優しくない世界

俺は完全に、間違えた。こんな、弱みに付け込むような真似をしてなまえさんを滅茶苦茶に傷付けた。俺のした事なのに一瞬どうしたら良いのか分からなくなってさめざめと泣くなまえさんを見つめる。泣いている人間の泣き止ませ方など知らなかった。知ろうともしてこなかった。そして俺の視線と彼女の視線が絡む事は無かった。

何か、何か言わなくてはいけないと思った。弁解よりももっとマシな事を。俺の本心の在り処を、俺の感情を。それなのに出てきた言葉は何の役にも立たない言葉だけだった。

「……傍にいても、いいですか」

あれだけ最低な事をして、どの口が言うのだと思った。あなたが静かに涙を零すのは俺のせいだ。あなたがこんなに苦しんでいるのは俺のせいだ。

それなのに、俺はまだあなたの優しさに寛容さに付け込もうとしている。でも俺は、あなたがどれだけ涙を零そうと、苦しんだとしても、あなたをこの腕に抱きたくて仕方ない。それは生まれながらに与えられた呪いが、俺の生を不安定にさせるからなのだろうか。俺は本心から、「俺さえ良ければそれで良い」とそう思っているのだろうか。赦されたい俺は彼女が俺の呪いに中てられたって構わないとそう思っているのだろうか。

……ああ、だがそれは少し甘美な想像だった。俺の呪いに中てられて、それが骨身に達して破滅してしまうなまえさんという空想は。俺と共倒れするという彼女は。俺にはもう俺の最期を見届けてくれる者などいないのだから。彼女と共に最期を迎えられるのならそれも悪くないと。

違う。そんなことはどうでも良い。事実なのは何を理由にしたところで、俺が赦される事はないという事だ。俺の罪は消えないし、俺が祝福される事もない。それでも俺は、俺だって。そう願う事は罪なのだろうか?

「……でも、」

俺の言葉と視線に怯えるように自身の身体を抱くなまえさんに俺は目を伏せた。信じられないだろうな。それはそうだ。あの行為は俺が「男」であると彼女に知らしめる以上に、俺の身勝手さを浮き彫りにさせたのだから。俺は今まで僅かに積み上げてきた彼女からの信頼をすべて失った。それなのに失ってなおも彼女からの温情を得ようとしている。

「もう、何も、しないから。信じられないかもしれないけど、もし俺が何かしたら、これで俺を殺してください。……あなたに殺されるなら、俺はそれで構わない」

俺の薄っぺらい言葉など信じてもらえるかも分からなかったけれど、せめてもの証明に護身用の小刀をそっとなまえさんの前の畳に置く。震えるように目を瞬かせた彼女の手に無理矢理それを握らせて、俺はなまえさんの言葉を待たずに彼女の隣に静かに移動した。肩から伝わるなまえさんの熱が香りが、俺の心臓を柔らかく包み、感情を滅茶苦茶に傷付けた。

「なんで……、こんな、っ……ど、して……。これはわたしの、もんだい、なのにっ……」

再び溢れ出すなまえさんの涙を拭ってやりながら、俺はその答えの問いを探した。でも簡単過ぎて時間稼ぎにもならなかった。彼女の流れる髪を掻き分けて現れた耳にそっと囁く。

「……あなたが好きだから。それでは理由になりませんか?……あなたが笑ってくれるなら、俺は何だってすると前に言いましたよね」

それ以上の言葉は必要なかった。なまえさんはもう何も言わず夜通し泣き続けて、明け方泣きながら短い眠りに落ちた。俺も何も言う事無くずっと彼女を腕に抱いて、その背を擦った。目を腫らして束の間微睡むなまえさんの顔を窓から差し込んだ朝日が無慈悲に照らす。彼女にはもっとずっと休息が必要なのに、時間はそれを待ちはしなかった。俺はただ彼女の小さな身体を腕に抱きながら、せめて彼女が泣き止むまで、夜が終わらなければいいのにと思った。

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