前回までのあらすじ
鬼上司の孫娘に想いを寄せられた網走監獄看守部長門倉は何となく絆されちゃって彼女、なまえの想いを受け入れたような、受け入れてないような……?実際のところなけなしの大人の余裕()で渋々受け入れた風を装ってはいるが案外満更でもない!これがなまえを溺愛している鬼上司にバレたらまず間違いなく無職確定!というか無職で御の字!最悪比喩じゃなく豚のエサ!という訳で頑張れ門倉!絶対バレるな!
☆
「門倉さま!明けましておめでとうございます!」
凶悪な囚人に一癖も二癖もある看守たち。そんな日本最悪にして最強の要塞である網走監獄にはおよそ似つかわしくない明るくて華やかな声が響いたのは、一月一日、所謂元日というやつであった。
「…………、」
「あ、あの、門倉さま……?」
不安そうに小首を傾げて門倉を見上げるのは件の娘、犬童なまえである。見目麗しく気品ある顔立ちをしている。そればかりでなく気立ても良くまさに「良い女」と評されるには十分過ぎるだろう。この、網走監獄に勤めている者「以外」にとっては。
何を隠そう彼女はこの要塞の独裁者犬童四郎助の孫娘、ならまだしもこの要塞の独裁者犬童四郎助が「溺愛する」孫娘なのだ。つまり網走監獄に勤める者が彼女を狙おうとすればそれ即ち根性ひん曲がった鬼上司(しかもなまえを溺愛)が義祖父になる可能性があるというこの世の地獄。
その時点でこの網走監獄はなまえにとって将来の伴侶を見つける場所としては不適切極まりないという訳である。尤も、凶悪な囚人ばかりが収監されている監獄で将来の伴侶を探そうと思う方が間違いなのだが。
しかし何の巡り合わせか色々あってうっかりその将来の伴侶候補に立候補した?させられた?のが網走監獄看守部長の門倉である。本当に色々あった末に門倉はなまえの心を見事手に入れてしまったという訳だ。と、まあ反論する相手がいないから好き勝手大人の余裕みたいな事を言ってはいるが、実際のところどっちがどっちの心を手に入れたのかなんて事は本人にも分からないし、詳らかにしてしまうのも門倉の沽券にかかわることなので、曖昧なままにしておく方が円満なのである。
そして話は冒頭に戻る。
今日は世間一般で言うところの目出度い日であるのかも知れないが、囚人の監視に休みもクソもない門倉にとってみれば平日も同然。唯一正月っぽさを感じさせるのは全職員に支給された安っぽい、飲んだら逆に気が滅入りそうな申し訳程度の酒くらい。何が楽しくて正月から凶暴でむさい囚人たちの監視なぞせねばならんのだとため息を吐いてから、自分が看守である事を思い出す。
そんな生産性のせの字もない行為を三度程繰り返した頃だった。漸く休憩という名の束の間の自由が与えられたのは。
正月早々やってられんと羽を伸ばすため、門倉は自分の宿舎へと戻ってきた訳であったが。
「おかえりなさいませ、門倉さま!」
つまりそういう事である。宿舎に帰ってきたらなまえがいた。美しい晴れ着に身を包んで。
「…………、は?」
「新しい年の最初の一日を門倉さまと過ごしたいと思って参りました!明けましておめでとうございます!」
目の前の彼女は幻だろうかと咄嗟に目をごしごしと擦ってしまった門倉は悪くないだろう。だって全く想像すらしていなかった。自分の正月はいつも通り何の面白みも無く、しかし平穏に過ぎて行くのだと思っていた。それがまさか、年明け早々こんな「大嵐」がやって来ようとは!
「っあー、一つ聞くがどうやって入ってきた?」
「お祖父さまの名前を出せばいっぱつです!」
「ですよねー!」
にこにこと無邪気に微笑むなまえに門倉は額に手を当てて項垂れる。なまえが悪い訳では無い。だがなまえと何となく親密になればなるほど彼女の祖父、もとい門倉の鬼上司(多分鬼の方が優しい)からの当たりが強くなってきている気しかしないのだ。勝てる喧嘩しかしない主義の門倉だったが、この勝負負ける気しかしない。というか始まる前から負けている。というか勝負にすらなっていない。しかしかといって門倉がなまえの事を袖にする事が出来るのかというと、それもまた出来はしないのが胃の痛い話であるのだが。
「あ、あの、来ては行けませんでしたか……?わたくし、門倉さまのお顔が見たくってつい、後先考えずに来てしまって……」
項垂れたまま一向に復活しない門倉に、明るかったなまえの顔がみるみる曇っていく。きゅう、と祈るように胸元で握り締められた彼女の柔らかそうな手が随分と白い事に気付いた門倉はとある可能性に思い至ってその小さな手を取った。
「冷てっ。お前いつからここで待ってるんだ」
「……えっ、と、半刻ほど前?」
「バカ!取り敢えず入れ!むさ苦しいが外にいるよりマシだろ」
彼女の冷たい手を引いて自分の宿坊に招き入れてから火鉢に火を起こし、なまえの方へそれを押し遣る。それからはた、と気付いた。
(……今これを見られたら間違いなく殺されるな)
狭い室内に男と女。誤解されてもおかしくはない。だがもう門倉は正直言って諦めている。何を言ったってこの少女は自分の事を雛鳥が親鳥を慕うように慕うし、自分もそれを無碍には出来ないのだから。
「あ、あの、門倉さま、」
少しばかりの暖をとった事で漸く落ち着いたのか、なまえがおずおずと声を掛けてくるのに漸く思考の渦から戻って来た門倉は今初めて、なまえの姿をゆっくりと目に映した。
「…………、」
「門倉さま……?」
不安そうななまえの声が聞こえたが返事も出来なかった。目線を何処にやれば良いのか全く分からなかったのだ。
(やっべ、めっちゃ可愛い……!)
なけなしの大人の余裕で顔が緩まないようにするのが精一杯。彼女の顔を見たらいつもよりも念入りに化粧を施しているのか少し大人びた、しかし可愛らしさも併せ持つ危うい色香に惑わされそうになるし、しかしながら胸元を凝視するのもそれはそれで問題がある。かと言って目を逸らしていればなまえは余計にしょぼくれてしまうだろう。
ああでもない、こうでもないと目線をうろうろさせて漸く門倉が思い付いた妙案は。
(何も思い付かん!)
無かった。仕方なく限りなく焦点を合わさないようにしながらなまえの顔付近を何となく見る門倉になまえは眉根を下げて不安げな顔をする。
「あの、わたくし、ご迷惑でしたか?殊、門倉さまの事になると居ても立っても居られないのです……」
「あ、いや、悪い……。ちょっとぼんやりしただけだ。別にお前さんの事が迷惑とか、そういうんじゃない。……うん、多分、」
叱られた大型犬のようにしょぼくれるなまえに我に返って慌てて言葉を返す門倉であったが、その実視線はあらぬ方向ばかりに向いてしまう。しかし門倉が彼女の事を迷惑がっていないと知ったなまえは嬉しそうに頬を染めて胸の前で手を組む。
「本当ですか?良かった……!門倉さまのためにわたくし、いっぱいお洒落したんです」
ほわほわとした見ている者の胸の内があたたかくなるようななまえの笑顔につい、門倉の顔も緩む。そうしてからふと、なまえの瞳が少し、何か期待するように門倉の顔を窺っていることに彼は気付いた。
「あの、あの、ですね……。今日のなまえ、どうですか……?門倉さまに相応しい女性になれていますか?」
期待と不安の入り混じった顔で門倉の顔を見つめるなまえに言葉に詰まるのは門倉の方だ。彼の頭の中には今三つの選択肢が浮かんでいる。
その一:素っ気なく対応
今ここで褒めてしまったらきっとなまえは喜んでいつものように門倉に纏わり付いてくる可能性が高い。そうなってしまったら理性の一つや二つ切らしてしまってもおかしくない。まさに惨事である。それを避けるためにもここは一つ心を鬼にして気の無い対応を……。出来る訳がない!という訳で門倉は即座にこの選択肢を却下した。
その二:べた褒め
今日の彼女は非常に可愛らしく、眼福なのであるから手放しで褒めてみるのはどうだろう。自分の理性は自分の問題であって彼女の問題ではない訳で。しかしあまりに褒めてしまったら彼女に自分の重さが伝わってしまって引かれてしまうだろうか?それは避けたい……、と門倉は選択肢その二を一時保留した。
その三:当たり障りなく褒める
実際可愛いのは事実だし、こちらとしても大人としての余地は残しておきたい。となればこの選択肢が無難か?一瞬の内に選択肢を取捨選択した門倉はそれ用の顔を作る。
「あー……、まあ、良いんじゃないのか。華やかで正月らしいし……」
出来るだけ軽く、かと言って軽過ぎずという絶妙な声音を用いて門倉はなまえを褒める言葉を探す。なまえは呆気に取られたように瞬きをしていたが、門倉の言葉の意味を理解したのかじわじわと頬を染め、満面の笑みを浮かべる。
「ほんとうの本当ですか!?嬉しいです!門倉さまになんて言われるか心配で、昨日は眠れなかったの」
花でも飛ばさん明るさで微笑むなまえに言い様のない罪悪感を感じるのは門倉だ。彼の言葉に勿論嘘はない。だが彼の本心全てではない。そんな欠片の言葉に馬鹿正直に喜ぶなまえを見ていたら、どうにも自分が汚い大人に思えてしまって仕方がないのだ。
「っ……、あのなあ、」
「はい?」
だらしなく緩みそうになる口許を何とか手で覆い隠し、門倉は改めてなまえを見た。華やかな着物を纏ったなまえは酷く可愛らしく、それを己のためにしたというのだからまたいじらしい。込み上げてくる感情に彼は自覚した。
(……マジにマジなのか)
自分の想いの在り処を。
「あのなあ、一回しか言わんぜ」
「なんですか?」
大きな瞳がきょと、と丸くなって純粋な光が門倉を映す。その光に気圧されそうになりながら、門倉は慎重に言葉を選んで口を開いた。
「……綺麗だ」
呟かれた言葉は酷く小さくて、なまえに聞こえたかどうかといったところであったが、なまえの耳は聞き漏らさなかったらしい。そして門倉が予想だにしなかった事に、なまえの見開いた目から大粒の雫がぽろりと零れ落ちた。
「は!?ちょ、何で泣くんだ!?」
「っ、だ、だって……!わたくし、うれしくて……っ」
化粧を崩さないように涙を拭うなまえであったが、その涙は止まる事を知らず堪らず門倉は彼女ににじり寄って小さな身体を腕に抱く。
「っあ~!もう、泣くな!な!?」
「っん、は、はい……、」
不器用な手付きでなまえの涙を拭う門倉であったが、なまえの顔が妙に赤い事に気付く。それから現状を把握して途端に心臓が痛くなるような気がした。
「あ、あの、かどくら、さま……」
なまえの妙に甘ったるい声が門倉の脳内に響く。目線を下げれば存外に近いところになまえの顔があってまた心臓が上擦り、門倉は思った以上に自身が深みに嵌っている事に気付いた。
「……っ、なまえ、」
駄目だと思うのに門倉となまえの距離はどんどん近付いていって、門倉は回らない頭でなまえが静かに目を瞑るのを見た。
「…………、え?」
それでも何とか耐えた己を褒めてやりたいと思う。少し拍子抜けしたような声を出したなまえに苦笑しながら門倉は彼女の頬に落とした唇を離した。
「まあ、まだ一緒になってる訳じゃねえしな」
結局なまえの顔を直視出来ずそっぽを向きながら口にした言葉にくすくすと笑いを零す彼女に門倉は顔だけはムッとした表情を作りながらも、その小さな身体を離す事はしない。
「門倉さま、お堅過ぎだわ」
「何とでも言えやい」
「わたくしのお友達は皆経験しているのに」
「マジで?最近の娘の風紀はどうなってんだ」
はー、ついていけんね。
ため息を吐いてなまえの肩に額を押し付けた門倉は穏やかに笑う。
「ま、今年もよろしくな」
言い忘れていた言葉を付け足して、門倉はなまえを腕に抱き直す。正月早々冴えない一日かと思っていたが、どうやら考え直す必要があるようだ、と思いながら。
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