豹変カレシ

お互いに負担の無い人間関係を形成する上で大切なのは相手の事をどれだけ理解出来るかどうかという事じゃないかと私は思っている。つまり、相手の行動原理がどれだけ私のそれと似通っているかという事が大切だという事だ。そういう意味では私と宇佐美さんの間に築かれている人間関係は理想的なものとは程遠いと言えるだろう。誰が何と言ったって、そうに違いないのだ。

「なまえさぁん!」

「あ、う、宇佐美さん……」

聞きたくない聞き慣れた弾んだ声が背後から聞こえて思わず肩を揺らしてしまったのはバレていないだろうか?振り返ればきらきらとした顔でこちらに手を振っている宇佐美さんがいた。

網走監獄の看守を務めているという宇佐美さんだが、その仕事の厳つさに似合わず彼自身は明るくて、言い様によっては少し幼い。監獄近くの集落で看守の生活支援のための行商をしている私と宇佐美さんが知り合ったのはまあ、そういう訳だ。

私が商いにやって来た商人で、宇佐美さんはお客さん。初めて彼を見た時は若い人が入ったなあくらいに思っていた(だって監獄には草臥れた年嵩の人が多い。門倉さんとか、とかね)訳だが、彼はその幼い振る舞いと外見に対して私よりまあまあ歳上だった。

兎も角私は宇佐美さんが苦手だった。それは私があまり男性慣れしてないという事もあるだろうけれど、一番は宇佐美さんの私に対する態度が大きかった。

「いやあ~、なまえさん、ずっと待っていましたよ~」

頬を染めて少し恥ずかしそうに身体をくねらせる宇佐美さんに形ばかり笑みを見せる。宇佐美さんは私に必要以上の好意を持っているのか顔を合わせればこの調子なのである。少し、いやかなり苦手だ。

「あ、あはは、ありがとうございます。そんなに欲しいものがあったんですか?」

「ええ?まさかあ!なまえさんに会いたかったからに決まってるじゃないですかあ!」

「あ、あはは~」

私よりも大分歳上の筈なのに、宇佐美さんは直球で内心を表現して私を困らせる。今どき珍しいくらいに自分に素直でそれを私に伝えてくる彼に私は及び腰になりながらも商いの準備を始める。何の事はないいつも通りの準備が終わってふと気付けば私の隣に、何故か宇佐美は、じゃない宇佐美さんは座っていた。

「あ、あの、宇佐美さん……?」

「今日はボクもお手伝いします!」

にっこりと、それこそ「見る人が見れば」きゅんと来るんじゃないかというような笑顔は残念ながら私には通用しない。というか減点要素にしかならない。何を企んでいるのか。

「あ、あの、宇佐美さんはお仕事があるんじゃ……、」

「今日は非番なんです!でもなまえさんが来るって聞いたのでぇ」

うふふ、花も飛びそうな素敵な笑顔。私は私の日程を宇佐美に……、宇佐美さんに教えた奴をぶん殴りたくなった。多分門倉さんだ。看守部長のせいだ。

「で、でも、申し訳ないですし……、」

「えっ!?駄目なんですかぁ!?」

私の仕事だから断ったのにそうもあからさまにびっくりされると、逆に私が間違った事を言っているのかと心配になってくる。気を確かに持って「駄目です」と言おうと宇佐美さんに向かい直った時だった。ぐっと強い力で手を握られる。驚いて顔を上げれば、宇佐美さんの顔が存外近くにあって目を見開く。

「ねえ、良いですよねえ?」

ぎゅうと握られた手が痛い。宇佐美さんはこんな理性の欠片も無い目をしていたのだろうか?爛々と光る目は少し狂気染みてすらいる。何なのだこの人は。そこまで雑貨屋の仕事がしたいなら転職すれば良いのに。

「あの……、看守のお仕事大変なんですか?」

「はい?」

「だって雑貨屋の仕事なんてただ座っているだけですよ?そんな仕事がやりたいなんて……」

「……はは」

私の言葉に、宇佐美さんは呆れたように笑った。それから火が付いたように大きな声で笑い始めたから私は目を白黒してしまう。宇佐美さんの情緒が不安定過ぎてついて行けない。大笑いする宇佐美さんは笑い過ぎて滲んだ涙を拭いながら下を向いて一つため息を吐いた。呆れたようなそのため息に少し身構えてしまう。私のその予感は当たっていたようだ。再び顔を上げた宇佐美さんの顔つきはそれまでとは全くの別人と言って良かった。

「ねぇ~。そうやってボクを揶揄って楽しい?」

「は……?」

「あのさ、普通分かるデショ。この状況でなんでボクが雑貨屋をやりたいっていう話になるの?」

「え、え?ええ?」

出来の悪い子どもを見るような目で宇佐美さんは私を見て笑う。彼のあまりの変貌ぶりに怖くなって握られたままの手を引こうとしたけれど宇佐美さんは離してくれない。

「あ、あの、宇佐美さ……、」

「ねえ、分かるだろ。毎回毎回、お前がここに来るたびに迎えに来るのも、巧言垂れ流して褒めるのも、その他諸々!何でだか、分かるだろ」

不機嫌そうな宇佐美さんは握っていた私の手をぐっと引いて更に顔を近付ける。吐息すら混じり合いそうな距離で宇佐美さんは面白くなさそうに唇を歪めた。

「それともさ、やっぱり実力行使しないと、分からないですかぁ?」

明るい、私が何も知らなかった頃と同じ調子なのに、表情は鋭い、まるで肉食の獣のようで。背筋が粟立つのを抑え切れない。慄くばかりで抵抗も出来ない私を見て更に優位を確信した宇佐美さんの妖しい笑みが近付いてくる。結局その後私がどうなったのかは、私と宇佐美さんの二人しか知らないと思いたいが、少なくともその日、私が商いをする事が出来なかった事だけは付け加えておく。

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