これから私の家族の話をしようと思う。いきなり何だと思う方もいるかも知れないが、どうかご容赦頂きたい。これは私の生い立ちであり兄の生い立ちであり、私たちの呪いの話である。
私がこの世に生を受けた時、私には父がいて母がいて兄がいた。商売人の父、美しい母、優しい兄。私は何不自由なく育った、筈だった。
世界が一変したのは私が五歳頃だっただろうか。父が事業に失敗して多額の借財を抱えてしまったのだ。私の世界はこの時、脆くも崩れ去ってしまった。いつも堂々として周囲の羨望の対象だった父は、あちらこちらに頭を下げ回って罵られ嘲られながら生活のための金を借りた。美しい母は目を吊り上げて恐ろしい顔で父に怒鳴った。私と兄は両親の変わり様が怖くて、いつも押し入れで二人、身を寄せ合って泣いていた。
私は知らなかったのだ。母が父を愛してなどいなかった事を。母が父の財産目当てに一緒になった事を。この日から、私たちの呪縛は始まった。家族の中に明確な序列が出来た。それまでは父を筆頭とした一般的な家父長的家族だった私たちの中で、父の序列は底辺となったのだ。母は家族の前で当然のように父を嘲った。そればかりでなく、私たちにも父を罵倒させた。父は困ったような顔でそれに頷いていた。そして決まって最後に「済まない」と疲れた声でそれだけ呟くのだ。最初の内、私は父を罵倒するのが怖かった。父が怒ってしまったらどうしようだとか、優しかった父にそんな事を言うなんてとか、色々な事が頭を過ぎった。でも、結局私はそれよりも母が怖かった。
私が八つになる頃には父は最早母の奴隷であった。否、彼は家族の奴隷であった。反抗する事は許されず、どんな理不尽も辱めも彼には与えられた。それでも家族の中で兄と私は束の間父に人間としての尊厳を取り戻させる事が出来た。
この頃、兄は生来の動物好きが高じて剥製に興味を持ち始めていた。父はそれにいたく喜んで(きっと彼は少しでも私たちの父親らしく振る舞いたかったのだろう)兄の趣味を肯定した。私たち三人は母に隠れて時折「正常な家族ごっこ」を楽しんだ。それはきっと父にとってはある種母への意趣返しであったのだろう。それでもそれは長くは続かなかった。
家族ごっこは早々に母の知るところとなり、怒り狂った母は父への虐待を過熱させた。母はそれまでにも父に対して叩く蹴るなどの無体を働いていた事もあったが、それは遂には焼いた火箸を当てたり、何日も食事を与えなかったりといった苛烈な物へと変わった。父は半年も経たずみるみる衰弱して、そしてある冬の日の朝、庭の隅で冷たくなっていた。凍死だった。前の晩に父は母の逆鱗に触れて冷水を浴びせられて外に追い出されたのだ。
父の事を可哀想だとは、もう思わなかった。非情だと思ったが、心の中にあったのは安堵だった。もう父を罵倒しなくて済む。もう父の苦しむ声を聞かなくて済む。もう、怖い母を見なくて済む。
だがそれは間違いだったのかも知れない。父を殺した母は、もう、元の母ではなかった。彼女は私たちを彼女の思い通りにしたがった。彼女の思い通りにならなかった父の血を受け継いでいる私たちを。
私たちは母の絶対の管理下の許で大人になった。住処を転々として、私たちは誰にも知られる事無く育った。兄は母の望むような男に、言い換えれば父とは正反対の男になるように、私は母の望むような女になるように。反抗しようという気はとっくに削がれていた。私たちの言う事を何でも聞いてくれた父を殺した時点で母は私たちの味方ではなかったのだから。
成長した私には何度か男の人が言い寄ってくる事があった。本意不本意は兎も角として、私は母によく似ていたのだ。その内の一人に心奪われた時期もあった。それでもどこかからその事を嗅ぎ付けた母によって彼とは会えなくなった。彼が行方不明になったという情報が町中を流れて、しかしその噂もじきに消えた。
彼が行方不明になった時、母の支配は永遠に続くのだと思った。私や兄が「人間」として死んでしまうまで、母は私と兄を管理していくのだとどこかで諦めていた。その筈だったのに。
「その日」は突然だった。夜と朝の境目に何故か目が覚めて布団から抜け出した私は兄の部屋に行った。幼い頃から眠れなくなると、私は兄の布団に潜り込んだ。でも、兄の部屋に兄はいなかった。もしや兄も眠れなくて家の中を彷徨っているのだろうかと、私は足音を殺して兄を捜そうと家を歩いた。
悲鳴が聞こえたのは歩き出してすぐだった。それは兄の物で、私は一目散に悲鳴の方へ走った。兄に何かあったら、私だけが母の「標的」になってしまう。その事が怖かった。でもその不安は杞憂で、絶望だった。
悲鳴がした部屋に飛び込んで、一番に見たのは泡を吹いて倒れている母の姿だった。傍らで兄が震えていた。がくがくと足腰の立たない兄は私を見て「か、母さんが!」とただ叫んでいた。母は死んだ。
永遠に続くと思っていた母の管理はこうして呆気無く終わってしまった。一般的に、私たちは「解放された」と言って良いのだろう。でも、私たちは、兄も私も分からなかった。これからどうしたら良いのか、どう生きていけば良いのか。母の望むように振る舞ってきた私たちにとって、最早母こそが生きる指針であり目的であった。
きっと兄もそうだったのだろう。だって、母が倒れているのを見て兄が初めてまともに口にした言葉は、「母さんを、生き返らせなけりゃあ」だったのだから。そう、天下の第七師団が仕事を依頼する「剥製屋・江渡貝弥作」の原点、最初の剥製は己が母親その人であったのである。
そして私たちの新しい生活が始まった。明るい、光が差す部屋。笑い声の絶えない私たちの生活。少しずつ家族も増えてきた。たとえ私に声は聞こえなくても。だから、それを壊そうとする人間は、誰であろうと許さない。
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