コルサに呼び出された時、ああ、遂にって思った。知り合って、少しずつ仲を深めて行って、いつの間にか彼の事を好きだと気付いた。不器用で酷く一生懸命で、優しい彼の事が。
私はコルサの事が好きで、そしてコルサもそうなんじゃないかなってそう思っていた。人付き合いの嫌いな彼のグレーの瞳が私の姿を見付けてゆっくりと緩むのが好きだった。私の関心を引こうとする不器用な言動に心を握られたように、感情が甘く痛んだ。そんな想いを彼も感じていたら良いのにって、そう思ったのに。
それがどうしてこうなったんだか。
アトリエ兼自宅のどちらかと言うと自宅寄りのスペースでソファに座らされた私は彼のいつもと違う雰囲気を少し不思議に思っていた。何処となく影があって思い詰めたような、そんな瞳が私を見た。
「……、呼び立ててすまなかった」
「ううん、大丈夫。私も、会いたいなって思ってたから」
「…………、そう、か」
随分、昏くて自嘲的な声だと思った。少しだけ、彼のスランプの時と似ている気がしたけれど、それよりももっと薄暗い感情の気がした。
「……、コルサ?」
名を呼べば、彼は大袈裟に肩を揺らした。何か言いあぐねているような彼の様子に、促すように視線を送る。彼は大袈裟に顔を顰めて、唇を噛んだ。
「ナマエは、」
コルサが言葉を止める。彼は元々慎重なタイプで、制作で躁状態になっている時以外は基本的にローな姿なのでこれは通常運転とも言える。だからあまり気にしていなかったけれど、そこに含まれる翳りはいつもより濃くて珍しいなと思った。彼は私にそういう負の側面を見せた事が無かったから。
「私が、なあに?」
「ナマエは、好いた男がいるのか?」
「…………は?」
時間が止まった。比喩では無く、止まった気がした。まさかコルサからそういう話題を振られるとは思わなかったし、第一どこからそんな情報を得たのかという話だし、そもそも今日呼び出した理由はそれなのか?私の色々なアピールは全く届いていなかったという事か?
呆気に取られる私を他所にコルサは私の事を酷く恨みがましい目で睨んでいる。え、待って。この険悪なムードはどういう事だ??
「えっ、と……、あの、コルサ?」
「ワタシの質問に答えろ」
「あ、あの……急にどうしたの?」
唐突過ぎる質問の背景を整理しようとコルサに質問を返せば、彼は酷く苛立ったように靴の踵を鳴らした。「質問に質問を返すな」と同様に苛立った声が聞こえて、苦々しい顔が更に歪んだ。
「…………ハッさんから、聞いた」
今度は私が肩を揺らす番だ。ハッサクさんにはコルサへの気持ちを伝えた事は無いが、聡い彼はきっと「何か」には気付いていたと思う。私が誰かへの想いを抱えている事とか。
「そう。…………どんな事を?」
「っ……!そ、れは、」
彼の目が泳ぐ。恐らく確信は無いのだろう。私が誰かに恋焦がれている事しか、彼は知らない。私は彼に、一番知っていて欲しかったのに。
「私に好きな人がいるって事?」
「っ…………!」
あからさまに傷付いた表情をされると私も尻込みしてしまう。でも、もう後には引けないと思った。もう、伝えてしまわないと。
「…………やはり、好いた相手がいるのか」
「……いるよ。その人は、気付いていないみたいだけど」
自分で言ってて悲しくなってくる。視線を下げた私にコルサは苦しげな顔を見せた。
「…………、どんな男だ?歳は?性格は?背格好は?髪の色は?声音は?瞳の、色は?」
「それを聞いて、どうするの?」
コルサの声が自棄を含む。これ程危うい彼を見た事など無い。少し怖くて、身体を引いたのを彼は目敏く見付けたようだ。彼は私が作った半歩の距離を一足で詰めた。
「っ、キサマには、分からないだろうな」
澱んだ感情が纏わり付いた声に彼の瞳を見るのが怖かった。コルサの靴の先だけを見ていたら、彼の骨張った手が私の頬に触れ、顔を上げさせる。歪んだ色を湛えた瞳が私の顔を見ていた。
「ワタシが、どれほど……っ」
彼ははっ、としたように目を見開いて口を噤んだ。そしてそこから少しも何も言ってくれない。私が望んでいる言葉を一つも、言ってくれない。
「っ、言ってくれないと分からないよ……」
こんなにもお互い本音に肉薄しているのに、何も伝わらない。もどかしくて、言葉が震える。私の弱々しい声に追及の意思を挫かれたのか、彼は私に触れていた手を弾かれたように引っ込めた。
「簡単に、…………そんな、嗚呼、そんなに簡単に口に出せるならば、このような事になる訳が無い」
「…………コルサ、」
芯を失ったようにふらふらと後退ったコルサはどさ、とソファに座り込む。立ち上がって傍に寄ろうとしたが、手で制された。
「……もう、行ってくれ。ワタシなどを気に掛けるな。呼び立てて悪かったな。もう、会いに来なくて良い。今まですまなかった。…………ワタシは、叶わぬ夢を見ていたのだ」
「…………、っ」
「嗚呼、ナマエ、止めろ。そのような、傷付いた表情を見せるな。…………期待させるな。ワタシにもまだ、見込みが有るなどと、思わせるな」
私の表情を見るまいと言うように項垂れて拳を握り締めるコルサに再度近付こうとした。けれど彼は逃げるように身体を引いた。そのグレーの瞳が私を映す事は無い。
「…………、あなたは、勘違いしてる」
「……、そう、かも知れないな。だが、それを確認する事すらワタシには恐ろしい。……ナマエの心が他人の物になるのを見るくらいなら、何も見えないままで良い」
重くて昏い声が、震える息を吐く。沈黙が落ちる。制止を無視してゆっくりと、一歩足を踏み出した。この関係が拗れる前に、言ってしまわないと、そう思った。機会は今しか無いのだと。
「好きな人が、いるの」
「…………知っている」
「その人は、っ」
手首を強い力で握られて引かれる。気付けば私はコルサの腕の中にいた。
「聞きたくない。止めてくれ」
「駄目、聞いて」
「止めろ。ワタシをこれ以上苦しめるな。……これ以上、ナマエを好いた事を後悔させるな」
腕の力が強く、強くなる。コルサの弱々しい声が耳許で聞こえた。
「好きだ、ナマエ。愛している。誰にも渡したくない。たとえそれがキサマの好いた相手だろうが」
「コルサ、」
「滑稽だと嗤え。最低だと謗れ。ワタシに期待をさせるな。浅ましくも、キサマの慈悲を得ようとするワタシを拒絶しろ。……でないと、っ」
絵の具の香りが強くなる。コルサの匂いだ。安心する、私の好きな人の香りだ。
彼の胸に頬を寄せる。その背中に手を回した。コルサの肩が揺れて、窺うような雰囲気が生まれた。自分の手に少し力を込める。
「好き」
「……っ」
「コルサが、好き。ずっと、好きだった」
息を呑んで固まる彼との身体の間に空間を作る。彼を見上げるために。思いの外近い所にあった顔は、酷く間抜けな表情をしていた。いつもの彼らしくない、虚を衝かれたような顔だ。
「拒絶なんてしない。後悔しないで。私も、しないから」
「……っ、ナマエッ……」
強く強く抱き締められる。身体が軋むように痛んだけど、構わなかった。だってそれは私が、一番欲しいと思っていた物だったのだから。不器用な彼が最大限に示してくれた、私への想いの証なのだから。
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