屋内に入って、漸く人心地ついてからはたと考える。これからどうするのだ?何も考えずになまえさんを待合に連れ込んでしまったけれど彼女は嫌がるだろうか。それよりも不可抗力とは言えこんな情欲の匂い色濃い部屋では休めないのでは?しかし今更この雨の中彼女を抱えて出て行く訳にもいくまい。仕方ない。彼女にまず必要なのは休息なのだから。自分自身に言い聞かせるようにして店の者に渡された手拭いで彼女の髪の湿り気を拭う。
改めて彼女の顔を見た。酷く白くて青白くさえある頬は冷たくてまるで生気を感じさせなかった。あの頃は健康的な美しさで俺を照らしていたなまえさんは今や病的な美しさで力無く横たわっていたのだ。
「……ん、」
ふる、となまえさんの長い睫毛が震えて目蓋が持ち上がる。どうやら俺の手付きが繊細でなかったせいで彼女を起こしたらしい。少しばかり血が上ってはいたものの彼女の血色は相変わらず悪く、ここが何処かも分かっていないようだった。ゆっくりと疲れたように瞳を巡らせるなまえさんに俺は彼女の顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?俺が分かりますか?」
「……うん。ごめん、また、迷惑かけちゃった……」
弱々しい謝罪を最後に彼女はまた目蓋を下ろした。疲れたように長く息を吐いたなまえさんは頼りない声で俺に再び謝罪する。彼女の事で迷惑な事など何も無くそれよりも未だ濡れたままの彼女の着物の方が気掛かりで俺は無理を押して彼女に話しかけた。
「謝らないでください。それよりも濡れたままでは良くありません。後ろを向いていますから服を脱いでください。その間に布団を敷きます。少しでも良いから、寝てください」
「……うん、……ごめんなさい」
俺の言葉に素直に頷いて起き上がる彼女を支える。触れた彼女の手が酷く冷たくて心臓が嫌な音を立てる。彼女がこのまま死んでしまうのではないか、そう思うくらいになまえさんは生きる活力を失っていた。
「濡れた服を脱いで布団に入れば少しはマシになるはずです。あとは俺が何とかします。……大丈夫です、あなたは何も心配しなくて良い」
未だに湿っていて白い頬に張り付いている髪を親指で払えば、なまえさんは瞳を揺らしてそして静かに頷いた。
しかしながら衝立なんて高尚なものが安い待合にあるはずもなく、仕方なく俺が布団を敷く片隅で彼女は毛布に包まりながら濡れた服を脱がざるを得なかった。帯の擦れる音や着物の合わせを緩める音が妙に生々しく耳に付いてぞく、とした痺れが背筋を這った。
背中に意識が集中しそうになるのを無理矢理見ない振りをしながら布団を敷き終わる。そろそろなまえさんも服を脱ぎ終わっただろうかと声をかけようとした時だった。
「……ひゃくのすけちゃん、」
不意に甘い声音が耳を襲い背中に冷たい柔らかな感触を感じた。細い腕が俺の身体に回っていた。なまえさんに、抱き締められていた。
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