嵐の前の静けさ

朝起きて、真っ先にする事は猫に餌をやる事だった。ちなみに名前は無い。なぜなら家は剥製所だからだ。剥製屋の兄さんは剥製にする動物を四六時中探している。大抵は専門の店で買ったり、海外から皮を輸入したりする訳だが毎回そんな事をしていては金がいくらあっても足りない。という訳で新鮮な死骸を得るためには直前まで生きていてもらう事が大切なのだ。そういう意味で愛玩動物は絶好の相手なのだ。だからこそ一々名前なんて付けていられない。勿論可愛がっていた動物を剥製にしてしまう事に最初は抵抗もあったし少し悲しかった時もあったが、猫四代目辺りからその感覚は麻痺し始め、今や通算九代目の猫は悠々我が家を闊歩している。大体彼らは剥製になって私たちの許で永遠に生き続けるのだから考え様によってはこちらの方が合理的かも知れない。

それは兎も角として、朝目を覚まして猫に餌をやった後、私は身支度をして次に兄さんの作業場の扉を開ける。兄さんはよく徹夜で剥製作業をしている事もあるから扉を開ける時は慎重になる。兄さんの作業の邪魔をしてはいけない。だって、この世であれ程繊細で美しい作品を私は知らないのだから。

でも今日の兄さんはちゃんとベッドで眠ったようだった。静かな作業場を背中にあちこちに散乱した納品書や請求書を掻き集めながら私は朝食の準備をする。勿論「彼ら」への朝の挨拶も忘れない。

「お早う、お母さん。兄さんは今日も朝寝坊よ」

お早う、正一さん、茂さん。清さん、兄さんはまだ寝ているよ。

一通り挨拶を終えても返事なんてあるはずも無く。そもそも彼らの名前が正しいのかどうかさえ、私は知らない。しん、とした我が家にある生の気配は私と兄さんの二人だけ。それでも、兄さんは私より少し歪んでいる。兄さんには「彼ら」の声が聞こえる。私には聞こえない。この差が何なのかは分からないけれど、物言わぬ「彼ら」を受け入れている時点で私も兄さんも大差なんて無い。

「あ、なまえ……。お早う、」

「兄さん、お早う。昨日は遅かったの?」

「いいや、昨日は割と早かったかな……、あ、母さんも、お早う」

不意に背後で気配がして、振り返れば兄さんがいた。兄さんは明るい顔で「彼ら」に挨拶をして非常に一方的な、しかし楽し気な「独り言」をする。(勿論兄さんにとってみれば会話だけれど)私は少し、羨ましかった。私には「彼ら」の声は聞こえない。

「朝食の準備をするね。今朝は何が良い?」

「出汁巻き食べたいなあ。皆もそれが良いって」

「はあい」

兄さんの「お喋り」を背後に台所に向かう。窓から差す朝日が眩しい。今日も良い日になるだろうなあ。

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