中々言葉が通じない鯉登さんと私であったが、まあ、色々あった結果恋仲、という立場に関係が変わってしまった。変わってしまったので必然的に今までよりも話す事も結構多くなった。それは非常に良い事だと思うのだが。
「なまえは休日は何をしているのだ?」
「え、えっと……甘味屋巡り、ですかねえ」
「では次の休日は私と甘味屋に行こう」
「は、はあ……」
き、気まずい……。この状況、非常に気まずい。鯉登さんが非常ににこやかに私に向けて笑いかけてくれる分余計に気まずい。私が気まずいのだ。「彼」はもっと気まずいだろう。
私と鯉登さんの間に挟まれている月島さんは。
経緯は簡単だ。私たちは筆談という意思伝達手段を手に入れた。しかしそれはお互いに時間のある時にしか使えない。私はともかくとして鯉登さんは前途有望な士官さんである。彼は忙しい時の方が多いのだ。だからこそ短い時間でもお互いの気持ちを確認できるように言葉での意思疎通を可能にしたいという流れになったのだ。ここまでは良かった。
問題だったのは鯉登さんの緊張が想像以上に強かった、というところだろうか。私たちは何度か貴重な時間を使って向かい合って言葉を交わす練習をしてみたのだが結果は推して知るべし。第一声からきつ過ぎる薩摩弁で会話の応酬にもなりやしない。仕方なく最初の内は月島さんにも同席してもらって鯉登さんの代弁者兼二人きりだと緊張するという彼を落ち着かせる役をお願いしたという訳だ。
「何が駄目なんでしょうねえ。ていうかこんな小娘にそんなに緊張しなくてもいいじゃないですか」
首を傾げながらため息を吐く私に鯉登さんは不満げな顔をする。それから彼は口を開いて恐らく言い訳めいた言葉を発したけれど残念ながら私には理解できない。私の顔からその事を察したのだろう鯉登さんは苛立ちを隠そうともせず月島さんに耳打ちを始めた。あっ、月島さん羨ましいなあ。
「……それを自分が言うのですか?」
「っ仕方ないだろう……!私の言葉はなまえには通じんのだ!」
なにやら二人で盛り上がっているのを見ていると心底疲れた様子の月島さんが振り返って私を見た。
「……私は、」
月島さんの落ち着いた声にこくり、と頷く。耳に心地いい低音はずっと聞いていたくなる。少しばかり照れたように視線をふい、と逸らした月島さんに急に心臓が早くなった。
「私はお前を、なまえを好いているのだから、緊張するなという方が無理だ……」
「えっ……つ、月島さん……!」
なんだこれ!凄くどきどきする!言葉は鯉登さんの言葉なのだろうけれどそれが月島さんの口から零れるところを聞くとまた違った響きとなって私の耳を襲う。ていうか本当になんなのこれ?なんの罰なの?頬が熱く心臓はどきどきと音を立てる。月島さんも気恥しそうに瞳を巡らせて私を見た。
「……月島さん、」
「…………なまえ、」
かあっと熱くなる頬にばばっと目を逸らしてしまう。あ、あれ?月島さんは優しいお兄ちゃんの筈なのに……!
「……っ、な、何なのだ!この破廉恥な雰囲気は!?」
唐突な鯉登さんの叫び声にはっと我に返った。あ、危ない危ない。今の言葉は鯉登さんの気持ちなんだった。それにしても、今の言葉は分かった!最近気付いた事だが鯉登さんの言葉は時々分かる時がある。それは決まって月島さんが近くにいる時なのだ。月島さんが近くにいる時は私も鯉登さんの言葉が分かる!逆に言うと月島さんが傍にいない時は全くもって分からない!…………あれ?という事は……、このままでは月島さんがいないと私たちは永遠に意思疎通出来ない……?
「何でもないですよー。ちょっと月島さんの事がかっこいいなあって思っただけなので!」
「おい!なまえ!」
「何だと!?月島貴様ァッ!!」
気を取り直して話を戻そうとしたのに、慌てたような声で私を咎める月島さんとがばっと身体を前のめりにさせて憤る鯉登さんに何だかまずい事を言ったような気もしないでは無い。けれど言ってしまった事はどうにもならないので無理矢理笑ってみせる。そうしたら鯉登さんはさっと顔を赤くして視線を逸らした。
「うーん、冗談は置いとくにしてどうしましょう?このままじゃいつまで経っても私たち月島さんがいないと意思疎通出来ません!」
三人が三人考え込んでしまう。月島さんが手を挙げた。
「やはり筆談で良いんじゃないか?少なくとも筆談なら俺がなまえや鯉登少尉の邪魔をする事も無い」
「うーん……、でも意思疎通にすごく時間がかかると言いますか……」
「……私はなまえと言葉で意思疎通をしたいのだ」
「ですが少尉。恋仲同士の睦み合いに俺がいては盛り上がりに欠けるでしょう」
「む……、それは確かに……」
「でもかと言って私と鯉登さんの二人きりじゃどうにもなりませーん!ていうか鯉登さん月島さんとなら喋れるんですから私を月島さんだと思って思いの丈をぶつければ……!?」
「なっ!―――――――――!!」
「おい!気分が悪くなるような事を言うな!」
「えっ!?凄く良い案だと思ったのに!」
私としては今年最高の考えだと思ったのに月島さんにも鯉登さんにも全力で否定される。おかしいな……。というか議論は振り出しに戻ってしまった。
「仕方ない……。次の案をお願いしまーす。あ、鯉登さんどうぞ」
きりっとした顔でぴんと背筋を伸ばした鯉登さんが挙手をしたので指名する。一つ頷いた鯉登さんは得意げな顔で口を開くけれど残念ながら私には全く通じない。仕方なく月島さんに通訳をお願いする。
「ふむ、『読唇術はどうだ』だそうだ」
感心したような月島さんの声に目を瞬かせる。読唇術?
「口の動きから何を話してるか読み取るっていうやつですか?」
私の適当な説明は概ね的を射ていたのか二人は頷いてくれた。読唇術か……。それは考えつかなかった。でもこれなら出来そうな気も……!
「良いですね!早速やってみましょう!」
頷き合った私たちは早速向かい合う。月島さんの考えたお題を鯉登さんが私に伝え私がそれを月島さんに伝え返すという遊戯感覚で取り敢えずやってみようという事になったのだが……。
「―――――――」
「待って、全然分からないです!」
第一声から全然分からなかった。後で知った事だが読唇術は訓練された人でも半分読み取れれば御の字らしい。全然駄目じゃん!
というわけで再び私たちは振り出しに戻ってきた。なんかこれ、堂々巡りでしかない気が……。いっそ思い切って出発点を変えてみるとか?
私の目的は鯉登さんとの意思疎通を可能にする事である。鯉登さんの目的は私との意思疎通を可能にする事である。そして月島さんの目的も恐らく私たちの意思疎通の手段を見つける事である。
あれっ?ていう事は私と鯉登さんが意思疎通出来れば良いって事?という事は……。
今でも十分じゃない!?
そもそも私と鯉登さんは月島さんという通訳を介せば意思疎通など朝飯前なのだ。
想像してみる。照れる鯉登さんと仕方なさそうな顔で通訳してくれる月島さん。間に挟まれた私はきっと笑っている。そんなありそうな未来予想図に改めて二人の顔を見つめてみる。このままずっと三人で……。
「……それも、良いかもですねえ」
「は?」
「うん?」
不思議そうに私を見つめる四つの瞳にとりあえず腑抜けた笑みを返して二人の腕を取る。
「私良い事思い付きましたよ!取り敢えず皆で甘味屋さんに行きましょー。作戦会議です!議題はどうやったら三人でずっと一緒にいられるかです!」
「は?おい、どうして『三人』なんだ!?」
「――――――!?っ、月島ッ!」
「『私だけでは不満なのか!?』と言っている!」
「えっ、皆でいる方が楽しいですよね?」
その後甘味屋さんでいっぱい食べた。鶴見さんへのお土産も買ったよ!
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