情愛は鎖が如し

私とアシパがそこを偽のアイヌの集落だと気づいた時には、もう私たちは拘束されていて、杉元たちがどうなっているかは分からなくなっていた。

拘束されて、報せを上げる手立てを失ってしまい、目の前の男を頑なに睨んでも状況は何も変わらない。

「目の前の男には」私たちを害する気は無いようで、むしろ私たちが騒いで先ほどの偽アイヌの男たちにその声が聞こえてしまう事を恐れているようだった。

「……私たちをどうする気なの」

「君たちは子供だから命までは取られないとは思うが……。連れの男たちは殺されるだろうね……」

「…………!」

そう聞かされてはいそうですか、と黙っていられる訳ではない。だが方法がない。仕方なく情報を得つつ、機会を待つ。でも存外にその機会は早かった。

「っ、耳長、おばけ?」

この世の物とは思えない奇声が聞こえて、私たちは顔を見合わせる。それは明らかに杉元がこのコタンの異様さに気付いてくれた合図だった。

熊岸長庵の説得はアシパに任せ、私は事態を把握するために、いち早く駆け出した。

「杉元……!皆!」

「っ、なまえさん!大丈夫か!?アシパさんは!?」

「私もアシパも大丈夫!アシパは今、あっちの方に……」

私が指差した先には例のチセがあって、途端に杉元はがむしゃらにそのチセ目掛けて走っていく。周りが見えていなさそうで、咄嗟に私も彼を追い掛けようとした時だった。

「杉元っ!危ない!!」

チセの影から囚人が一人銃を構えているのが見えた。咄嗟の事で声しか出ず、しかも乱闘の喧騒に杉元には私の声は届いていないようだ。

「あっ……」

しかし私が次の一声を放つより先に囚人は膝から崩れ落ちた。その屍の後ろから悠々と歩いて来たのは尾形だった。どうやら彼が杉元を狙っていた囚人を狙撃したらしい。

「あ……尾形……」

尾形は私の姿を認めると、ゆっくりとこちらに歩を進める。その顔が、妙に怖いと思ってしまった。気のせいだろうか?心なしか、彼の顔がこの場にそぐわず笑んでいるような気がしたのだ。

「なまえ」

「お、がた……」

乱戦の最中だというのに、足下には夥しい屍が転がっているというのに、尾形はまるで草原を歩くような気安い足取りで私の許まで来た。それから膝を折って私と視線を合わせるように屈んだ。

「なまえ、駄目じゃねえか」

「……え?」

諭すような子供に言い聞かせるような言葉はいつもの尾形のそれとは異なる酷く優しい物だった。その事が彼の空怖ろしさを増大させる。目を細め、私の頬に付いていたのだろう誰かの返り血を優しく拭ってくれた尾形の瞳は真っ暗だった。

「こんな所に誰の物とも知れねえ返り血なんか付けやがって……。どうして俺の傍を離れた?お前がわざわざ危険な目に遭わなくてもどうせ俺が全員ぶち殺しちまうんだから余計な事をしなくても良かったんだぜ?それともあれか?アシパに何か要らねえ事でも吹き込まれたのか?……もしそうなんだったら」

不思議な事に尾形の目の形は笑っているのにその中心の瞳は全くと言って良い程笑ってはいなかった。そしてその不穏な言葉の先に続く物を聞きたくなくて、私は無理矢理微笑んで首を振る。

「違うの!私が独断で動いて皆に迷惑掛けちゃったの!だから……」

「仲間のため、か。…………なら、仲間なんざ、要らねえ、かもな」

「……尾形……?」

尾形は地面に膝を突くとそっと私の頬を親指でなぞる。不思議な事にまだどこかに敵が潜んでいるかも知れない筈なのに、尾形と見つめ合っているとそんな不安はどこかに消え去ってしまった。時が止まっているような感覚と言えば良いのだろうか。

「お前を、危険に晒す奴は全員殺してやりてえ。たとえそれが誰だろうとな」

「尾形……?あの、大丈夫?」

聞いた事もない尾形の言葉に私が怪訝な表情をしたのが伝わったのか、尾形は薄く笑んでから立ち上がる。彼が膝に付いた土を払って私に手を伸ばした時だった。

破裂音と空を切るような鋭い音。銃声だと分かった時には、一発の銃弾が私の髪の毛を何本か掠めていった。

「きゃっ!」

「ちっ……」

心臓が痛いくらいに拍動していて、私は尾形に庇われたのも気付かなかった。彼は慣れた手付きで銃を構えると私たちを狙った囚人の「脚」を狙って狙撃した。

「ぎゃあああああ!!」

尾形の正確無比な狙撃は勿論命中したようだった。耳をつんざくような悲鳴に顔を歪める私に、尾形はにやりと嫌な笑い方をした。

「これで終わりと思ったか?」

え?と思うより先に、彼は脚を庇って蹲る男にもう一度銃を構える。そして私が止めるよりも早くに今度は男の右肩に銃弾を撃ち込む。

また嫌な悲鳴が耳を突いて私は尾形の腕を抱くように彼を止めた。そうしないと今度は彼が左肩を狙うような気がしてならなかった。

「尾形!お願いだから止めて!このままだと死んじゃうよ!」

「あ?殺すためにやってんだろ」

「で、でも……」

その次の言葉は人としてどうか、という思いがあって言葉に出来なかった。

(いつもはこんなに苦しませないのに)

でも尾形は私のそんな疑問をすぐに見透かしたようだった。仕方の無い子供を見るような目で彼は笑った。

「お前を狙ったんだから、当たり前だろ?」

その顔の純粋さが酷く怖い。でもそれを口に出来る程私は勇敢ではなくて。俯くしか出来ない私の耳許で尾形が囁くのだ。

「安心しろ。お前を危険に晒す奴は、全員俺が殺してやるからな」

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