それは愛か妄執か

出されたお粥は塩加減が丁度良くて、一口だけと思っていたのに結局殆ど食べてしまった。私が熱を出した時、お粥を作ってくれるのはいつからか兄さんの役目だった。最初は酷く味が濃かったり薄かったりでとても病床の身には食べられたものではなかったがそれでも、私のために作られたお粥は私にとって幸せの象徴だったのだ。

「食べたのか」

「……はい、……美味しかったです」

頃合いを見計らったように再び私に与えられた部屋を訪れた月島さんは、先ほどの悲しげな傷付いた顔など嘘のようにいつも通りの見慣れた顔をしていた。それでもあの会話は嘘でも私の見た夢でもなかったことは彼が証明してくれた。月島さんは私が食べ終わった膳を傍らに避けると私の枕元に腰を落として胡坐を組んだ。

「……月島さん?」

彼の意図が分からなくて、夜着の上に羽織っていた薄手の上衣を身体に巻き付ける。食事をした事で身体は少し温まり始めていてその熱を逃がすのは勿体無かった。

「今、君にこの問いを投げるのは酷なのは分かっている。体力的にも精神的にも君は養生すべきだという事も。……だが、俺はそれでも君に聞きたい。……君の事を」

「…………、」

肩が揺れて、夜着を握る手は震えた。私の事。それは今まで目を背けていた、或いは部分的にしか見て来なかった私のこれまで。俯いて目を瞑る。不思議なもので、聞いてくれる人がいると分かると思い出はすぐに情景となって私の目蓋の裏に現れた。

「……幼い頃、私はきっと世界で一番幸せなんだって、思ってた」

頼もしい父、美しい母、優しい兄。私は彼らを愛して、彼らも私を愛してくれたと思ってた。でも、全ては幻想だった。私たちに与えられる罵声と暴力と支配は私たちを蝕み歪めた。

「母は言うの。『あなたたちを愛しているから、こうするんだ』って。でも、それは私と兄の間では絶対に起こり得ない行為の連続だった。だから分からないんです。母の私たちに対する愛と私の兄に対する愛の違いが、或いは、兄の私に対する感情は本当に愛だったのか。ねえ、月島さん教えてください。……愛って、何?」

支離滅裂な言葉を上手く纏め切れない。私にはこの哲学的な問いは理解出来ない。きっと、誰も理解出来ない。

「君の質問に答える言葉を俺は一生持ちえないだろう」

ほら、月島さんだって何も言うことは出来ない。きっと私は一生他者からの「愛」に怯えて生きていかざるを得ないのだ。それでも月島さんの言葉には続きがあったようだった。彼がすう、と息を吸う音がやけに耳に残った。

「だが、俺は君の問いの中で一つだけ、答えを示す事が出来る。それは君に対する江渡貝の……いや、君の兄さんの想いだ」

強い光を持った瞳は私を射抜く。私の兄さんの想い?それは。

「どういう、意味ですか?兄はあなたに何か言ったの?何て、」

「君は以前言っていたな。外に手伝いに出るのは食い扶持を稼ぐ為じゃなく、君の兄に言われたからだと」

唐突な問いがこの話にどう関係してくるのか繋がらなくて、曖昧に頷く私に月島さんは何かを思い出すように目を細めた。その瞳には未だ夕張で私の帰りを待つ兄さんの姿が見えていたのだろうか。だとしたら私もその景色を一緒に見たかった。

「……確かに、兄は私に少ししつこいくらいに外に出ろって言ってましたけど、でもそれは……」

「それこそが、江渡貝の、共に生きてきた兄が君に対して、抱いていた想いだ」

矢張り理解の能わない言葉に次第に苛立ちが募る。それでもそれを言葉にしてしまっては駄目だと唇を引き結ぶ。今ここでままならない苛立ちを月島さんにぶつけても仕方ないし、何より兄さんの片鱗を失ってしまうのが惜しかった。

「兄は一体何を考えて……、」

「……いつか君が剥製所にいなかった時に、江渡貝と二人きりだったことがあった」

まるで物語でも語り始めるかのような月島さんの口調に、私の意識は引き寄せられていた。それは他愛も無い、ただの兄妹の話だった。

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