存外に意思疎通

前回の一件で太郎さん(仮)の本当の名前が鯉登さんだということを知った私だったが、実際のところそれで何か変わったかというと特に何も変わってはいなかった。

相も変わらず鯉登さんは私に対してきつすぎる訛り(しかも早口)の薩摩弁で話しかけるし、私も偉い軍人さんに正面きって「貴方の言っていることの意味が分からない」なんて言えないからまあ、結果は推して知るべしだ。

今日も今日とて私は無難な相槌を打つ作業に終始していたのである。

***

「そういえば、月島さんは鯉登さんの仰ってることが分かるんですか?」

月島さんはとても忙しい人だけど、時々私と一緒にお茶をする時間を取ってくれるとても良い人だ。鶴見さんも時々私と遊んでくれる。皆良い人。

という訳で今日はその月島さんとの貴重なお茶会の時間なのだけれど、私はついに前々から気になっていた疑問をぶつけることに成功した。つまり月島さんは鯉登さんとちゃんと意思疎通が出来ているのかということだ。

だって鶴見さんに教わったけれど、鯉登さんは新米の少尉さんで、その新米の少尉さんは先輩の軍曹さんに色んなことを教わりながら成長していくらしいからだ。

ということはだよ?もし鯉登さんが月島さんに対しても私みたいな感じになってしまうんだったら、月島さんは教えるもへったくれもないと思うんだけど……。

「……?普通に理解しているが」

「えっ!鯉登さんって誰にでも早口なんじゃないんですか」

「ああ、鯉登少尉が早口になるのは『緊張した時』だけだ」

月島さんは一口お茶を啜ってから、カステラに手を伸ばす。この間美味しいと評判の甘味屋さんに並んで手に入れたカステラだ。美味しいものは月島さんと分かち合いたいので今日のお茶請けに持ってきたという訳だ。

「緊張……、」

「ああ、だから鶴見中尉と話される時もああなる。……このカステラ美味いな」

「そうですよね!美味しいって評判なんですよー!月島さんのために買ってきました!」

月島さんが喜んでくれた!顔が緩むのを抑えきれないでいると、月島さんがカステラを持っているのとは逆の手で頭を撫でてくれた。

「月島さんの手、安心します……、」

「そうか」

私は一人っ子でずっときょうだいが欲しかった。その願いを叶えてくれたのが月島さんという存在だ。包容力があって、優しくて理想のお兄ちゃん。ついつい我儘を言ってしまいたくなる。

「月島軍曹、いるのか……ッなぁっ!?」

突然、無遠慮に障子が開け放たれる。何もいけないことをしている訳では無かったがつい、勢い良く月島さんから距離を取って振り返る。……ん?逆に怪しさが増す?

兎に角、そこにいたのは鯉登さんだった。まあ、大体予想出来たけど。

「鯉登さん、」

「つ、月島貴様ッ今、なまえと何をしていたァッ」

「別に、共に茶を飲んでいただけですよ。……鯉登少尉もカステラいかがですか。なまえが朝早くから並んで買って来た巷で噂の甘味屋のです」

すっ、と鯉登さんの前にカステラのお皿が寄せられる。鯉登さんはカステラのお皿を見て、私の顔を見て、それからもう一度カステラのお皿を見た。もしかして。

「甘いもの、お嫌いでしたか……?」

男の人はそういう人多いよね、と特に気にすることも無く私も一切れ頬張る。甘くて美味しい。もう一本買っておいたから後で鶴見さんにも分けてあげよう。あの人和菓子好きだもんね。あれ、そういえば、カステラって和菓子……?洋菓子……?

「―――――!―――――――!?」

「え?な、なんて……?」

「くっ、月島ァッ!」

相変わらず私には理解できない薩摩弁に疑問符を散らしまくっていると、鯉登さんはすごく悔しそうに唇を噛んでから月島さんの方ににじり寄る。それから月島さんを挟んで私とは反対側、つまり月島さんの背後に回りそのままぼそぼそと月島さんに耳打ちする。なんなんだ、この構図は。

「あ、あの……鯉登さん、?」

「……甘いものは好きだ、と」

「は?」

呆れたように肩を竦めながら月島さんが口を開く。甘いものを好き、誰が……?えっと、つまり。

「鯉登さんがそう仰ってるってこと、ですか……?」

「……そうだ」

ちら、と月島さんの背後の鯉登さんを見れば彼はあのきらきらとした少年のような顔で私に微笑みかける。か、可愛い……!おずおずと私も微笑みかければ鯉登さんは硬直した後音を立てるように頬を赤らめて私から視線を逸らす。か、可愛い……!

「……あ、じゃ、じゃあカステラ是非どうぞ!」

えい、とカステラのお皿を鯉登さんの方に押しやると鯉登さんは咳払いしてから(そんなに畏まる必要も無いのに)恭しくカステラを一切れ手に取ると(何故そんなに動作が大仰なのか)ゆっくりとそれを一口。

お育ちが良いのだろう、食べ方がすごく綺麗な鯉登さんはもぐもぐとカステラを咀嚼してそれを飲み込む。私には無い発達した喉仏が下がるのを見て少しだけどきりとした。

「ど、どうですか……!?」

別に私が作ったカステラでもないけど評価が気になってしまって問いかければ、鯉登さんは再び月島さんの耳許に口を寄せて何事か囁き始める。

「……非常に甘く、美味である、だそうだ」

「そうですよねー!今度売ってるお店を教えてあげます!一緒に行きましょう!」

「―――――!!!???」

「っ!鯉登少尉!自分の鼓膜が死にます!」

唐突に月島さんの耳元で奇声を発する鯉登さんに私もびく、と身体を揺らす。鯉登さんは少しばつの悪そうにしゅんと身体を小さくするといそいそと月島さんの耳許に再び口を寄せた。何というか、非常にまどろっこしい気がする。

「……あの、」

こそこそと内緒話のように月島さんに囁く鯉登さんと直接お話ししてみたい。声を発した私に気付いてくれた月島さんが振り返ってくれたので手招きをして私も月島さんに耳打ちをする。鯉登さんがまた何か叫んでいたけどとりあえず気にしない。

「はあ、それで上手くいくのか?」

「分かりませんけど……、試してみたいです」

お互いに顔を見合わせて頷き合うと、私は早速お茶請け用の懐紙と鉛筆を用意する。訝しげな鯉登さんをそのままに、私は懐紙に向かう。

(わたしの、なまえは、なまえです、っと)

そう、筆談だ。いくら鯉登さんでも流石に文字まで薩摩弁という訳ではないだろう。まあ、別に私が言いたいことは紙に書く必要は無いけれど楽しいから良いとしよう。

書き上げた懐紙を鯉登さんの方に押しやって示す。首を傾げていた鯉登さんも私の思惑に気付いたのか目を輝かせる。それから私が手渡した鉛筆を握ってやはり同じように懐紙に向かう。

……文字を書く姿勢もすごく良い。軍人さんだからなのか、はたまた彼が特別に育ちが良いのか、それともその両方なのかとにかく鯉登さんはこれでもかというくらいに折り目正しく何事かを懐紙に書いてこちらに寄越した。

(……私の名前は鯉登音之進です、)

つ、通じたー!!!

私の丸みを帯びた子供っぽい字の下に鯉登さんの流れるような美しい整った字が並ぶとすごく恥ずかしいがこの際それは置いておこう。とにかく鯉登さんとの意思疎通の手段が見つかった私としては勝利の雄叫びを上げたいくらいだ。鯉登さんじゃないが。

慌てて返された懐紙に走り書きする。そしてそれを月島さんに見せる。

(通じましたよ、月島さん!)

「……俺ともそれをするのか?」

呆れたような月島さんはそれでも薄く微笑んで頭を撫でてくれた。嬉しい。その流れで月島さんにも懐紙と鉛筆を押し付ける。月島さんは「俺は別に口頭で良いのでは……」とかなんとか言っていたが仲間外れは良くない。

(俺の名前は月島基だ)

私のとは勿論、達筆な鯉登さんの字とも違う、でも綺麗な読みやすい字が並ぶ。小さな紙にただ三人分の字が並んだだけなのにこんなに嬉しいなんておかしいんだろうか。

(私は、甘いものが好きです。鯉登さんは?)

(私もだ!!)

(俺はえごねりが好きだ)

(……それ、なんですか?)

やばい、すごく楽しい。一枚の紙を回しながら三人で顔を見合わせて笑い合う。口で喋るより確かに時間はかかるけれど、何というかすごく交流してるっていう感じがする。

そうだ、この間鶴見さんが鯉登さんとの交流に困ってたからこの方法をお勧めしてみようかな。

ちなみに鯉登さんにそう言ってあげたらいつもの可愛いきらきらした笑顔で微笑みかけられてそれから死ぬほど抱き締められた。肋骨折れるかと思った。でもそんな鯉登さんから助けてくれた月島さんは男連中だけでやってもただの地獄だからやめた方が良いと言っていた。鶴見さんの字も綺麗なんだろうなあ……。

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