コルサの偏頭痛期が来たら、天気が悪くなるなあって思う。なにしろ敏感な彼の事だから、そこらの天気予報よりよっぽど精度が高い。そして彼の偏頭痛はそれはもう酷いので、その期間は制作も休みでジムリーダー業も休みで、とにかく荒れる。それを心配したハッサク先生がコルサに恋人でも何でもない私をあてがう。これによって人身御供の完成である。これ、ハッサク先生が恩師じゃなかったらモトトカゲで轢いてたな。
それはともかくとして、長椅子に丸くなるようにして大きな身体をおさめているコルサの額から温くなったタオルを取って新しい冷えた物と交換する。冷たい刺激に瞼に覆われていたグレーの瞳が僅かに見えた。
「気分はどう?」
「…………ああ、」
会話が噛み合っていないところをみると、あまり良くはないようだ。明るい所は目が痛いとコルサが主張するのでカーテンは閉め切っていて部屋の中は薄暗い。一級の遮光カーテンを使っているのだろう。遮光性が抜群である。
「寝室に行った方が良いんじゃない?ここじゃ良く眠れないでしょう」
「…………動きたくない」
少し喋るのも負担らしく、コルサは短く呻いて胎児のように身体を丸くする。私では安定してコルサを運ぶ事は出来ない。仕方ない、私のキノガッサちゃんの出番だ。
私の相棒のキノガッサちゃんを繰り出して静かにジェスチャーだけで彼女へコルサを運ぶようお願いする。キノガッサちゃんも既に何度かコルサのこのような場面に出会しているので慣れたものだ。出来る限りコルサに負担がないように彼を寝室に運んでくれた。
「うぅ…………」
ゆっくりと寝室のベッドへ寝かされてコルサが静かに呻く。だが少なくとも長椅子の時よりはマシなのか僅かに顔が緩んだ気がする。キノガッサちゃんを静かに褒め回してからボールに戻し、コルサの肩までブランケットが掛かっているのを確認してから私は部屋を出ようとし、て。
「うん?」
「ど、こへ、いく…………」
そんなありきたりの事ってある?ってぐらい使い古されたシーンだと思った。病人の傍を離れようとしたら、服の裾を掴まれて静止されるって。振り返れば不機嫌さを隠そうともしない表情のコルサが私を見上げていた。
「何か食事と薬を持ってくるよ。それに私がいると寝にくいんじゃない?」
私はコルサという男は人に弱みを見せたがらない人間だと思っている。だから月に一度か二度訪れる彼の弱った時期に、いくら気心知れた友人の配慮とはいえ私が傍にいるのは彼にとってはストレスなのだと思っていた。だからこうやって引き止められると少し戸惑う。
「食事、もく、すりも、いらん……」
「でもせめて寝ないと」
コルサの方に向き直って彼の頬に手を添える。私は手が冷たい人間なので、それがコルサは気持ち良かったのか、喉で低く唸った。…………ニャオハかな??
「だから、ここにいろ、と言っている」
「へ?……わ、」
病人にしては力が強い。急に引っ張られて体勢を整える間もなく、私はコルサのベッドにダイブしてしまった。慌てて起き上がろうとするけれども、それより早くコルサの腕が私を拘束する。
「…………くすぐったい、」
抱え込まれ、胸許に顔を寄せられ、これでは人間抱き枕である。コルサの少し硬めの髪が首筋に当たってちくちくする。抵抗しないのは相手が病人だからである。普段だったら私のキノガッサちゃんがけたぐりしてる。そもそも私たちは恋人でもなんでもないのに。
私を捕えるコルサの腕はまるで恋人へのそれか何かのように優しくて強い。大丈夫なのかな、恋人とかいたら事だぞ。見られたら修羅場だ。でも何もかも面倒臭くってもう良いや、どうとでもなれ、と不貞寝した。コルサのベッドのマットレスって何使ってるんだろう…………。くだらない疑問が最後に脳裏を過って消えた。
次に目が覚めたら、辺りはもう日が翳っていた。夕方を少し過ぎたくらいだろうか。コルサは、あれ、コルサが、いない?
ゆっくりと上体を起こして辺りを見回す。コルサの気配はどこにも無かった。頭に疑問符を飛ばしながらベッドから降りて寝室を出る。アトリエの方から何か大きな音が聞こえた。ゆるゆるとそちらに向かう。アトリエについた電気の明かりが私の目を突き刺した。
「…………コルサ?」
「っ!?あ、ナマエ、」
驚いたように振り返るコルサの足下には、何かの破片が散らばっていた。どうやら作品を落としたようだ。
「わあ、怪我しちゃうよ。掃除しなきゃ」
「い、良い。ワタシがする。ナマエ、は座っておけ」
機械油が切れたロボットみたいなぎこちない動きでコルサはホウキとチリトリを手に片付けを始めた。ただ見ているだけなのもアレなので、私はアトリエに併設された簡易のキッチンでお湯を沸かす。ハーブティーでも淹れよう。
「良く眠れた?」
「っ!!…………あ、ああ……」
「そう、良かった」
私がお茶を準備する音と、コルサが片付けをする音だけが響く。なんか気詰まりな空間だなあと思う。
「コルサ、」
「ナマエ……」
振り返って失敗したなあと思った。コルサの瞳の光がとても弱く見えたからだ。疲れているからかと思ったけれど、それとは異なる光だ。ある意味、気圧されそうだった。
「な、なに?コルサからどうぞ」
「っ、あ、いや……その、すまなかった」
珍しく歯切れの悪いコルサに首を傾げる。何に対する謝罪だろう。
「え、と」
「こ、恋人でもない君に対して、ブシツケなマネをした。君は、ハッさんに、恩師に頼まれて、それを断れないと分かっていて、それでも、ワタシは」
言いたい事が迷子なのか、徐々にトーンダウンしていく言葉に首を傾げる。彼の言いたい事が私に伝わっていない事を把握したのか、コルサは苛々と髪を掻き毟る。
「っ、分かっている。君が此処に来るのはハッさんに言われたからだ。……それ以上の意味など無い。だが、ワタシには意味がある。君に分かるか?……いいや、どうせ分からない、君に、ワタシの想いなど、……ああ、クソッ!!」
目を白黒させるしかない私にコルサは痺れを切らしたように近寄る。骨張った手が私の手をぎゅうと握る。
「君が好きだ」
痛いくらいに手に込められた力が、コルサの想いの証明のような気がしてならない。コルサの細められた目には苦悩のような影があった。
「君が誰にでもあのような事を許しているとは思わない。だが、ワタシ以外にもあのような事を許す相手がいるのならばそれは耐えられない」
「え、え、っと……」
「分かっている。君は恩師に言われて仕方なくしたくもない男の相手をさせられているのだと。だが、君の言葉が、視線が、指先がワタシに向けられる度にワタシがどれ程浮かれているのか君には分かるまい!…………ああ、そうだ、ワタシは君が好きだ!どうしようもない程に」
惑うように視線を落としたコルサだったが、ゆっくりと私と視線を合わせる。確認するように「君が、好きだ」と再び口にしたコルサに上手く言葉が継げない。
「あの、コルサ、その、私は全然そんな事思った事無くて」
「……分かっている。そうだろうとは思っていた」
「あ、でも、さっきされたみたいな事を、して良いよって思う人は、他にはいない、かな……」
これ程までに強い想いを打ち明けられた事がなくて、どうしても反応がしどろもどろになってしまうのは仕方の無い事だと思いたい。私の言葉にコルサは私の手を握るその大きな手に僅かに力を込めた。
「ああ、それなら良い。今はまだ、それだけで」
酷く安堵したような穏やかな微笑に心臓が大きく鳴ったのはきっと気のせいじゃないと思う。まるで期待するかのようなその心臓の高鳴りの答え合わせをする日はそう遠くない。何故か分からないけど、そんな予感がした。
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