キングクリムゾン

ナマエが、来ない。いまからいくよーと腑抜けた声がスマホロトムの向こうから聞こえて、それから二時間経った。来ない。何故?ナマエの家から今日の目的地であるワタシの家まで徒歩でも三十分は掛からない。それなのに、来ない。

(何事かに、巻き込まれたか?……いや、だが、しかし……)

苛々とリビングを行ったり来たりしている自分が情けない。何故あんな奴の心配をしてやらなければならないのだ!否、そもそも心配ですらない!断じて!

仕方なく、通話を繋げてみる。数コール待つが出ない。何なのだ、アイツは!

苛々が極大値に近付いていく。ここで探しに行ったら負けだ。ナマエには良くある事だ。大体において奴と常人の時間の感覚は違い過ぎる。通りの花を眺めて二時間以上消し飛ぶ女を心配したら負け……。

(なのに、何故っ!)

気付けば上着を引っ掛けて外へ出ていた。まだ冷える外の空気を肺一杯に吸い込んでナマエの姿を探す。手始めにボウルタウンを。

片っ端から店の扉を開けて中を見渡して出ていく。この町のジムリーダーが。明日は好奇の目で見られそうだ、と今から頭が痛い。

しかしそこまでしてもナマエはいない。巨大迷路もキマワリ広場も全て見たと言うのに。

(まさか、まだボウルタウンにすら到着していないのか?)

ざわざわとした感情が殊更に高まっていく。ナマエの家からボウルタウンまでの道筋を頭の中で組み立てる。何処かに奴の興味を惹く何かがあるはずだと。思い当たるポイントは幾つかあった。だが、ナマエはバトルを嗜まない。その癖、戦い慣れたポケモンを連れていないと危険な場所にふらふらと行ってしまう。

(っ、クソ、)

こうなったら虱潰しだ、と半ばヤケクソでワタシはボウルタウンを後にした。

***

「っ、ナマエ!!」

「……?あれ、コルサ?なんで?」

思った通りの所にナマエはいた。最近噂になっていた、岩壁のヌシとやらがいるらしい岩場に。ご丁寧にピクニック道具を広げて、スケッチブックを持って座っている。その先で繰り広げられているのはガケガニの縄張り争いだ。

「見てー、迫力あるでしょ」

「キ、キサマ……」

のほほんとした表情にこちらが脱力してしまう。この様子では二時間(とワタシが彼女を探し回った一時間)前の約束は頭からするりと抜け落ちてしまっているようだ。最早何も言えず、ナマエの隣に腰を下ろす。どっと疲れが押し寄せてくる気がした。

「んん?コルサ?」

「…………もういい。……それで?何に興味を惹かれたのだ?」

ナマエの手許を覗き込む。てっきりガケガニの縄張り争いを描いたのかと思いきや、そこに描かれていたのはもっと別の風景であった。ナマエはボウルタウンの風車を描いていたのだ。こんな所でわざわざ描かずとも、さっさとワタシの許に来れば良いものを。

「…………一つ聞きたいのだが、」

「なになにー?」

「何故すぐに来ない!?」

きょとん、とした目がワタシを見る。翠の瞳が陽光を受けて煌めいていて、圧倒的に正しい筈のワタシを怖気付かせた。

「すぐ?え、今何時?」

「…………キサマがワタシに連絡してから三時間は経った」

「…………あらー」

疲れが波のように押し寄せる。ピクニックテーブルに突っ伏すと、柔らかな手が頭を撫でてきた。それだけで絆されそうになるワタシは安い。

「ごめんね、またやっちゃった」

「…………っ、キサマは!知らんだろう!キサマに!振り回される!滑稽な!ワタシを!」

「ごめんよー」

反省はしているのだろう。いつもは触れ合いを殆どしない彼女がワタシの手を取り、髪をなぞる。触れ合った手が冷たくて、ため息が出た。

「…………いつからここにいた?」

「んー、家出て、コルサのとこに行こうと思ったの。そしたら、ガケガニがいて、あとパモがいて可愛いなってコリンクを追いかけたら、」

「もう良い……」

ナマエに常識を求めてはいけないと分かっている筈なのに、どうもワタシは常人レベルで彼女を捉えようとしてしまう。ナマエは捉え所の無い性格をしていた。画家としての天賦の才を受けた代わりに、常識という常識が全て欠落している。

ナマエの手を取ると、それは酷く冷えていて指先は紅く染まっている。強張るくらいに冷たい手なのに、スケッチブックには実に繊細な大風車が描かれていた。

「キサマのその才を、少し別の部分に分けると良い……」

取った手を口許に持って行き、息を吹きかける。はあ、と吐いた息が白い。こんな中で三時間も。

「コルサあったかあい」

にこにこと微笑むナマエの手の冷たさがワタシの手に移る。その冷たさが、昂っていた神経を少し落ち着かせた気がした。

「…………帰るぞ」

「うんー」

手早くピクニック道具を片付けてナマエの手を取る。振り返ってナマエを視認すれば目が合って彼女はほわほわと微笑んだ。それに心臓を掴まれて、迎えに来て良かったなどと思ってしまうワタシは本当に安い男なのに何故かそれが心地良い。

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