あなた疲れてるのよ

ナマエが観たいと言っていた映画を観に行った。何の変哲もない、よくあるストーリーの映画で、ナマエが好きな制作会社の新作だ。ワタシは大して興味は無かったのだが、ナマエが頻りに映像美について語っていたので興味が湧いたという訳だ。

約束の前日、ナマエから連絡があった。疲れた声で「明日行けないかも」とそう言っていた。無理はするなと二、三言交わして電話を切った。少し残念だと思った。

次の日、約束の時間の3時間前に何とか都合がつきそうだとナマエから連絡があった。その声が何処となく重かったのが気になったが何も言えずに電話を切った。

待ち合わせの時間にはいつものようにワタシの方が先に着いた。ナマエは5分前に着く事が多いが、ワタシの方が早く来ているだけなのだが。

しかし珍しくナマエは時間になっても来なかった。スマホロトムを確認すると10分ほど前に少し遅れると連絡が入っていた。珍しい事もあるものだと思ったが、映画の時間までは余裕があったので構わないだろうと待つ。ナマエは間も無くして来た。

「ごめ、っ、二度寝して、っ」

「良い。……珍しいな」

全力疾走して来たのか息を乱すナマエの背中を摩ってやる。けほけほと空咳をするナマエは、深呼吸をして漸く落ち着いたのか、はにかむように「行こ」とワタシの手を取った。当たり前のようにそうされると、どうにも気恥ずかしい。絶対に口にはしないが。

映画にはポップコーンが絶対に必要だとナマエが譲らないので、1人分のポップコーンと2人分のドリンクを買って劇場に入る。それなりに人気の作品のようで、封切りから1ヶ月経っていてもちらほらと観客が既に座っていた。

座席はナマエが選んだが、スクリーンから近過ぎず遠過ぎない絶妙な席だった。

「映画を観る時はいつもこの辺の席を取るんだ。あと絶対端」

「拘りがあるんだな。映画はよく観るのか?」

「……?逆にコルサは映画観ないの?」

「…………進んで観る事は余り無いな」

「えーっ、勿体ないよ。映画はスクリーンで観てこそだよ」

目を丸くしながらポップコーンに手を伸ばすナマエがそれを摘んでワタシの唇に押し付ける。

「…………何をする」

「映画にはポップコーンしかない。食べないとそれは映画ではない」

「集中出来なくなるだろう」

「静かなシーンでポップコーン食べる人って勇気あるよねー」

他愛の無い話をしている間に劇場が暗くなる。ナマエがいつか言っていた事だが、彼女は本編開始前の予告編を観るのも好きなので、既に視線はスクリーンに向けられている。

今年の冬にパルデアでも有名な画家の半生を題材にした映画が上映されるという事だけ頭の片隅に置いておく事にした。

映画本編は実に単純だった。異なる境遇の2人が出会って恋に落ち、様々な障害を乗り越えて一緒になるというものだった。

確かに映像は美しく、特に水の描写がとても瑞々しかったが良い意味でも悪い意味でも単純で、「非常に分かりやすい」内容だった。クライマックスは最たる例で「ここで感動してください」と言わんばかりで逆に興醒めするくらいだ。

ナマエはエンドロールも最後まで観る派である事は知っていたので、駆け足で流れていくスタッフロールを必死に目で追ってみる。途中で追い切れなくなって、何となく、ナマエの方を見て心臓が高く打った気がした。

ナマエは静かに、それでも止めどなく泣いていた。彼女は存外シニカルな性格で、映画を観て泣く事は余り無かった。事実、今までにも共にドラマなり映画なりを観た事はあるが、彼女が感情を動かされている所は見た事が無かった。

だが放心したように、エンドロールを見つめながら涙を溢すナマエに今朝の違和感が形になった気がした。

劇場が明るくなった時、ナマエは何とも無かったかのようにニコニコ笑って「凄い単純だったね。だがそれが良い」と宣った。目が少し充血していたし、鼻声は隠し切れていなかった。

「この後どうするー?」

殊更のんびり、そう問うナマエに少し迷ったが「帰るぞ」と口にした。そうしたら彼女が驚いた顔をして、眉を下げたので感情に針を刺された気がした。

「ぁ、そう、だよね。コルサは忙しいからね」

「っ、違う!キ、キサマも来るのだ」

「うん?わ、わかった……」

ワタシの勢いに気圧されたのか、曖昧に頷いたナマエの手を今度はワタシが取ってそらとぶタクシーを呼ぶ。ナマエが目を白黒させている内に、ワタシたちはボウルタウンに、もっと言えばワタシのアトリエ兼自宅に辿り着いた。

「あの、コルサ……?」

状況がよく分かっていないナマエの手を引いて、客室に向かう。普段使っていないそこは綺麗に整えられていた。何故なら昨日掃除したからだ。それはともかくとして、ほとんど突き飛ばすようにナマエをベッドに座らせる。彼女はまだ状況を飲み込めていないようだ。

「え、あの、どういう事?」

「っ、寝ろ!」

「は?」

ナマエの靴を無理やり脱がせて、抱えるようにしてベッドに押し込む。傍にあった椅子に腰を下ろして、彼女の手を握った。

「…………キサマは、疲れている。寝た方が良い」

「でも、」

「疲れているから、あんな映画に号泣するのだ」

「ぇ、えっ!」

音を立てるようにナマエの顔が赤くなっていくのを、ただ見ていた。握った手が握り返される。

「……見てたの」

「別に、見たくて見た訳では無いが……」

「うう……。恥ずかしい……。確かに最近立て込んでて疲れてたけどさあ」

最後の「感動してください」のシーンがなんか心にグサグサ来ちゃって。

苦笑するナマエの手を解放して立ち上がる。1人の方が寝易いだろうと思ったからだ。だが、彼女は窺うように、甘えるようにワタシの手を攫った。

「コルサも、一緒にいて欲しい」

「っ、それ、は、」

「駄目?」

不安そうな目に、ワタシは弱い。それをナマエは知っているのだろうか。

「だ、め、ではない……」

無意識に口から出るこの言葉の何と浅ましい事か。再び椅子に座り直したのを見たナマエが、「ベッドの中だよ」と言うまではまだ余裕があったのだが。

結局ナマエはワタシの腕の中ですやすやと何とも気持ち良さそうに眠っていたが、ワタシの方はいつも出来ている事の筈なのに妙に緊張してしまって、彼女が目覚める頃には身体がガチガチに凝り固まっていたのだった。

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