はじめてのおつかい

残業を終えてまっすぐ家に帰ってみれば、ナマエさんがきらきらとした目で見てきた。良くない予感がする。

「おかえりなさい!」

「帰りました。…………どうしました」

「あのですね、」

「ええ」

「私もお遣い、したいです!」

「…………はあ、」

早速意味が分からない。きらきらとした目を向けられるのは疲れた身体にはよく効くし、嬉しそうなナマエさんを見ると自分も嬉しい。

だが、彼女の突拍子も無い言葉に振り回されるのもまた事実で。

「お遣い、ですか」

「そう!何か言ってください!」

にこにこに癒される。だが言っている事は意味が分からない。詳しく話を聞こうと、リビングに向かう。ナマエさんはパモのように自分に纏わりつきながらついてきた。可愛らしい。

「それでですね、」

「お遣いの番組、ですか」

話は簡単だ。自分の帰りを待っている間にたまたま観た番組が子供に初めてのお遣いをさせるという内容だったらしい。そこまでは理解が出来たのだが。

「何故ナマエさんがお遣いを……」

「初めてのお遣いってどきどきしますよねー」

「…………」

聞いていない。まあ、要するに子供らの初めてのお遣いに触発されたナマエさんが初めてのお遣いをしたい、ただそれだけの事なのだろう。

「お遣いとは、例えば」

「え?重要な書類を忘れたアオキさんのために私が宝食堂まで行く…………?」

「止めてください」

宝食堂の面々にはまだナマエさんとの関係を知られていない。知られれば揶揄われるのは目に見えている。そもそもジムリーダーの職にはそこまでの重要書類はない。

「じゃあ、アオキさんの伝言をチリちゃんに伝えに行く…………?」

「もっと止めてください。というかなんで彼女限定なんです」

「チリちゃんに会いたーい」

にこにこが目に痛い。彼女たちの仲が良いのは知っている。それこそ男の自分には入れない世界があって嫉妬してしまうくらいには。

「ナマエさん、お遣いというのはお遣いがメインであって友人と会うのがメインではないんですよ」

「そうなんですねー。じゃあ宝食堂に行きますね。いつが良いですか?」

「いつも何も自分はそれほど書類を忘れんです」

もしかして忘れっぽいと思われているのか、と少々危惧したが恐らくナマエさんの事だ。お遣いの事は頭からすっぽり抜けて宝食堂に行くのが目的になっていそうだ。それを指摘すると彼女は少し咳払いして(恐らく図星なのだろう)にこにこを見せた。目元が少し赤い。照れている。

「それほどって事はたまには忘れますか?」

「社会人としてどうかとは思いますが三徹したら分からんですね」

「三徹する前に寝てくださいね」

眠くなるおまじない、と称した急な抱擁に心臓が荒ぶる。ナマエさんはいつも不意に触れてくるから困る。

「っ、あまり煽らないでください」

「……?何の事?火加減の話?だいもんじですよね」

アカデミーで宝探しが始まった事で、チャンプルタウンにもジムチャレンジの学生が増えてきている。彼らから風の噂で聞いたのだろう。ナマエさんは「ラウドボーンのだいもんじ、こうかはばつぐんだ」と歌うように呟いた。そういう事ではないのだが。

「ナマエさんはお遣いがしたいんですか?」

「あ、そうそうお遣いですよ。忘れてた」

ころころと変わる話題にいつもなら辟易してしまうのに、ナマエさんが相手だとそれも微笑ましくなってしまうのは惚れた欲目だろうか。らしくない思考が少し照れ臭い。

「お遣いしたいです。もっとアオキさんに褒めてもらいたい!」

「……自分、に?」

ムクバードが豆鉄砲を喰らったような顔をした気がする。ナマエさんの言葉は全くの予想外であった。

「もっといっぱいアオキさんに褒めてもらってアオキさんに釣り合う出来る女になるのです。私って褒められて伸びるタイプなので」

にこにこが、かつてない程に心臓を攻撃する。今、自分の顔はどうなっているだろう。あまり想像したくない。暴れる感情に理性が必死に箍を嵌めている状態なのだから。

「…………自分は、」

「……?」

「ナマエさんが役に立つからとか、釣り合っているからという理由で一緒にいるのではないのですが」

にこにこが、不思議そうな顔に変わる。くるくると回る表情も愛おしい。ナマエさんは自分には無い物を沢山持っている。その全てを、好ましく思った。

「それにお遣いと称してあなたを一人で送り出すより、自分も一緒に行って二人で買い物がしたいです」

その方が自分も安心なので、という言葉は黙っておいた。ナマエさんは目を離すとすぐに何処かに行ってしまう。言葉巧みな軟派についていくのは日常茶飯事だ。

目を瞬かせているナマエさんだったが、その瞳が緩く三日月の形に変わる。柔らかな温もりとナマエさんの香りが近くなる。距離が、近い。

「私ね、アオキさんの事すごい好きです」

「っ、そう、ですか」

「うん。すごく好きです。だから今度二人でお遣い行きましょう!アオキさんの好物全部作りましょう!」

それは中々大掛かりな買い物になるなあ、と頭の片隅で思ったが、それならそれで大歓迎なのだとも思った。

初めてのお遣いとやらはどうやら二人で行くことになりそうだ。買い物リストを握りしめて、はぐれないように二人で手を繋いで行くのも悪くない。何たって「初めてのお遣い」なのだから。

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