今は遠い真白の御手

夜、眠ろうとしている時、私には想い出すひとがいる。そのひとは決まって私が眠ろうとして眠れない夜、仰向けで天井の一点を見つめているその時に訪れるのだ。暗闇なのにどうしてだか鮮明に目に想い出せるその人は私の、私だけのねえさんだった。

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先の戦争で突然に兄を亡くした私は一時期幼児返りを起こして周囲を梃子摺らせた。気に入らない事があると喚き立て、周囲に当たるという凡そ軍人の子どもにあるまじき所業にほとほと手を焼いた私の父が何処からか連れてきたのがねえさんであった。

初めてねえさんをこの目で見た時、私はなんと美しいひとがこの世にいるものかと感動すら覚えた。

白く柔らかそうな頬は朱墨を溶かした様に染まり、綺羅綺羅と輝く瞳は母の黒曜石の首飾りに似ていた。濡羽色の御髪は指通りも良く滑らかで、私は時折許しを得てねえさんの美しい御髪に触れさせていただいたものだった。

ねえさんは私の世界の全てであった。どんな時も私を肯定してくれて私の味方になってくれた。私が私の中の理不尽な感情に苦しみ、たとえそれを表出したとしても、ねえさんは、ねえさんだけは私を絶対に否定しなかった。それが私の中でどれ程救いとなっていたか、きっとねえさんは知らなかっただろうけれど。

ねえさんと私は四六時中一緒であった。それはねえさんの意思というよりも私がいつも別れ際に駄々を捏ねてあと少し、あと少しとねえさんに引っ付いて離れなかったせいだ。軍人の子息にあるまじき行いに母は私を叱ったが(父は私に無関心であったから)、ねえさんは困った様に微笑みながら母に取り成してくれるのだ。

母もねえさんには弱くて、音之進は甘やかすと付け上がる、とかなんとか言いながらも語勢を緩めた。勿論ねえさんが帰った後でたっぷりと説教を喰らうのだが、当時の私はねえさんが私を庇ってくれたという事実が嬉しかった。兄を亡くしてそれでも悲しみを見せるなという無理難題を吹っかけられて滅茶苦茶だった感情を綿のように柔らかな何かで包んでくれた事が。

ねえさんは名をなまえと言い、詳しくは知らなかったけれどどこかの士官の娘だったらしい。生まれは東京で父君の仕事の都合でこちらに居を移したようだった。鹿児島の焼けるような日差しに反して抜けるように色白で、訛りの無い東京の言葉を話すねえさんが、私の知人のどの女よりも私には一等美しく、垢抜けて見えた。だがそれを伝えてもねえさんは「音之進さんはまだ女子の何たるかをご存じないのですよ」と控えめに笑うだけであった。

私とねえさんは四六時中一緒であった。私はねえさんと折り紙をしたり絵を描いたりしたし、ねえさんは私の示現流の稽古を見学した。私はねえさんの優しく笑う顔しか知らなかった。ねえさんがどんな境遇にいるかも知らないで。

ある日ねえさんは約束の時間にややも遅れてやって来た。いつも時間を違えた事は無く、私がねえさんを心待ちにしているのを知りながら。拗ねて口を利かない私にねえさんは申し訳なさそうに謝ったけれど、私は終ぞ口を開かなかった。その日は父がフランスの知り合いから貰ったド・ディオン・ブートンを、ねえさんに見せてあげたかったからだ。困ったように私の機嫌を取ろうとするねえさんに意地を張ってそっぽを向く私に、ねえさんは悲しそうに眉を下げて、そして私の目の前に膝を突いて、私と目を合わせ、そして私の身体を優しく抱き締めた。

いつものねえさんからは香らない妙に甘い香の香りに何が起こったのか分からなくてただ、高鳴る心臓を抱えて突っ立っている私をねえさんはもう一度だけぎゅうと抱くと私の顔を覗き込んで「わたくしは音之進さんと出会えて幸せでしたわ」と、まるで今生の別れのような言葉を零した。その時になって気付いたのはまるでねえさんはいつもより濃いお化粧をして、まるで誰かに見られる事を意識したような、美しい着物を着ていた。そしてまるで別れのような雰囲気に私が動揺している間に、ねえさんは帰ってしまった。私は駄々を捏ねる事も忘れて、ねえさんも母に取り成す事は無く、私はただねえさんを迎えに来た車がねえさんを遠くに連れ去っていくのを阿呆のように眺めているだけだった。

その日からぱたり、とねえさんは私の前から姿を消した。まるで最初から存在すらしていなかったかのように。最初の内は私もねえさんの訪れを心待ちにしていた。三日経ち一週間経つ頃はそわそわとみっともなく待ち侘びた。二週間経ち三週間経つ頃にはいよいよ文の一つでも書いてみようかと文机に向き合って、そして悩んで何も書けなかった。ひと月経って、そして風の噂で聞いた。

ねえさんは東京に帰ったのだと。もっと言えば東京の、偉い将校の家に嫁いだのだと。私には何も言えず。ねえさんは私と同じだったのだ。先の戦争で父君を亡くしたねえさんを、支援するという名目で彼女の夫君は貰い受けたのだ。一回りも二回りも歳の離れたねえさんを。

あの日は結納が済んだねえさんが最後に無理を言って私に逢いに来た、本当の最後の日だったのだ。

何度もねえさんに手紙を書いた。最後の日に素っ気なくしてしまってごめんなさい、と。何度も赦しを請う手紙を書いたのに、返事は帰って来なかった。ねえさんは本当に存在したのかと、私の中だけの存在なのではないかと私が錯覚する程に、父も母もねえさんの事を口にしなくなった。(後で聞いた事だったけれど、見初められたねえさんの祝言には随分と強引な手段がとられたらしい。それが父母の口端に乗らない理由かは定かでは無かったが)

夜眠る時、必ずねえさんの顔が浮かんだ。優しい笑顔なのに、それなのに怖ろしかった。段々とねえさんの顔が思い出せなくなっていく事が。ねえさんが私に遺したのは想い出だけで、忘れたくないのに手柄杓から水が零れ落ちるように失われていく記憶が怖ろしかった。忘れたくなど、なかったのに。

***

それから幾らか年月を経て、私も兄の事について概ね消化し始めて、ねえさんの事も呑み込もうとしていた頃、ねえさんが亡くなられたと聞いた。流行り病とも胸を病んだとも聞いたが真相は分からなかった。ただ、それを聞いた時、ぽっかりと胸の内に穴の開いたような感覚と一緒に、今はもう亡い白い御手の柔らかさだけが唐突に思い出された。あれだけ思い出そうとして思い出せなかったその柔らかさが。そして私の頭を撫ぜて「おりこうさんね」と言う鈴のような声音が聞こえた気がして、ねえさんは何一つ、私のものではなかった筈なのに、涙が一筋、勝手に零れて滴った。それが私とねえさんの全てだった。

夜、眠ろうとしている時、私には想い出すひとがいる。そのひとは決まって私が眠ろうとして眠れない夜、仰向けで天井の一点を見つめているその時に訪れるのだ。暗闇なのにどうしてだか鮮明に目に想い出せるその人は私の、私だけのねえさんで、私はどんなに我慢したって滲む視界を止められない。

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