそうかも知れないが……、」

「そうよ!キラウパが私を狩りに連れて行ってくれたら、」

「駄目だ」

名案を思い付いたと言わんばかりに顔を明るくさせるナマエにキラウは強く首を振る。予想以上に強い声が出てしまった事でナマエが怯んだような顔をしているのに気付いて、キラウは苦々しく思った。

「ナマエ、狩りは危険だ。遊びじゃない」

「……そんな事、分かってる、」

「銃の扱いもままならないお前がついて来たって足手纏いになるだけだ」

強く言い過ぎてたとえ嫌われたとしても、言わなければいけないとキラウは分かっていた。きっと肉親と同じかそれ以上に彼女に好かれているのだろう身として。彼女の事を好ましく思っている身としては尚更に。

「……分かってるもん」

「なら我が儘を言うのは止せ」

「だって……、」

まだ何かもごもごと俯いて口の中で呟くナマエにキラウは仕方なさそうに息を吐いて膝を折る。目線をナマエに合わせてやり言葉を促すように首を少し傾げれば、ナマエはみるみる頬を赤らめて余計にもごもごやりだした。

「言いたい事があるのか?」

「……、もん」

「は?」

「でもキラウパのお手伝いがしたいんだもん!!」

眉を寄せて赤い顔で涙目でキラウの事をきっと睨んだナマエは、上手く自分の心の内を言い表せない事がもどかしいのか悔しそうに地団太を踏むと、そのまま踵を返して駆けて行ってしまう。それでも足の速い彼女をぼんやりと見送っていたキラウに道半ばで振り返って「狩りお疲れ様!あとで料理しに行ってあげる!」と言い残すのは忘れていなくて、キラウは笑いを抑える事が出来なかった。

仕方なく獲物のいなくなった手に銃を担ぎ直して家路を歩く。コタンの子どもたちが足元に纏わりついて来るのを躱しながら考えるのはナマエの事であった。

いつからかは忘れてしまったが、随分と好かれてしまったものだ。肉親かそれ以上に、兄として、男として。潤んだ瞳も上気した頬もまるで女のそれだった。

(ナマエも成長したもんだ)

年寄り臭い事を考えてしまう自身に苦笑しながら、チセに入ればそこには既にナマエが座っていた。

「早!」

「だって料理しに行くって言ったじゃない」

先ほどの事が嘘のように明朗に笑うナマエにキラウは肩を竦めたが彼女のしたいが事に任せようと炉端から少し離れたところで座り込んで銃の手入れを始めた。

「あーあ、キラウパは良いなあ。外で狩りも出来るし冒険も、私のしたい事何でも出来る……」

鳥の羽を毟りながら羨ましそうにキラウの事を見つめるナマエに彼は困ったように笑う。ナマエが外の世界に憧れる気持ちも分からなくはないのだ。かく言うキラウだってコタンを出る許可を貰う以前の幼少期には随分外の世界に憧れたのだから。

ままならない事だからこそ余計に外の世界が彼女の興味を駆り立てるのだろう。彼女の鬱積がそれで少しでも和らぐと言うのであれば、キラウは喜んで彼女の愚痴に付き合うつもりであった。

「でもお父様はこう言うの!『女は夫が帰るのを家で待つものだ』って!」

ぎゅうと顔を顰めるナマエに苦笑を禁じ得なくて、しかし僅かに、成長した彼女が誰かの帰りを待つ姿を想像して、キラウは目を細めた。

「……だがそれはある意味、女の特権だろう」

「とっけん?」

「好いた男の帰りを迎えられる幸せは女の特権だ」

キラウとしては思った事をそのまま言ったつもりだったけれど、ナマエは目に見えて驚いたように目を丸くさせた。それからじわじわとまた頬を赤らめる。

「……キラウパには、そういう女の人いる?」

「お前が飯を作りに来ているこの現状のどこにそんな女がいるんだ?」

呆れたように肩を竦めるキラウであったが別に言っても今更の事なので、本当に今更だ。それに彼自身そういう話は既に貰っているのだ、長から内密に。娘をどうかと。つまりナマエを。

長は多分ナマエがキラウに良く懐いているところを見て、収まるべきところに収まれば良いと思ったのだろう。だがキラウは何となくすぐには頷けなかった。歳の差の事もあるし、ナマエの世界にはきっともっと彼女に見合うような男は沢山存在するだろうともおもったから。勿論ナマエの事は非常に好ましく思ってはいるが。だからこそそれくらいは言葉にしてやろうとキラウは銃床を一度撫でた。

「だがまあ、狩りに出た帰りにナマエがコタンの入り口で待っていてくれるのは素直に嬉しいぞ」

明後日の方向を見ながらもう調整したはずの銃身を弄ったりなんかしながら吐き出した言葉は随分浮ついて聞こえた。ナマエは何も言わない。こういう時こそ何か言ってくれと渋々キラウがナマエの方をちらりと見れば、彼女はそれこそ零れ落ちそうなくらい目を丸くして顔を赤く染めていた。

「え、それ、」

ぱくぱくと口を開閉させていたナマエだったが少し嬉しそうに微笑んだ。思ったような反応と違って意表を突かれたキラウにナマエは少し澄ましたように口を開いた。

「じゃあこれからもキラウパの帰りを待っていてあげようか?」

大人ぶったその表情が可笑しくて噴き出したキラウだったが、頷く事は忘れなかった。そうすれば暫くは狩りに連れて行けとは言われないだろうと思ったからである。それがまさか、表題のように収まるとは縁は異なもの味なものである。

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