初めまして、僕の最愛

何も無い薄腹が少しずつ膨らんでいくのは、僕には生命の神秘に他ならなかった。例えそれが僕と半分しか血の繋がらない胎子の過程だったとしても。

母は美しい人で、何も知らない人だった。良家の娘にありがちな世間知らずで、夫しか男を知らなかった女。そんな母が、邸の下男と姦通している事を知ったのは徒の偶然だった。そう、僕だけの秘密基地だった離れに雪崩れ込むように転がり込んできた男女を、僕が盗み見たのは徒の偶然。

しかしそれはある種の必然であったのかもしれない。初めて見た母の、否、女の交わる姿は僕の心を震わせて、そしてあの、形容しがたい衝動を僕の中に湧き上がらせた。獣の唸り声のような喘ぎ、交わり絡み合う二つの個体の境界が無くなるような熱くて狂乱的な交合は何も知らなかった僕を魅了した。世に、これ程に美しく、醜い光景があるのかと。

端無く淫らな声を上げて快楽の雫を零す母を僕は嫌悪しなければならなかったのかもしれない、それでも、武家の娘として、軍人の妻としていつも凛としてあった母の女の姿は酷く官能的で僕を昂らせた。それは初めての感覚であった。湧き上がる衝動、熱に浮かされるような感覚。それを欲情と知るには僕は幼過ぎた。しかしながら母と間夫の目合いを見つめる僕の身体はその感覚に正直な反応を返した。触れたそこは風呂で触るよりも幾分も大きくなっていた。普段は間抜けに垂れ下がっているはずなのに、硬く反り返って下着を押し上げて。この現象の名を、僕はまだ知らなかった。でも、何をすれば良いかは知っていた。

男の生理現象も知らぬまま、ただひたすらに本能の導くままにそこを触った。僕は何て醜くて、汚い存在なのだろう。敬愛する母の姿を想い描いてこんな事をしているなんて。僕は何て醜くて、汚い存在なのだろう。貞淑さの欠片もないあんな女の胎から生まれ落ちて。

母の絶頂の喘ぎを聞きながら、僕は服の袖を噛み締めて声を殺しながら初めての高みを見た。僕は幼く、精液も放出されないそれは恍惚で、虚脱だった。背徳感と後悔と、それを上回る多大な悦楽。そしてその快楽に、僕は虜となった。

母と間夫の関係は、父と母の関係と並行していた。考えてみれば間夫と母との禁忌の営みを覆い隠すにはそれは当然の事だ。その中で僕がそそられたのは母の二面性であった。母は二人の男の間で実に異なった女になった。激情的な強い女にも芯の無いか弱い女にも。

いずれの母もそれぞれの男の下で狂おしく悶え、僕はその顔をひたすらに覗いた。僕のものより大きな男のそれが母を貫いて、母の胎の内を穢していくのを。白くてふっくらとした体躯を震わせて、男を受け入れる母の艶姿を。それは美しく、醜くて、官能的で、吐き気を催す光景だった。それでもその光景は幾度も僕を高みに押し上げて、僕を惨めにし、そしてその感情すら次の法悦に変えた。母と男たちの交わりを見て、その光景、臭い、音、感覚全てを忘れない内に自室に戻って猿のように浅ましく未発達な陰茎を扱く僕の何と賎劣な事か。

生きているという事を、これ程に実感した事は無かった。

そうして母が孕んだのは僕の初めての垣間見から一年も経った頃であったろうか。母の懐妊の知らせに父は珍しいくらいに喜び、まだ何の変化もない母の腹を撫でて胎の子の誕生を言祝いだ。本当の事も知らないで。

僕には確信があった。母のお腹の子が父の子では無いという確信が、何故かあった。本能と、呼べるかもしれない。動物に生まれついて備わっている生物としての感覚、お腹の子が「僕とは少し違う」という感覚が、母の腹を撫でた時に起こったのだ。母の懐妊を知る前後に、あの下男は暇を願い出て郷里へ帰ったと聞いた。或いはその事実も、確信を確固たるものにしたのかも知れないが。

十月十日、母は僕が知っているという事を何も知らず腹の子を慈しんだ。それは不義を犯した母なりの贖罪だったのかも知れないし、或いは愛した男の子を孕んだ喜びからだったのかも知れない。今となっては分からない。それでも僕は母の望むように、振る舞った。誰の子なのだ、と聞きたくなる衝動を抑えながら、良き兄であるように振る舞った。ゆっくりと、母の腹の中で人間となっていくその子に会うのが楽しみだった。男なのか、女なのか、一体誰に似た顔で出て来るのか、楽しみで、仕方なかった。

でも、待ち侘びた出会いに、僕は母を永遠に喪った。難産の末に母はなまえを生み落として、そして死んだ。最期まで、母は父の、彼女の夫の前で貞淑な軍人の妻であるかのように振る舞った。不義の末の禁忌の子を夫に抱かせておきながら、彼女は手弱女を演じきった。柔らかな布団の中で冷たくなっていく母の耳許で問いかけた。「あの子は誰の子なのですか」と。答えは永遠に帰って来ない。

それが僕となまえの始まりだった。あの子が生まれるずっと前から、あの子が受肉するよりも前から、僕はあの子を形作る母の行為を愛し、命を懸けてあの子を生み落とした母を愛し、そして今、僕から愛した女を奪ったあの子を愛す。

それは必然なのだ。僕だけの秘密基地だったあの離れに、母と間夫が雪崩れ込んできた時から運命付けられていた、徒の。

コメント