美しい花嫁衣裳、白粉の匂いは嗅ぎ慣れなくて少し緊張してしまう。鏡を覗けば見返す顔は血色が悪くて私は目を細めて、紅を薄めて少しばかり頬に乗せた。
母は名家に嫁ぐ娘の誇らしさと、この企みへの不安からかとても複雑な表情をしていた。だから彼女を安心させるように微笑む。どうせ見破れるものなどいはしまい。遠くから一目垣間見ただけの娘を、実の親でさえ見分けられぬのだから。
そう、今日財閥の御曹司に嫁ぐのは私。顔も知らない男の許に、今日、私は嫁ぐ。姉さんはとうの昔にここではないどこかへ行ってしまった。私がそうなるように仕向けた。
姉さんは今、何処にいるのだろうか。もう、ここではない何処かで、「基ちゃん」の帰りを待っているのだろうか。
あの日、私は言った。姉さんがどうしてもお嫁に行きたくないと言うのならば、顔が同じ私が身代わりになれば良いと。最初は身体の弱い私が何を、と言っていた両親も、私にそんな事はさせられないと言った姉さんも、私が頑なである事を悟ると最終的にはこの企みに乗ってくれた。
永遠の別れの間際、姉さんは泣きながら私に礼を言った。ありがとう、ありがとう、と何度も。でもどうか勘違いしないで欲しいと私は姉さんを振り払いたい気持ちで一杯だった。だって私が私の人生を捨ててまで、姉さんを逃がしたのは姉さんのためではないからだ。
これは姉さんのためではない。これは私のためだ。
優しいあの人はきっと、姉さんから私の事を聞くだろう。そうしたら、きっと私の事を忘れる事は出来ないだろう。優しいあの人は、彼の幸せが一体誰の礎の下に成り立っているのかきっと忘れることは出来ないだろう。
優しいあの人はきっと、私の事を思い出す。そこにどんな感情が付随するにせよ必ず思い出す。自分が幸せになればなる程、きっと思い出す。人はこれを呪いと呼ぶのだろうか。永遠に解けない呪いだと。いいや、これは祝福だ。
私から幸せになる二人へのたった一つの祝福なのだ。
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