目が覚めたらミニーブになっていた。何を言っているか分からないと思うが、私にも分からない。本当にいつものように起きたら、人間だった私の身体がミニーブになっていたのだ。
(訳分からん……)
夢かなとも思ったがベッドから降りて短い両足で立った感覚がすごくリアルだし、鏡から見返す姿はミニーブに間違いないし、意味は分からないがどうやらこの悪夢は夢ではないようだ。
(………………だっる……)
ため息が出る。自棄を起こしそうだ。昨日の記憶が呼び起こされそうになって慌てて首を振って(ミニーブだから首も無い……)誤魔化す。何もかもが上手くいかない。
取り敢えず短い足を動かして寝室を出ようとしたが、最低な事にドアノブに手が届かない。監禁じゃないか。叫び出したくなる程のイライラに地団駄を踏む。ぴょこぴょこ可愛い足音がしてイライラが募るだけだった。
よりによってなぜ、ミニーブなんだ。なんで、「彼」の手持ちなんだ。頭を過ぎる昨日の記憶が煩わしい。ミニーブのつぶらな瞳に涙が滲んだ気がした。
昨日は記念日だった。別に今更何か特別な事を期待していた訳じゃない。でも何となくいつもそういう日は2人で過ごしていたから、昨日もコルサのアトリエに行ったのだ。……行ったのに。
「今日は帰れ。ワタシは忙しい」
顔も見ずに言われた投げ付けるような言葉は私の浮ついた感情を萎ませるには十分だった。曖昧にさよならを告げてもう二度と会ってやらないと心の中で意地を張って帰って不貞寝した。そしたらミニーブ!!!
叫び出したい、というか叫んでいる(ミニーーー!と可愛い声だ)私は小さい身体で転がり回る。コルサとの関係はともかくこれからどうするかは考えないといけない。
痛む頭を抱えながら、とにかく部屋からは出ないとと思って必死にドアノブに向かって手を伸ばす。でも30センチしかない身体ではどう頑張っても無理がある。
疲れてしまって座り込んだ時だった。ピンポーンと間抜けなチャイムの音。玄関からだ。荷物なんて頼んでいたかと無い首を傾げる。どちらにせよ今は出られないから二度三度となるチャイムも無視だ。それなのにドアの鍵が開く音がする。ため息が出た。コルサだ。
彼には合鍵を渡していた。それが使われる事は無いと思っていたけど。けれどコルサの目当てである(多分)私はミニーブな訳で。
(もうどうにでもなれー…………)
自棄っぱちである。控えめなノックと共にドアの向こうから声がする。
「……ナマエ?」
コルサってノックという文化を知っていたんだと失礼な感想を浮かべながらも返事は出来ない。コルサは何度かノックをした後、意を決したように「開けるぞ」と誰に言うでもなく断った。
「ナマエ……?……ミニーブ?」
元々背の高いコルサだけれど、ミニーブの小さな身体になってからはもっと大きく見える。コルサを見上げていたら、彼がゆっくりと膝を突き私に両手を伸ばしてきた。
「ミィー……」
「ナマエのポケモンか?ミニーブもいたのだな」
ひょいと抱き上げられて頭の実を撫でられる。優しい手つきが心地良くて感情の紐が緩みそうになる。コルサはどこか疲れたような顔で部屋を見渡し、ベッドサイドのローテーブルに近付くと身体を預けるように座り込んだ。目許には濃い隈が見える。また徹夜したらしい。
「……ナマエがどこに行ったか知っているか?」
疲れたようなぼんやりとした声が聞こえて、それが私に向けられている事に気付くのに少し時間がかかった。適当に鳴いて相槌を打つがコルサはそれを良いように捉えたのか「そうか」と口の中で笑いながら呟いた。
「朝、連絡を入れたのだが。…………もしかしたら、ナマエは、ワタシに愛想を尽かしたのかも知れないな」
ぽつり、と聞こえた声は随分寂しそうだった。少なくともこれまで私が聞いた事のないような。コルサの腕の中だからその表情は見えないけれど、スランプの時だってそんな声、聞いた事ない。
「本当は、昨日渡そうと思っていたのだが……。間に合わなかった」
ごそごそとポケットから取り出されたのはシンプルな指輪だった。何となく、これはコルサがデザインしたんだろうという事が予想出来た。それはとてもシンプルだけど随所に美しい細工がなされている。
「…………記念日も、碌に祝えない男だ。……、当然か」
コルサの体温が少し高い。微睡みに捉われる一歩手前のようだ。自嘲的な言葉は僅かな自暴自棄と昏さを含んでいる。
一声鳴いてみる。コルサがゆるゆると私を持ち上げて目を合わす。どうしてこんなに、寂しそうな顔をしているのだろう。
「…………キサマ、ナマエに似ているな。キサマを連れ帰ったら、また、ナマエと……、」
その後の言葉は聞こえない。様子を窺うとコルサは規則的な呼吸で眠りに落ちたようだ。心臓が全力疾走した後のように痛い。なんだかいけないものを見てしまった気分だった。
いつも超然とした雰囲気のコルサのこんな人間味のある所なんて見た事が無かったから。急にコルサが愛おしくなって、彼の身体に頬擦りする。現金なものだけど、私はやっぱりコルサが好きなようだ。
「ん、ナマエ……」
コルサの薄い唇から私の名前が溢れる。身体はミニーブだけど、その唇に静かに口付けた。そうしないといけないような気がした。そうしたら急激な眠気に襲われて、私も引き摺り込まれるように意識を手放したのだ。
次に目が覚めた時、私は普通に人間だった。目の前にはコルサが寝ていて、そこは床だったけど普通に人間だった。ミニーブだったのは夢だったのかとも思ったけど、何故かコルサの腕の中なのは眠る前と同じだったから、きっとあれは現実の事なのだろう。まあ、どっちでも良い。
コルサの顔を見ていたらぎゅう、と心臓を握られたような気がする。コルサの目が覚めたら、彼の不器用な弁明でも聞いてやるかなと苦笑が漏れる。
結局の所彼は、不器用で言葉足らずな私の愛しい人なのだ。
コメント